【島沢 優子】9人に1人がなる乳がん「まさか自分が」篠崎愛のマネージャーの気づき

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乳がんは女性が患うがんの中で最も多いがんです。2020年のデータでは、生涯に乳がんを患う女性は9人に1人と推定されています。”

これは国立がんセンターHPに書かれている一文だ。そして以下のように続く。

“最新の2021年のデータでは、女性全体の部位別がん死亡数では4位になりますが、年代別に見ると30歳から64歳まででは1位になります。”

多くの女性にとって、乳がんは他人事ではない。それでも原因は明確ではない。とにかく早期発見、早期治療がなにより重要だ。

ピンクリボン月間に自身の体験を話してくれたのが、篠崎愛さんや馬淵優佳さんらのマネージメントをつとめる五間岩(ごけんいわ)ゆかさんだ。五間岩さんと主治医でがん研有明病院の片岡明美医師をジャーナリストの島沢優子さんが取材。闘病のリアルを伝える。

*なお、乳がんの治療は「標準治療」の中でも個人により差異があります。治療に関してはご自身の医師と相談いただきますようお願いします。

(文中敬称略)

左乳房に「何か」があった

その感触は、小さいころに出会ったビー玉のようだった。

いつものように横向きで寝ていると、左乳房に「何か」があることに気づいた。ベッドのマットレスに当たる。

(これ、何が当たってるの?何か挟まってる?)

手のひらをもぐらせると、ごろごろしたものを感じた。まるでビー玉だ。

翌日、医療関係の仕事に就く知人に電話したら「何だろう?脂肪かな?(乳がんとは)違うと思うけど気持ちよく年を越せるように一応、検査しておく?そうしたら安心じゃない?」と言われた。

五間岩(ごけんいわ)ゆかはあまり深く考えず念のために検査を受けることにした。2022 年12月、52歳真冬の出来事だった。22年前にテレビマンだった父を、すい臓がんでなくしていることも頭の片隅にあった。

すぐさま浮かんだのはサポートしている俳優やタレントたちの顔だった。五間岩は大手芸能プロダクション入社後3年でユンソナと平山あやをブレイクさせ、瞬く間にグループリーダーに。中でもユンソナを担当し韓流の礎を築いた功績は高く評価されている。2019年に18年間いた同社から独立。株式会社IMO(Indigo Magic Orchestra)を作り社長に就任した。所属タレントに「サテライトオフィス」のCMなどで注目を集めグラビアレジェンドとして活躍する篠崎愛や、元飛び込み選手の馬淵優佳らがいる。倒れるわけにいかなかった。

「たぶん脂肪じゃないかな」が一転…

まずは民間病院の婦人科へ。触診した女性の医師に「たぶん脂肪じゃないかな」の声に安心したのも束の間だった。明るく「一応エコー(超音波検査)やりましょう」とモニターをのぞき始めた医師が、打って変わって無言になった。ゼリーでスルスルと滑らせる手元が時にぐっと力が入る。ようやく終わったと思ったら「マンモやりましょう」と告げられた。マンモグラフィー検査が終わり、診察室に戻ると看護師たちが増えていた。

「大丈夫。死には至らないから」

医師から両手を握られた。乳がんだった。医師の「浸潤がんだけど、リンパには転移していないから。細胞診をして確認しましょう」の声がどこか遠くに聞こえた。乳がんの検診を受けていなかった自分を悔やんだ。

「えっ、ウソ。マジか、やってしまったって思いました。子どもを産んでいないと子宮がんになりやすいって噂はよく耳にしたので、子宮がんの検査は毎年怠らなかったのに……」

乳房の細胞を注射器で吸い出して調べる細胞診は、想像以上に痛かった。検査は先の女性医師ではなく別の男性医師で「ぶっとい針いれてんだから痛いの当たりまえじゃん」と言われ嫌な気持ちになった。検査結果が出ていないにかかわらず「ステージ3の浸潤がんだね」と告げられた。以降の治療はその病院でも可能だったが、がん研(公益財団法人がん研究会有明病院)を選び診察を予約した。

「がんに勝つための選択でした」

断酒し、食生活を一新

知人からのアドバイスもあり、がん研初診まで健康管理にまい進した。信頼できる乳がんサバイバーの先輩から勧められたもので自分に取り入れた方が良いと感じたものは即実践した。「よもぎ蒸し」がそのひとつで、セットを購入し、就寝前に45分間、必ず体を温めた。血流促進やデトックス効果があり婦人科系の疾患によいと聞いたからだ。サイトを確認すると「がんの発症を抑えるには、免疫力と健康的な食や生活習慣の維持が大切」と書かれていた。

もう発症してるけどね……。

病気に負けたくない気持ちが絶望を上回った。小中学の部活動はバスケットボール部。点差が離れて誰もが諦めかけてしまいそうになる試合でも、チームメイトを鼓舞して走った。

毎朝、無農薬リンゴ1個とバナナ一本、はちみつを入れたソイラテを飲んだ。同時に、仕事先でのロケ弁をやめ、玄米とオーガニック食品、焼き魚や煮魚を多くとる食生活に切り替えた。大好きなお酒もやめた。気にもしなかった食品表示も見るようになった。ベーコンを豚バラかツナで代用するミネストローネスープにはまった。

篠崎愛に話したら「えっ〜ミネストローネは最高のダイエット食だよ!」と教えてくれた。嬉しかった。ふとした時に(なんでがんになったんだろう。どこがいけなかったのかな)と自分を責めていたからだ。些細なことでも肯定されると安心した。車やタクシーに極力乗らず、自分の足で歩いた。

「彼女たちの生活を守らないといけないから死ねません」

医療保険の担当者にも会った。がんになると思っていなかったのでがん保険に入っていなかった。が、加入していた保険は入院費1日1万円、手術費も内容によってはしっかりとした額が出るという。高額医療制度を利用し「国民健康保険限度額適用認定証」を申請した。

がん研乳腺センター初診。姉に付き添ってもらい心強く感じた。予約時間からさらに2時間待ったものの、主治医となった片岡明美に会った途端、不安が吹き飛んだ。写真で見た通り、穏やかでやさしく、何より自分の話をじっくり聞いてくれた。天使に見えた。ひとり一人と丁寧に向き合う姿勢に「この先生について行こうと思えた」。

一方の片岡は、生き馬の目を抜く芸能界のマネージメント業という分野で長く活躍してきた五間岩について「負けたくないと何度もおっしゃって。闘う気力にあふれる反面、がんの怖さも見えている感じだった」と回顧する。その怖さを払いのけるかのように強くいる姿も目に焼き付いている。

「先生、私には抱えているタレントがいるんです。彼女たちを守らないといけないから早く戦いを終えたいんです」

そう、自らの使命を訴えた五間岩だったが、病に翻弄され続けた。エコーなど様々な検査が一区切りしたある夜。20時を過ぎた仕事の現場で携帯電話の点滅に気づいた。片岡からだ。診察予定日の前にかかった電話に、いやな予感がした。

「リンパに転移していました」

「リンパに転移していました。でも、大丈夫。頑張りましょう」

片岡としては、忙しい五間岩を気遣い急いで入れた電話であった。抗がん剤治療が始まること。乳房を切除するかはあとで決めること。頭髪は100%抜けること。片岡の言葉を頭にやきつけながら(転移してたんだ……私の何がいけなかったんだろう)と自分を責めた。

精度の高い検査を受けると、結果が変わるのはある意味仕方のないことだ。最初に診察した医師たちに何ら瑕疵はないことはわかっていたが、まるでジェットコースターに乗っているかのように揺さぶられ不安でいっぱいになった。片岡に 「先生、わざわざ……本当にありがとうございます」と礼を述べ電話を切った。

その後、超音波検査、針生検(乳房組織生検)と重ねた結果、最終的に五間岩のがんは「トリプルポジティブ乳がん」でステージは2Bとされた。主治医の片岡は「五間岩さんのがんは顔つきが悪そう」と少しばかり顔をしかめたが「でも、大丈夫」と両こぶしを握った。

「あなたのがんを倒すのにぴったりな抗がん剤が見つかったの。今年から日本もちょうど認可されたんだよ。治療は結構つらいものになるけど根治できる。それに、骨にも内蔵にも転移してなかったのも良かった。顔つきの悪いがんは内臓に転移するケースも少なくないのよ。五間岩さんはラッキーよ!」

ラッキーか。可愛い言葉だな。常に元気づけようとしてくれる片岡の思いが、五間岩の胸に染み入った。

根治は、根まで退治すると書く。乳がんや子宮がん、大腸がんなど臓器にある固形がんは、がん部分の臓器を取り除けば「根治」。白血病や悪性リンパ腫などの血液のがんは治療でがん細胞が消えた状態になることが「寛解」と呼ばれる。いくらがん細胞の顔つきが悪くとも、五間岩にとって不幸中の幸いといえる。

抗がん剤投与が始まった

いよいよ抗がん剤投与が始まった。2種類をそれぞれ3週ごと4回ずつの計8回の長丁場だ。篠崎愛や友人が治療生活に入るための買い物を手伝ってくれた。日用品、食料などを調達できる大型店で、ペットボトルの水や栄養ドリンク、トイレットペーパーなどを品定めしていたら、篠崎が「これもあったほうがいい!」とカートに入れたのが紙皿、紙コップ、割りばし。食事をするにも食器を洗う気力などないだろうと予想した。

それらは非常に助けになった。投与して8時間後から吐き気が始まり長く続く。そして体に待機しているかのような倦怠感、 トイレから腰をあげられないほどの下痢。抗がん剤投与数日間は食べ物を口にすると、鉛のような味がした。頭髪はなくなり、足の指の爪が剥がれた。五間岩曰く「小人が100人槍を持って背中を襲撃してくるような痛み」に襲われたりして眠れない夜もあった。

片岡が「結構つらい」と表現したように副作用は想像を絶するものが襲ってきた。後から、副作用がつらくて途中でやめる人もいると聞き、 納得すると同時に自分はやり抜いたんだという達成感を得た。

投与がすべて終わった後、片岡から手術について検討するよう言われた。全摘(乳房全切除術)か、部分切除にするか。

五間岩は一瞬考えた。

(文中敬称略)

◇後編「乳房全摘のあと…乳がんになった篠崎愛マネージャーが涙したプロバスケ選手からの「言葉」」では、抗がん剤を進めていく治療を支えたものをお伝えする。

乳房全摘のあと…乳がんになった篠崎愛マネージャーが涙したプロバスケ選手からの「言葉」