#5 やわらかに治す。「心の生ぶ毛」を大切にする──斎藤環さんと読む、中井久夫の著作【別冊NHK100分de名著】
斎藤環さんと読む、「こころの医師」・中井久夫の思想
回復が難しいとされてきた統合失調症の治療に希望をもたらし、阪神・淡路大震災において被災者の「心のケア」を行うなど、常に苦しむ人の心に寄り添い続けた精神科医・中井久夫。
『別冊NHK100分de名著 集中講義 中井久夫』では、優れた文筆家でもあった中井久夫の論文・エッセイを、精神科医・筑波大学名誉教授の斎藤環さんと読み解きます。やさしさと鋭い知性から紡がれた中井の言葉は、心の病に関わる人だけでなく、あらゆる人のセルフケアのヒントになるでしょう。
2026年7月~9月に開催の「100分de名著」シリーズ・図書カード全員還元キャンペーン対象書籍でもある本書より、「はじめに」と「第1講」を全文特別公開いたします(第5回/全6回)。
『別冊NHK100分de名著 集中講義 中井久夫 心の病の「豊かさ」を読む』書影
「対話」に関する知恵
『最終講義』には、言葉を使ったコミュニケーションについてもさまざまな知恵がちりばめられています。たとえば、言葉のやり取りをすると、私たちはどうしても因果関係を考えてしまいますが、患者に「なぜ」「どうして」と因果関係を尋ねる行為は、妄想の生成に手を貸してしまうかもしれないことを中井は指摘します。
「妄想」は患者の実感ですけれども因果律の言葉を使って表現されます。同時にこれは自分の正気を証明しようとする必死の努力でもあります。人間は「因果律を求める動物」で、自分にも他人にも因果律を要求します。言語の構造は因果律を想定してつくられています。しかし、その努力は不幸にも正反対の結果になってしまいます。
「なぜそう思ったのですか」とか「どうして眠れなかったのですか」という問いかけの裏側には、結果には必ず原因があるはずだ、という思い込みがあります。その思い込みが暴走すると、話のつじつまを合わせようとして、妄想が生まれかねません。私たちも、オープンダイアローグの対話実践では、できるだけ「どうして」という質問をしないように心掛けています。
また、中井は、患者との対話の際、患者に自己観察させたり、患者から幻覚妄想を詳しく聞き出したりするべきではないと考えていました。
分裂病の人にうっかり自己をみつめよなどといわないことが重要です。まなざしが自己すなわち自極のほうに向う時、恐怖が再びつのるからです。また対象極のほうに目を向けさせすぎて、幻覚妄想をこと細かに聞くと言語的に定着することになります。そういう手助けをしないほうがよいと思います。
実は、ここだけは私が必ずしも賛同できない点です。私自身は、オープンダイアローグの対話実践を通して、その人の(妄想を含む)主観的体験を細かく聞くことが治療を促進するという体験を何度もしてきました。医師が一人で治療する場面では中井の考えが当てはまるのかもしれませんが、オープンダイアローグのようなチームで治療する場面では、対話が正常化を促す場合が多いということを、この機会に読者のみなさんにお伝えしておきたいと思います。
ただ、中井は続けてこうも言っています。
患者のほうが語るのはかまいません。これに耳を傾けて「もしそうだとしたらそれは大変つらいことだろう」と仮定形で語るぐらいがいいでしょう。
この部分はその通りだと思いますし、私も臨床で仮定形による共感的な応答を実践しています。患者が妄想的な訴えをしてきたとき、私たち治療者にできるのは「そんなことあるはずないでしょう」と説得することでも、「そういうこともありますよね」と迎合することでもありません。「私はそういう経験がないので、どういう経験かもう少し詳しく教えてもらえますか?」と質問することであり、「私はよく分からないけれども、もしあなたと同じ立場になったら、それは苦しいしつらいだろうと思います」と条件付きの共感をすることです。ここを読むと、中井久夫も、私たちが最近になって対話の中に取り入れた工夫と同様のことを早くから実践していたのだなあということをしみじみと思います。
「心の生ぶ毛」を大切にする治療
中井久夫は、患者の尊厳を徹底して尊重することがそのまま治療やケアにつながることを、一貫して主張してきました。人の尊厳、特に患者の尊厳の尊重は、治療に関わるすべての人が常に心得ておくべきことです。しかし残念ながら、日本の精神科医療には、時には人の尊厳を犠牲にしなければ治療ができないと考えるパターナリズムがいまだに残っています。中井は次のように主張します。
殺風景な環境と単調な日々と、患者の力をそぐような治療、押しつけがましい治療は、患者の中の大切な何かを擦り切れさせるようです。(中略)そうなってしまった患者に先ずなすべきことは尊厳の回復です。そうしてはじめて薬物を納得して服用し、薬物の作用を心理的に受け入れるようになり、そうなると、その効き目も安定し、量も少なくなります。
中井久夫の診察には研修医などが陪席して見学することが多かったのですが、あるとき、腕組みをしている見学者を見つけた中井久夫は、いかにも“上から目線”の態度を見とがめて厳しく注意したというエピソードが残っています。日本の臨床、あるいは日本の社会で疎外されてしまいがちな個人の尊厳に対して常に深い配慮があったという点は、彼の独自性として特筆すべきものだと考えています。
患者の尊厳とともに治療で大切にすべきものとして、中井が強調しているのが、恥じらいやためらいといった、人の心の柔らかな部分でした。
私たちは「とにかく治す」ことに努めてきました。今ハードルを一段上げて「やわらかに治す」ことを目標にする秋(とき)であろうと私は思います。かつて私は「心の生ぶ毛」ということばを使いましたが、そのようなものを大切にするような治療です。
分裂病の人のどこかに「ふるえるような、いたいたしいほどのやわらかさ」を全く感じない人は治療にたずさわるべきでしょうか、どうでしょうか。
はっきりと「不向きである」とは言わないまでも、人の心の柔らかい部分を大切にする力を、治療者の資質の一つとしてとらえていたことがうかがえます。
「心の生ぶ毛」はとても印象的な言葉ですが、中井自身はあまりこの言葉を定義付けしたり精緻化したりしていないところがあります。「風景構成法」に決定版がないのと同様に、それぞれがいろいろな解釈をする余地のある言葉です。
慢性期の患者は、自発性や主体性が失われ、感情の平板化や鈍麻が生じて「欠陥状態」になってしまうと考えられてきました。この慢性期に損なわれてしまうものこそ「心の生ぶ毛」の部分であり、心の生ぶ毛とは心の健康度を測る大事な要素の一つだろうと私は解釈しています。心の脆弱な部分でもあるのでしょうし、あるいは中井がよく使う表現に「アンテナ感覚」という言葉がありますが、外界からの危険な信号をキャッチする機能を持った敏感なセンサーも、心の生ぶ毛に含まれるのかもしれません。
私はとてもオーソドックスな精神医学教育を受けた立場ですから、中井久夫の本と出合うまでは、統合失調症は放っておくとどんどん進行する病で、進行してしまえば完全に無気力な廃人のようになり、そうなればもう回復は無理だというイメージを持っていました。中井が言っていたのは、回復が望めないと思われていた人たちにも、まだ心の生ぶ毛が残っていて、その生ぶ毛から変化の糸口が見えてくるということだと思います。
本書『別冊NHK100分de名著 集中講義 中井久夫 心の病の「豊かさ」を読む』は、大好評を博した「NHK100分de名著 中井久夫スペシャル」の番組テキストに、後期の代表作『徴候・記憶・外傷』を読み解く書き下ろし新章を加えた決定版として、
・「心の生ぶ毛」を守り育てる
・「病」は能力である
・多層的な文化が「病」を包む
・精神科医が読み解く「昭和」と「戦争」
・「記憶」がひらく新たな地平
という全5講義で、中井久夫の著作とその思想を紹介しています。
斎藤 環(さいとう・たまき)
精神科医、筑波大学名誉教授。1961年、岩手県生まれ。医学博士。筑波大学大学院医学研究科博士課程修了。爽風会佐々木病院等を経て、筑波大学医学医療系社会精神保健学教授を務める。2024年、つくばダイアローグハウスを開業。専門は思春期・青年期の精神病理学、病跡学、ラカンの精神分析。一方で、時事問題から文学、美術、音楽、サブカルチャー全般に及ぶ評論活動を行う。著書に『ひきこもりはなぜ「治る」のか? 精神分析的アプローチ』(ちくま文庫)、『母は娘の人生を支配する』(NHKブックス)、『イルカと否定神学 対話ごときでなぜ回復が起こるのか』(医学書院)ほか多数。『心を病んだらいけないの』(與那覇潤氏との共著、新潮選書)で第19回小林秀雄賞を受賞。
※全て刊行時の情報です。
■『別冊NHK100分de名著 集中講義 中井久夫 心の病の「豊かさ」を読む』(斎藤環 著)より抜粋
■脚注、図版、写真、ルビは権利などの関係上、記事から割愛しております。詳しくは書籍をご覧ください。
※本書第1講における『最終講義』からの引用は、『最終講義──分裂病私見』(みすず書房)に拠ります。

