ヒステリックな母との同居を始めるも、追い込まれた61歳ブロガー。母に<関わりを断つ><老人ホーム入所>の選択を迫ると大きな変化が…
50代になり、老後の生活資金や過ごし方が気になっているのに、<忙しさ>を理由に見て見ぬふりをしてしまう方もいるのではないでしょうか。そのようななか、著述家やブロガーとして活躍する中道あんさんは「不安を埋めるためには、自分自身の<棚卸し>を行い、内側の問題に向き合わなくてはいけない」と話していて――。今回は、中道さんの著書『先細らない老後のために、50代のうちにすべきこと』から、充実したシニアライフを送るための考え方を一部ご紹介します。
【書影】実り多き人生後半戦を迎えるための、ライフシフトアドバイス。中道あん『先細らない老後のために、50代のうちにすべきこと』
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自分の意識が変われば、現状はおのずと変わっていく
私たちの日々には、いろいろな苦悩がつきものです。
例えば私の場合、若い頃は長男の子育てにたいそう手を焼きました。
48歳のときに夫と別居することになり、その理由を夫のせいにして、長い間「コノヤロー!」と思っていました。
また、母には思春期の頃から振り回され続け、私の邪魔ばかりする目の上のたんこぶだと感じていました。
父が亡くなり母を引き取ると、以前に増して母を負担に感じるようになりました。
糖尿病に喘息持ち。それなのにお酒を飲みすぎたり、煙草を吸いすぎたりして血糖値コントロールができず、意識が飛んでしまうことがあったのです。
優しく接しようとしても、仕事や家事もあり、気持ちに余裕がありませんでした。
そもそも母のことは嫌いだったので、わがままな母にイライラは募るばかり。しかも一旦機嫌を損ねると、手がつけられなくなるほどヒステリックになり、毎回「死んでやる!」と大騒ぎに。
私が仕事に行っている間に、危うくボヤになりかけたこともあり、精神的にヘトヘト、ギリギリの日々でした。
母の人生を豊かにするのは自分の役目
それでも私がなんとかしなくちゃいけない。
“母の人生を豊かにするのは自分の役目”と変わらぬ日々を送っていたのですが、ある家庭内でのトラブルをきっかけに状況はさらに悪化。
その様子を見かねた次男から「もう十分やってあげた。おばあちゃんの人生は本人が考えたらええ。自分で決められる!」と言われてしまいました。
この状況がしんどいのは私だけではなく、家族も同じ。
それでも依存体質の母に「自分で決めて!」とはなかなか言えず、悩んでいるうちに、私自身、働きながらの同居はどうにも難しくなり、施設に入所してもらうようお願いすることに。
すると予想どおりにヒステリックに拒絶され、にっちもさっちもいかなくなり、私は最終手段として、2案からの選択を迫りました。
二つの選択
一つは、自分の家に戻り、ヘルパーさんの手を借りながら自由気ままに生きていく案。
その代わり、これまでのように何か困ったことがあっても手助けは一切しない。つまり今後一切の関わりを断つというもの。
(写真提供:Photo AC)
もう一つは、これからも家族関係を続けるために老人ホームに入所してもらい、週末はわが家で過ごすという案。
母にすれば、老後の面倒を見てもらえるはずだったのに、冷たい仕打ちをされたと思ったことでしょう。
結局、母は“老人ホームに入所する”を選択したわけですが、この決断以降、これまでのように「あんたのせいで……」というような責任転嫁はしなくなりました。
しかも、自ら施設を“終(つい)の住み家”と決めたことがよかったのか、最終的には施設の方々に感謝できるまでになりました。
自分の内側
いっぽう長い間、“母のせいで”と、暗澹(あんたん)たる思いで過ごしていた私は拍子抜け。
母が精神的に自立していく様子を見て、次第に、母からの依存や支配は“私の内側”が引き起こしたものだったのかもしれないと思うようになりました。
「もっとこうしてくれたら」「ああしてくれたら」私の人生は良くなるのにと、相手が変わってくれることを望んでいましたが、自らが変わらなければいけなかったのです。
自立を促されていたのは、私自身。
子育てや夫婦関係の問題もそう。
すべての問題に対し「どうしてこうなるの?」「私は何も悪くないのに……」と、原因を相手になすりつけていました。私の外側に問題があるのだ、と。
でも、そうやって外側にばかり目がいっているうちは、人生は思うように変わりません。変わりたいなら、自分を変える。これしかないのです。
※本稿は、『先細らない老後のために、50代のうちにすべきこと』(扶桑社)の一部を再編集したものです。