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現在放送中のNHK大河ドラマ『光る君へ』。吉高由里子さん演じる主人公・紫式部が書き上げた『源氏物語』は、1000年以上にわたって人びとに愛されてきました。駒澤大学文学部の松井健児教授によると「『源氏物語』の登場人物の言葉に注目することで、紫式部がキャラクターの個性をいかに大切に、巧みに描き分けているかが実感できる」そうで――。そこで今回は、松井教授が源氏物語の原文から100の言葉を厳選した著書『美しい原文で読む-源氏物語の恋のことば100』より一部抜粋し、物語の魅力に迫ります。

【書影】厳選されたフレーズをたどるだけで、物語全体の流れがわかる!松井健児『美しい原文で読む-源氏物語の恋のことば100』

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桐壺院の言葉

<巻名>葵

<原文>女の恨みな負ひ(い)そ

<現代語訳>女の恨みを受けてはいけないよ

六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)は、皇太子妃となり娘までもうけた身分の高い女性でした。ところが皇太子は、即位することもなく、早くに亡くなったのでした。

その後、六条御息所は、源氏の求愛に応じて、年上の愛人のような立場にありました。

しかし源氏の訪れも途絶えがちになったため、もはや源氏の愛情も長くは続かないだろうとあきらめた六条御息所は、娘が伊勢の斎宮(さいぐう)として都から下るのに付き添って、この地を去ろうかと迷っていました。

この噂を聞いた桐壺院は、源氏に厳しく忠告します。

「相手に恥をかかせることなく、どなたをも傷つけることのないように、穏やかに交際しなさい、女の恨みを受けてはいけないよ」。

おそらく桐壺院には、多くの女性たちのなかから、桐壺更衣(きりつぼのこうい)ひとりだけを愛したことによって、後宮の秩序を乱し、やがては桐壺更衣も失ってしまったことへの後悔があったのでしょう。

帝のたしなみ

一般に、複数の女性との結婚や恋愛関係にある男性貴族は、女性たちとの関係に悩みました。

帝(みかど)の場合は、それぞれの臣下が後宮へさし出す姫君たちを妻として迎えることが、ひとつの義務でもあったわけですから、こうした関係をどのように保つかは、帝としての振る舞いにかかわる道徳のようなものとなっていました。

そこで大切にされたのが、それぞれの女性たちが互いに争いや嫉妬の感情をおこさないように、女性の身分に応じて愛情の程度を振り分けることでした。

さらには、どの女性をも満足させられるような、理想的な男性であることが帝のたしなみとして求められました。

平安貴族社会の男女関係

芸術、文化は当然のこと、男性社会での権力関係にも通じた政治力や、明晰な判断力も求められます。

一方、女性の側も、身分や家柄に応じた帝からの愛情を受け入れ、互いの立場を思いやることを、美徳としました。


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もっともこれは、あくまで理想の話であって、男性・女性のいずれにしても、愛する人にとって、あくまでただ一人の女性、ただ一人の男性でありたいと思うのは当然でしょう。

帝はそれが許されない立場だったのですが、そのような後宮の男女関係が、源氏のような臣下や、男性貴族社会にも広がっていたわけです。

難しい父の教え

桐壺院が源氏に諭した、交際する女性の面目をつぶすことなく、どなたをも大切にしなさいという忠告は、誰もが等しく愛し合うべきだとする博愛主義とは異なります。

それだけにかえって難しい教えだともいえますが、複数の女性との関係を穏やかに保ちたいのなら、一人ひとりの女性への配慮は、最低限の礼儀だと述べているのです。

源氏はこのとき、六条御息所と正妻葵(あおい)の上との関係に苦慮していました。

源氏は難しい父の教えを、守ることができるでしょうか。

※本稿は、『美しい原文で読む-源氏物語の恋のことば100』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。