原点は父の脱サラ起業〜200カ国でベンチャー支援を目指す公認会計士

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ベンチャーが大企業にプレゼンし、ビジネスマッチングを行うシステム「モーニングピッチ」。日本から世界へ拡大しているこのシステムの発起人は、コンサルティング企業に勤める公認会計士の青年、斎藤祐馬氏だ。

公認会計士の資格を取った斎藤さんは、監査法人トーマツに入社。トーマツ内で休眠していたトーマツベンチャーサポートの再立ち上げに参画し、若い頃からの夢だった「ベンチャー企業の支援」を自分の生業とすることになる。彼はなぜ会計士でありながら「起業家たちのサポート」という道を選んだのか? 斎藤氏と田原総一朗氏の対談、完全版を掲載します。

■きっかけは父の脱サラ起業

【田原】斎藤さんはベンチャー企業の支援を自分のミッションにして活動されているそうですね。どういうきっかけで、ベンチャー企業を支えようと考えるようになったのですか。

【斎藤】もともと父親は旅行会社に勤めるサラリーマンでしたが、私が中学生のころに脱サラして自分で旅行会社を始めました。そのとき感じたのはお金の不安です。それまで家計を心配したことなんてなかったのですが、事業が失敗すれば自分は学校に行けなくなるんじゃないかと急に不安になってきたのです。

【田原】お父さんの事業は実際どうだったんですか。

【斎藤】最初は大変でした。僕も一緒に会社のビラを配ったし、母は専業主婦だったのに新聞配達と集金をやるようになりました。でも、父は充実していたと思います。仕事自体は苦労が多かったようですが、勤めていたころと違って表情が生き生きとしていました。その様子を見て、やりたいことがある人がやりたいことを仕事にして、きちんと生きていける世の中になればいいのになと思うようになった。これが私の原体験です。

【田原】つまりお父さんのような起業家を助ける仕事をしたいと思ったわけね。それで実際に選んだ仕事は、公認会計士だった。これはどうして?

【斎藤】昔はいい学校に入って大企業に就職しようと思っていました。ところが高校受験に失敗して、すべり止めの高校に行くことに。ふてくされていたら、入学時はトップテンに入っていた成績がみるみるうちに落ちていき、400番台になりました。さすがに自分でも将来が心配になってきて、図書館にいって職業に関する本を片っ端から読みました。すると、その中に「公認会計士になるには」みたいな本があって、ベンチャー経営者をサポートして世の中を変えていく人の話が載っていた。それが中学生のころに感じていたこととつながって、そうか、公認会計士かと。

【田原】ベンチャーに興味を持つ人は、たいてい自分で経営したいと思いますよ。斎藤さんはどうして支える側に回ろうと考えたんだろう。

【斎藤】職業を選ぶときは、誰の笑顔を見たいのかを考えることが大事です。私は父親の笑顔が見たかったし、もともと何かにチャレンジしている人を応援するのが好きでした。参謀的な立ち位置のほうが合っているんでしょうね。

■4回目のチャレンジで公認会計士に合格

【田原】大学は慶應ですね。

【斎藤】当時、公認会計士の合格者数が一番多いのが、慶應の経済学部でした。ただ、公認会計士は学校の授業だけでは難しく、普通はダブルスクールで専門学校にも通います。それを調べて母親に話したら、うちの家計じゃとても無理と言われました。あきらめきれずにいろいろ調べたら、奨学金制度を発見。将来は公認会計士になってベンチャー支援をしたいとプレゼンテーションして、なんとか奨学金をもらえることになりました。

【田原】公認会計士の試験は難しいんですよね。合格率はどれくらい?

【斎藤】当時は8%でした。ただ、試験にたどりつくまでが大変なんです。慶應の学生はTACという専門学校でダブルスクールする人が多かったのですが、2年間脱落せずに願書を出すところまでたどり着けるのは約半分。だから志望者全体でいうと、公認会計士になれるのは4%くらいです。私は3年生のときから受け始めて、3年、4年と不合格。1年浪人しましたが、それでもやっぱり受かりませんでした。

【田原】それでどうしたの?

【斎藤】自分の中ではやりきったというか、もうこれ以上勉強したくないという思いがありました。それに奨学金も3回目までで終わってしまう。もともと両親と3回で受からなければあきらめるという約束をしていたので、就職活動をしました。

【田原】でも就職しなかった。

【斎藤】コンサルティング会社をはじめいくつか内定をいただいたのですが、ある日、母親から呼ばれて預金通帳を渡されました。母は「新聞配達で貯めたへそくりがあるから、あともう1年頑張ってみれば」という。それを聞いて、あと1年だけ真剣にやってみることにしたんです。

【田原】当時は1日に何時間くらい勉強していましたか。

【斎藤】それまで最低10時間でしたが、最後の年はトイレ、ご飯、お風呂と睡眠を除けばすべて勉強でしたね。下手すると、食事も本を片手に暗記しながら食べるというくらいに勉強漬けでした。

【田原】結果は合格ですか。

【斎藤】試験を受けた後は、また落ちたと思いました。前年は待ちきれなくて朝9時に発表を見に行ったのですが、4年目は自信がなかったので、11時前にやっと家を出て駅に向かいました。そうしたら知らない番号から電話が突然かかってきて「斎藤さんですか。合格おめでとうございます」。話を聞いてみたら、監査法人からのリクルーティングの電話でした。私はこの電話で合格を知った。事態を呑み込めた瞬間、ホームで泣き崩れたことを覚えています。

■やりたいことができないのは、自分のプレゼンのレベルが低いから

【田原】結局、電話をかけてきた会社に入らないでトーマツに入社されますね。どうしてですか。

【斎藤】監査法人の業界で、ベンチャーといえばトーマツ。ベンチャー企業が株式公開するときの支援で圧倒的にトップだったからです。

【田原】入社して、どんなお仕事をしていたのですか。

【斎藤】仕事は2つありました。1つは、会計士としての仕事。これは一番下っ端なので、指示されたことをひたすらやるだけです。もう一つは、リクルーティングの現場責任者。前年の採用でトーマツはあまり人気がなかったらしく、今年は若いやつに任せてみようということで自由にやらせてもらいました。mixi創業者(現会長)の笠原健治さんにイベントにきてもらうなど、いろいろ仕掛けることができておもしろかったです。

【田原】1年目から責任者をやらせてもらえるんだ。

【斎藤】大企業だとやりたいことができないという話をよく聞きますが、そんなことはありません。ベンチャー経営者がプレゼンをして投資家からお金を投資してもらうのと同じで、サラリーマンも上司にプレゼンをして納得させればいい。上司は、起業家にとっての株主と同じ。やりたいことができないのは、自分のプレゼンのレベルが低いからだと考えなければいけません。

■Jカーブの底をサポートしたかった

【田原】もともとやりたかったベンチャー支援はできたのですか。

【斎藤】いきなりは無理でした。ベンチャーは立ち上げ当初がもっとも苦しく、ある時期からグッと伸びていきます。この成長曲線をJカーブといいます。監査法人がサポートするのは事業が軌道に乗って、2年後くらいに株式公開しますという時期から。一方、私がやりたかったのは、Jの字の底の時期。そこにギャップがありました。

【田原】上司にプレゼンしても無理だった?

【斎藤】はい。だから最初は本業と別に、平日の夜や週末を使ってベンチャーの経営者と個人的に会うところから始めました。

【田原】ベンチャーの経営者、会ってくれますか。

【斎藤】最初はダメでしたね。というより、最初はどこにベンチャーの経営者がいるのかもわからなかったですから。とりあえずネットで調べて異業種交流会に申し込んだのですが、参加しているのはネットワークビジネスや保険の営業の人ばかりでした(笑)。でも、最初は質より量だと思って、とにかくいろんな人に会いました。量をこなせば、そのうち質も見えてくるだろうと思って。

【田原】量をこなすといっても、本業があるから大変でしょう?

【斎藤】個別にゆっくり時間は取れなかったので、飲み会を開いていました。そうすると5人、10人の経営者といっぺんに会えるので。あとはいろんなイベントを開いたり。自分はフットサルをやらないのですが、若手経営者に愛好家が多いと聞いて、フットサル大会を主催したりしてました。

【田原】飲み会のお金はどうするんでか。経費で落ちるの?

【斎藤】会社の業務としての活動ではないので、基本は自腹。当時、給料は30万円ほどでしたが、毎月10〜15万円は使っていました。1Kに住んでいて家賃が安かったですから、なんとかなったんです。ちなみにその部屋には結婚後もしばらく夫婦2人で住んでいました。子どもが生まれてさすがに引っ越しましたが。

【田原】本業以外の活動に精を出していて、会社から睨まれませんでしたか。

【斎藤】会計士の仕事は夜遅いので、経営者と会うために途中で抜けることがよくありました。当然、こいつは何をやっているのか、おかしなやつだなという空気はあったでしょう。幸い、私がリクルーティング担当をしていたときのボスが活動を理解してくれ、社内で命綱的な存在になってくれていました。そのときのボスが、いまトーマツベンチャーサポート(TVS)で社長を務めています。

■ベンチャーが立ち上げで困るのは「売上・金・人」

【田原】TVSの立ち上げは2010年10月。現場でおかしな人扱いされていた斎藤さんが、なぜ参画できたのですか。

【斎藤】それまで4年半、いろいろといじめられながらも活動を続けてきたおかげで、社内で「ベンチャーのネットワークなら斎藤が一番だ」というブランドが確立したからでしょう。

【田原】ベンチャーのJカーブを斎藤さん自身も経験したわけだ。底を打って反転するのに、どれくらいかかりましたか。

【斎藤】3年以上はかかったんじゃないでしょうか。

【田原】TVSでは具体的にどんなことをやったのですか。

【斎藤】ベンチャーが立ち上げのときに困るものが3つあります。「売り上げ」、「お金」、「人」です。ベンチャー経営者は、この3つのことで頭がいっぱい。私が会計の勉強をして理論的なことを話しても、「いや、会計というのは売り上げがあがった後の話でしょ。売り上げをあげるためにあなたは何をしてくれるの?」と切り返されて、なかなか相手にしてもらえませんでした。

【田原】相手にされなくて、どうしたのですか。

【斎藤】とにかく人の紹介をしました。経営者は忙しいので、ネットワーキングばかりしているわけにいかない。そこでベンチャーのお客さんになる大企業を紹介したり、メディアに取り上げてもらえるようにマスコミの人を紹介しました。それで売り上げの悩みを解決しようとしたわけです。お金の悩みを持っている経営者には、投資家とのネックワークを広げて、そこにつなぐということもやっていました。

【田原】具体的にはどうやってマッチングさせるのですか。

【斎藤】モーニングピッチというイベントを毎週木曜日に開いています。ベンチャーが大企業に対してプレゼンするイベントで、いいプレゼンができれば、大企業と提携したり、メディアに取り上げられたり、お金が集まったりする。このイベントはいまも続けていて、大企業も150社が参加するようになりました。これまでに登壇したベンチャーは約800社。その中から10数社が株式公開を果たしています。

【田原】モーニングピッチに参加するような人たちはどうやって見つけてきたの?

【斎藤】最初はやっぱり飲み会です。TVS立ち上げ当初は本業もやりつつでしたから、立ち上げ前とやっていることはあんまり変わらなかった。

【田原】でも、こんどは会社公認だから、お金は出してもらえたんでしょう?

【斎藤】たぶん言えば出してもらえたと思います。でも私の中で、まだ成果を出していないのに経費を出してもらっていいのかという思いがあって、結局、自分で出してました。

【田原】じゃTVSを立ち上げてからも状況が劇的に変わったわけじゃないのか。Jカーブ理論でいうと、本当に突き抜け始めたのはいつごろでしょう。

【斎藤】2012年に大手新聞に取り上げられてからでしょうか。ベンチャーのサポートは上や外の人から見てわかりづらい部分があるのですが、大手メディアに載って、社内の人も「認めて応援しよう」という空気になってきた。当初は私一人でしたが、このころから人数が増え始め、いまは150人います。

【田原】メディアの力は大きいね。

【斎藤】はい。日本の大企業の中から新しいリーダーが生まれにくいのも、メディアが書かないことが一因です。ベンチャー経営者は取り上げられるので後に続く人がたくさんいるのですが、大企業の中でチャレンジしている若手はなかなか取り上げられず、若手にとってのロールモデルがいない。そこは変わってほしいですね。

■モチベーションを失わない方法

【田原】トーマツに入ってから活動が軌道に乗るまで6年くらいかかったことになりますね。Jカーブの底にいた期間が長かったですが、斎藤さんはどうしてモチベーションを失わずにやってこられたのですか。

【斎藤】私は感情曲線がその人の熱量を決めると考えています。

【田原】感情曲線?

【斎藤】感情曲線は、縦軸を感情、横軸を年齢にして、何歳のときにどのような感情でいたのか示したものです。ここに表れる山と谷こそが人の個性であり、山と谷の差が大きいほど熱量が生まれます。ある雑誌で、戦後のリーダーが若い世代にメッセージを送るという特集がありました。印象的だったのは、リーダーたち全員が戦争の話をしていたこと。戦後のリーダーたちは戦争というつらい経験をしたから熱量があるのです。

【田原】なるほど。いいときと悪いときのギャップが大きいほど頑張るわけですか。

【斎藤】じつはいま仙台で起業家が増えています。おそらくこれも東日本大震災という深くて大きな谷を経験したからでしょう。

【田原】その説だと、斉藤さんの熱量がすごいのも谷があったから?

【斎藤】そうですね。会計士に合格する前に2年間浪人をして、会計士になったあとも、大企業のなかにいてつらいなと感じることがありました。もっとも、ベンチャーの経営者は圧倒的にリスクを背負ってやっています。それに比べたら自分なんてぬるいと思いますが。

■ベンチャー支援でどうやって儲ける?

【田原】ビジネスの話もうかがいましょう。TVSはどうやって儲けているのですか。モーニングピッチでお金を取るのかな。

【斎藤】いえ、モーニングピッチは無料です。収益源は3つあります。1つ目は、ベンチャーが成長したら、われわれ監査法人のクライアントになってもらう。2つ目はベンチャーが成長するために、大企業に事業を売却する際のサポートによるフィービジネス。そして3つ目が、大企業がベンチャーと協業して新しい事業をつくるときのコンサルティングです。

【田原】収益としてどれが一番大きいのですか。

【斎藤】コンサルティングです。なかでも大きいのは官公庁や自治体向け。いま多くの官公庁や自治体がベンチャー政策に熱心に取り組んでいて、その立案や実行をお手伝いさせていただいています。都道府県でいうと、35都道府県で受託しています。

【田原】基本的に支援するのは日本のベンチャーだけですか。

【斎藤】いえ、いま7カ国で展開しています。たとえばシンガポールでも毎月、シンガポールのベンチャーがシンガポールの大企業にプレゼンするイベントをやっているし、最近はインドやイスラエルにも力を入れています。

【田原】同じようなビジネスをしている会社はほかにもあるのかな。

【斎藤】ベンチャーの支援だけでなく、大企業向けのコンサルティングやベンチャー政策の立案実行、さらにメディアとリレーションをつくって世の中のトレンドを変えようというところまでやっているのは、世界でも私たちだけです。日本発のイノベーションとして、ぜひこの事業を世界展開したいです。私たちが世界一になれば、日本企業が世界に出ていくときの後押しもできます。

【田原】世界でできるかな。

【斎藤】いま国内に23拠点あり、各地域でキーマンをネットワークしています。世界でもやることは同じです。

■なぜ、トーマツをやめないのか

【田原】最後にお聞きしたい。斎藤さんはほとんどゼロから始めていまの形をつくった。トーマツの中でやるのではなく、独立したらどうですか。斎藤さんならできると思うけど。

【斎藤】考えていないです。これまで10年間、ベンチャー企業の支援をやってきてわかったことがあります。日本のベンチャー企業はいい技術を持っているのに、なぜ世界に出ていけないのか。それは流通ルートがないからです。野球やサッカーで、流通ルートが切り開かれた途端に世界で活躍する選手が出てきましたよね。ベンチャー企業も同じで、流通ルートがあれば世界で実力を発揮できるはずです。では、どうすれば流通ルートをつくれるのか。それには、デロイトという世界最大級のプロフェッショナルファームにいる利点を最大限に活かしたほうがいい。

【田原】デロイトは世界で何人くらいいるのですか。

【斎藤】いまデロイトは世界約150カ国、22.5万人のメンバーがいます。このリソースを活かして、まずは20〜30カ国、ゆくゆくは約200カ国に展開して、日本だけでなく世界中のベンチャー企業と大企業をつなぐ仕組みをつくりたい。これはまた世界で誰もやっていないから、ぜひ成し遂げたいですね。

【田原】わかりました。今後が楽しみですね。

■田原さんへの質問

Q. 経営者から聞いた印象深い話を教えてください。

【田原】松下幸之助の話は面白かったですね。「部下を抜擢するとき、どこを見るのか。頭のいいやつか」と尋ねたら、「自分は小学4年で中退したから関係ない」。健康かと問うと、「自分は20歳で結核になり、ずっと治り切らないまま経営をやった。これも関係ない」。誠実さか、「いや、特別に誠実でなくても、1人ひとりにきちんと対応できていればよい」。

じゃ、いったい何ですかと聞くと「運だ」と言う。しかし、運は目に見えません。どうやって社員の運を見抜くのかとさらに突っ込むと、幸之助さんはこう答えました。「難しい問題にぶつかったときに面白がれるやつは、運が向くよ」

これは僕も同感です。いまの若い人にも教えてあげたい言葉の1つです。

田原総一朗の遺言:難題を面白がれ!

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編集部より:
次回「田原総一朗・次代への遺言」は、QQイングリッシュ代表・藤岡頼光氏のインタビューを掲載します。一足先に読みたい方は、2月13日発売の『PRESIDENT3.6号』をごらんください。PRESIDENTは全国の書店、コンビニなどで購入できます。
 

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(村上 敬=構成 宇佐美雅浩=撮影)