「田中(角栄)はわが子同然とかわいがっていた小沢(一郎)に離反されたことが、一番こたえたのではなかったか。小沢は小沢で、田中を守るためには田中派が政権を握ることが不可欠という認識で、二人の間には“竹下(登)政権”をめぐっての大きな乖離があったということだ。結局、田中が再起不能の病に倒れたことで、二人の乖離が埋まることはなかった」“物言わぬ”病床の田中を尻目に、小沢を含めた田中派の大多数が推したかたち