かつて「世界最大の超音速戦闘機」とうたわれたものの、実用化されなかったカナダの戦闘機があります。どのような機体で、なぜ幻となったのでしょうか。

全長24.6m!

 かつて「世界最大の超音速戦闘機」とうたわれたものの、実用化されず「幻」で終わった機体があります。それは、カナダ生まれのアブロCF-105「アロー」。ある年齢層以上のカナダ人なら知らない人はいないと言われているほど同国にとっては有名な飛行機なのですが、なぜ幻といわれるのでしょう。また、その性能はいかほどだったのでしょうか。


CF-105「アロー」(画像:カナダ図書館・文書館)。

 東西冷戦が深刻さを増しつつあった1953年、広大な国土を持ち北極海を挟んでソ連(現ロシア)と対峙していたカナダは、全天候ジェット戦闘機アブロCF-100「カナック」を独自開発し、部隊配備をはじめていました。CF-100はカナダ空軍防空司令部傘下に9個飛行隊が編成され北米大陸の防空任務に就きました。

 当時、世界各国では戦闘機の超音速化が進んでいて、超音速飛行能力を持たない「カナック」には早晩、後継機が必要になると認識されていました。そのため、カナダ政府はその後継として、マッハ2級の長距離全天候戦闘機開発をCF-100の配備とほぼ同時期に開始しています。これがのちのCF-105「アロー」です。

「アロー」は、パイロットの操縦指示を電気信号で伝えるシステム「フライ・バイ・ワイヤ」をはじめ、当時の先端技術を盛り込んだ意欲的な戦闘機となる計画でした。しかし、搭載予定の電子機器や新型カナダ製エンジンの開発が間に合いません。

 そこで「アロー」は、超音速戦闘機用エンジンとして当時最大の出力を誇っていたアメリカ製J75エンジンを2基搭載した試作機を作り、これが1958年3月25日に初飛行に成功しています。

 完成した「アロー」は全長24.6m、全幅15.2m、総重量31.08t。大きさ・重さともに、当時は世界最大の超音速戦闘機でした。その機体のサイズは、後に登場するF-111(1964年初飛行。全長22.4 m・最大全幅19.2 m)に比肩するほどの大型機でした。

 ところが先述の通り「アロー」は、量産されることなく終わったのです。

「アロー」なぜ実用化に至らなかった?

 初飛行が成功したCF-105「アロー」は、その後の開発スケジュールでは、初飛行に使用されたJ75エンジンよりも強力かつ軽量な、カナダ製オレンダ・イロコイ・エンジンが完成したことで、それを積むために必要なテストが進められている状況でした。

 しかしその最中の1959年2月、当時のカナダ首相ジョン・ディーフェンベーカーは「アロー」開発計画の中止を発表します。その理由については、地対空ミサイル、アメリカ・ボーイング製のCIM-10B「ボマーク」が登場したからとされたのです。ソ連より飛来する長距離爆撃機からカナダを守るには、1958年から配備が始まっていたこの最新の地対空ミサイルで十分だと説明されました。

 しかし、その発表の背後でカナダ政府とアメリカ政府は、非公式に66機の長距離全天候戦闘機マクドネルF-101をカナダ空軍に導入する交渉を進めていたのです。この強引ともいえる「アロー」計画の中止とアメリカ製F-101の採用は、最終的に政治問題にまで発展し、保守党が政権を失う原因にもなりました。

 こうして突然の発表により。飛行試験が始まっていた 「アロー」は製作途中の機体を含めて、全て解体されてしまったのです。

 ただ、その一方で当時のカナダ国民が「アロー」に託した期待は並々ならぬものであったとわかる事例が多々あります。その一例といえるのが、「アロー」愛好家が集まり10年がかりで製作された原寸大のレプリカ「アロー」203号機でしょう。外板の材料や脚部分などは実機に部品を供給した企業から提供されたとのことです。

 完成したレプリカは当初、トロント国際空港の一角にあったカナダ航空宇宙博物館で展示されていました。しかし、同館の閉館に伴い一時は格納庫に放置されてしまいます。

 その後、トロント郊外のイーデンベール飛行場の格納庫で保存展示されることが決まりました。その格納庫は飛行場の敷地内にあるためレプリカの見学には見学ツアーに参加する必要がありますが、筆者が訪れた日は平日にもかかわらず多数が参加していました。その光景を見て、筆者(細谷泰正:航空評論家/元AOPA JAPAN理事)は改めて、カナダにおける「アロー」の人気ぶりを実感しました。