錦織圭のツアーストリンガーとして快進撃を支える細谷氏。彼が語る錦織の“勝負ストリング”とは?

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昨夏の全米オープンで準優勝を果たし、今年も全豪に続き、全仏でもベスト8入り。いまだ四大大会優勝という快挙に届かないものの今や世界が認めるトップ選手となった錦織圭(25歳)。

その錦織を10代の頃から陰で支えてきたひとりが、ストリンガーの細谷理(ほそやただし)氏だ。ラケットに命を吹き込むストリンガーという仕事、そして躍進を続ける錦織について聞いた。

多彩なストロークを武器に躍進を続ける錦織圭。彼にとって欠かせない道具であるラケットで、細かくこだわっているのがストリング(糸)である。そのストリングを張る「ストリンガー」として長く錦織を支えるひとりが細谷理さんだ。

ストリンガーとは、文字通り「テニスのラケットに(網目状に)ストリングを張る人」で、彼らの作業は時に勝敗を左右することもあるほど重要な意味を持つ。世界的なラケットメーカーで、錦織も使用するウイルソンの契約ストリンガーとして全豪オープンや全米オープンなどで現地サポートに当たる細谷さんが語る。

細谷 「通常は1ポンド(0・45圈肪碓未能鳥紂横糸のテンション(張力)を調整していますが、そのテンションによってインパクト時の衝撃や打球感の違いが生まれます。ストリングは非常に繊細で、張り上げ直後から緩み始めますし、もちろん、打つたびに緩む。気温や湿度によっても変わりやすいんです」

手作業なだけに張る人によって癖もあり、選手との相性や信頼関係が大切になる。通常、選手たちは試合前日までにストリング張りを依頼し、その数は「1セットにつき1本」がだいたいの目安。しかし、試合の展開次第では緊急のオーダーが入ることも珍しくないというが。

細谷 「よくテニスの試合で、選手がビニールの袋からラケットを取り出しているシーンが映りますよね。あれがストリングを終えたラケットです。試合中の追加は「オンコート・ラケット」(オンコート)といい、急ぎで仕上げる必要があるだけでなく、結果に関わりかねないのでプレッシャーはあります。ただ、ストリンガーにとっては一番の見せどころでもあるんです」

ちなみに、ストリングについて補足すると、日本では一般にガットとして知られてきたが、それはもともとの素材がガット(Gut=英語で「動物の腸」を指す)だったから。しかし、最近は化学製品のものが多く、ラケットに張る糸の総称としてストリングと広く言われている。

2001年からツアーストリンガーとしてプロ選手をサポートしている細谷さんと錦織の出会いは、07年秋の中国オープンのことだ。

細谷 「今でこそ圭はストリングに神経質なほどですが、当時はまだプロデビュー直前の17歳で、道具に関する知識も、試合に臨む意識もトップの選手とは雲泥の差がありました」

1回戦の対戦相手は世界ランキング12位(当時)のイワン・リュビチッチ(クロアチア)。そのリュビチッチが4本のラケットを用意していたのに対し、錦織は1本しか用意していなかった。そこで細谷さんはひとつのアドバイスをした。

細谷 「ランキング下位の選手がトップ選手と戦うのに準備で負けていたら勝負にならないですよね。だから、「準備だけはしっかりしたほうがいいよ」ということを伝えたんです。道具の準備は勝負に対する挑み方の表れで、それで本当に勝つ気があるかどうかがわかるもの。そういう態度は必ず結果に返ってくるのですが、意外にもそれをわかっていない選手は多い。圭もその時は「(ラケットを何本も用意することを)全然知らなかった」と驚いた様子でしたが、参考にしてくれたんでしょう。その後はしっかり準備をして、今では(本数が)増えすぎて困っているくらいです(笑)」

それから8年、自他ともに認めるトップ選手となった錦織は1試合(5セットマッチ時)に6、7本のストリング張りを依頼。他の選手に比べてオンコートを要求することも多いという。

細谷 「オンコートが出る時は、やる気が漲(みなぎ)っている印象です。ストリングへの細かな要求は神経が研ぎ澄まされている証なのかもしれません。例えば、12年の全豪準々決勝でビッグ4の一角、アンディ・マリー(イギリス)と対戦した時は、最初から力の差を感じたのかオンコートがまったくなかったんです。でも、去年の全豪4回戦は同じくビッグ4のラファエル・ナダル(スペイン)とやって惜敗したものの早い段階でオンコートがあったんです。

おそらくマリー戦は途中で気持ちが切れかかり、ナダル戦は勝てるかもしれないという気持ちが強くなっていたんでしょう。最近は負けること自体が少なくなったので、逆にオンコートがなくても圧勝なんてこともありますが、圭は調子が良ければ良いほど、もうちょっとコースを狙いたいと、ストリングにも完璧を求めるんだと思います」

ストリングを張ったラケットの面の部分には通常、契約メーカーのロゴが塗られる。錦織のラケットにもウイルソンのロゴ「W」が塗られているが、ある時、ウイルソンから「薄すぎる」とクレームが入ったとか。

細谷 「いつだったか、試合中に古いボールを取り出してラケットの面をゴシゴシやっていたことがありました。聞くと、ロゴを濃く塗りすぎると表面がザラつき、感触が変わる気がするというのです。それ以降、彼からは(ロゴの)薄塗りのスペシャルオーダーが入っていたんです(苦笑)」

ウイルソンとしても、さすがにロゴを消すわけにはいかなかったのだろうが、このエピソードは繊細な感覚を持つ錦織らしいともいえる。一方で、互いにプロとして接している細谷さんはコート外の錦織の変化について、どう感じているのだろうか。



細谷 「よくいわれますけど、天然なところはありますよね。ただ、オンとオフの切り替えがすごく、最近はインタビューなどを見ていてもだいぶ落ち着いてきたように感じます。昔は試合に負けたらお葬式みたいな顔をしていましたけど(笑)、今は勝っても負けてもきちんと挨拶してくれるようになりました。たまに寝ぐせのついた髪で会場に現れて「大丈夫かな」と思う時もありますけど、試合直前になると表情が一変して、こちらからは声をかけづらいほど集中するのが圭です」

そして、錦織の強さについてこう続ける。

細谷 「圭の場合は、中学からアメリカに渡っているので、他の日本人選手と違って、海外でもアウェー感がないんだと思います。だいたい日本人選手は海外に来ると、練習するにしても食事するにしても、日本人同士で固まってしまうんですけど、圭にはそういうところが一切ない。場数を踏むごとに自信をつけているように見えますし、試合でもメンタルの弱さが出ることはほとんどないですよね。

それに、かなりの負けず嫌いでいて、頑固というわけでもない。ストリングについて何か提案すれば耳を傾けてくれます。僕自身、ストリンガーとして多くの選手と接してきましたが、いい選手に共通しているのは素直というか、聞く耳を持っていることのような気がします」

ただ、最近は錦織の勝利を願いつつも、ある悩みがあると笑う。

細谷 「普通は担当している選手の試合が始まったら自分の仕事は終わったとひと息つけるんですが、(フルセットマッチを得意にする)圭の場合は試合が長くオンコートも多いので、その間は食事も喉を通らずトイレにも行きづらい。試合の映像を見ながら4時間も5時間も待機することもあり、とにかく疲れるんです(笑)」

それでも、やっぱり勝てば嬉しい。今後、大きな大会が続くが、錦織の勝機をどう見ているのだろう。

細谷 「この仕事を始めた時には、グランドスラムで日本人選手が優勝するなんてことは考えられませんでしたが、昨年は全米で準優勝しましたし、決勝に出たということは射程距離、狙えるところまで来たということ。楽しみにしています」

全仏は残念な結果だったが、これからの錦織にはますます期待できるはずだ。

■細谷理

1969年生まれ、神奈川県出身。高校時代は硬式テニス部に所属。大学卒業後は英国の日本人学校で英語の教師を務め、帰国後はスポーツ用品店に勤務し、ラケットのストリング(糸)を張り替えるストリンガーに。2001 年からツアーストリンガーとして、ATPツアーを回っている。10年、神奈川県茅ヶ崎市にテニスショップ「オンコート ラケット」をオープン

(取材・文/栗原正夫)