アメリカ大使館と霊南坂

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さて今回は港区は虎ノ門かいわいにある霊南坂です。
もちろんこの坂も富士山つながりの坂道です。
というわけで、それだけちょこっと前置きしておいて本文に入りたいと思います。。
写真1

写真1は、霊南坂の坂下からのものです。
いい忘れていましたけど、今回の霊南坂は、東京メトロ溜池山王駅より徒歩5分くらいの場所にあり、なんとアメリカ大使館が隣接している坂道です。
写真1で言えば、右側にアメリカ大使館があります。(ただ今回は坂道散歩中にアメリカ大使館は撮らないでくださいと警備のおまわりさんに釘をさされたのでのせれませんけど。)
なので、右側の白い立派な塀の部分はすべてアメリカ大使館のものというわけです。
ということは塀の向こうはいちおうアメリカ。
でも塀のつくりはあきらかにメイドインジャパンです。
それもそのはずで、かつてここは山口筑前守の中屋敷(大名屋敷ですね)があった場所だそうです。もちろんこの塀が当時のままの姿かどうかは不明ですけどね。
そして左側にはかの有名なホテルオークラ東京の敷地となっていて、これまた蔦に一面おおわれた立派な塀が見えていました。
(あとは写真見ていて気がついたんですけど、正面の信号の下に「自転車専用」と書かれた標識があるんですけど、これなんでしょうかね??)


写真2

坂下でぼんやりと坂を眺めていたらおまわりさんにじろじろみられて気が気でなかったので、さっそく移動開始して、坂をすこし上ってみました。(写真2)
ここの坂下あたりの特徴としては、道路が坂を下りきったと同時に分岐していて(しかも片方が汐見坂。もう片方が榎坂なんです)、正面には焦げ茶色の大きなビルが建っていて景色はあまりひらけていません。たいていの坂はこのまままっすぐに道路が続いていることが多いと思われます。
その点でいえば、あのタモリさんの坂道本(=タモリのTOKYO坂道美学入門)でもこの霊南坂がとりあげられており、本文に「まだ学生だったころ、夜中に友人の古いクラウンでこの坂を下ったことがあって。坂の突き当たりで急に分岐するものだから、危うく坂下の日本自動車会館に激突しそうになりました。」なんてエピソードが書かれていて、タモリさんの坂道本だからこそネタになるエピソードなんですけど、見方をかえれば、それだけ坂下で急にT字路になっている坂道は珍しい存在なのだろうなあと思っているわけでもあります。


写真2

次はいきなりですけど、歌川広重作の「赤坂桐畑」なる浮世絵です。
実は古地図でこのあたりを調べてみると、写真2でいえば、ちょうど焦げ茶色の大きなビルも含めて、その左側あたりに今のメトロ溜池山王などの名前の由来ともなった溜池なる大きな池がひろがっていたようなんです。
なので、この「赤坂桐畑」は、今でいえばここよりすこし西にある衆議院赤坂議員宿舎のすこし北側あたりから今のメトロ溜池山王駅をふくめた東側の景色を描いたものみたいで、ちょうど絵の右端あたりが今回の霊南坂の坂下あたりということになり、多かれ少なかれかつての坂下あたりの風景もこれと似たような風景だったのかもしれません。


写真3

今度は写真2とだいたい同じ位置より坂上のほうを眺めてみました。(写真3)
写真ではわかりにくですけど、右側の和風の白い塀さえなければ、西洋のどこぞやの景色かな?と勘違いしそうなくらいだったかもです
とにかく霊南坂というなにか思わせぶりな坂の名にふさわしい風情で、勾配具合が適度なうえ空も大きく見えていて気持ちのよい風景がひろがっていました。


写真4

またこの隣には、「オークラ公園」なるホテルオークラの敷地内にあるという珍しい公園があり、9時から17時までの間、一般開放されているみたいでした。(写真4)
17時をすぎると、おそらくここはガチャンとしめられてしまうのかと思うとなにやら不思議な感じがしましたが、いざ中に入ってみると高低差満載の公園でした。
ちなみに坂道散歩では、坂道と違った関わり方を体験する意味でもこういう寄り道散歩は以外と重要なんですよ。


写真5

こちらは、もうすこし坂を上り坂下を見たものです。(写真5)
右上の大きなビルがきちんとおさまるように撮ってみました。
こういうまわりのビルも被写体としておさめておくと、たとえば写真にあったビルがのちのちなくなってしまった時などでも、そのあとの新しい景色と比較できたりして以外と役に立つことがあるんですよ。


写真6

そして、僕がさっきから歩いてきた歩道(写真5でいえば右側です)にはこんなプレートが地面にとりつけられていました。(写真6)
「この道路は保水性道路です。打ち水にご協力ください」とありますね。
意味不明ですけど、今年のような節電が要求される時は必要な発想かも・・・?と、それはさておき、この歩道、タモリさんの坂道本の霊南坂の写真(本持ってない方にはわかりにくい話で恐縮ですけど)ではひと昔前の坂の様子が撮られていて、今のようにきちんと整備はされてなくてコーンがずらりとならんでいてとりあえずの歩道という具合のつくりになっていたようですよ。
いまはこのように保水性の高い材料で舗装もされて立派なものとなっているみたいですけどね。


写真7

というわけで、やっと坂上あたりまでやってきました。
写真7は坂の途中からさらに坂上のほうを見たものです。
左側にはホテルオークラへのサブの出入口があり、右側は地図でみるとアメリカ大使館公邸があるようです。
そして、ここで富士山です。
永井荷風の日記『断腸亭日乗』には「霊南坂を登るに坂上の空地より晩霞の間に富士の山景を望む。」という一文があり、いまでこそまわりの高層ビルに囲まれてわかりにくい状況となっていますけど、このあたりは、ちょうど高台になっていてかつては、このアングルからなら正面の信号のすこし右側(現在の地図で位置関係を調べたところ)に、いつもではなかったみたいですけど富士山が見えたそうです。
なのでここは坂を下りながら富士山を眺めるというより、坂を上りきったときにふと遠くに富士山が見えるスポットだったということになりますかね。

またこの道路というか坂道は、現在、はとバスが走るコースにもなっていて(散歩中にもあの黄色いバス見ましたよ)、この近くにはかの有名な霊南坂教会もすぐ目と鼻の先にあるんですけど、これ以上書いていたら前編・後編シリーズになってしまいますので(ここまでで字数制限をかなりオーバーしてますので・・・)、気になる方はネットで検索でもしてみてください。

あっ、そうそう、最後にもうひとつ。
この霊南坂には坂の由来がかかれた木碑が設置してありまして、『江戸時代のはじめ高輪の東禅寺が嶺南庵としてここにあり、開山嶺南和尚の名をとったが、いつしか嶺が霊となった。』と書かれてありました。
要は、このあたりに住んでいた嶺南和尚の名、“嶺南”がいつしか“霊南”という流れになり、霊南坂という坂名になったみたいですね。




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