アメリカ・リッチランド高校のアメフトチームのトレードマークは原爆のキノコ雲とB29爆撃機© 2023 KOMSOMOL FILMS LLC

アメリカ・ワシントン州南部の町、リッチランドを描いたドキュメンタリー映画「RICHLAND(リッチランド)」が、東京・渋谷区のシアター・イメージフォーラムをはじめ全国で順次公開されている。

この町は第2次世界大戦中、核燃料の生産拠点で働く人と家族が住むためにつくられた。生産されたプルトニウムは長崎の原爆に使われたが、住民は町の歴史に誇りを持ち、「原爆は戦争を早く終わらせた」と考える人が多い。

地元リッチランド高校の校章は原爆のキノコ雲、アメフトのチーム名は爆撃機を意味する「リッチランド・ボマーズ」だ。

日本から見ると信じがたいが、なぜ彼らはそう考えるのか? 映画は住民と町の歴史、放射能で人が住めなくなった大地を冷静に映し出す。初来日したアイリーン・ルスティック監督に話を聞いた。

キノコ雲の絵があらゆるところにある町

第2次世界大戦中、オッペンハイマーらが原子爆弾を開発・製造したマンハッタン計画で、核燃料の生産拠点となったのがワシントン州のハンフォード・サイトだ。生産されたプルトニウムは長崎の原爆に使われ、その後の冷戦時には多数の核兵器の原料生産を担った。

現在は役割を終え、土地の除染や建物の解体が続けられている。このハンフォード・サイトで働く人のベッドタウンがリッチランドだ。

――なぜリッチランドという町に注目したのですか?

前作の撮影中、たまたま1日だけリッチランドで過ごすことになったんです。

原爆のキノコ雲の絵がレストランや学校の壁など、あらゆるところにあることに驚きました。あれほど暴力的なシンボルが日常の中にあり、住民は普通に受け止めている。どういうことなのか知りたいと思いました。

私は歴史の中で解決できていないものと格闘している人々や場所に興味を持って映画をつくることが多いんです。表面的にはきれいでも、まだ深く掘り下げられていない過去がトラウマとしてよどんでいるような場所。リッチランドもそういう場所だったのだと思います。


核関連施設で働くために各地から人が集まった。給料は高く、アメリカンドリームを実現させた人も多かった© 2023 KOMSOMOL FILMS LLC

映画には町の人が次々に登場する。核関連施設で働いていた人は「キノコ雲は殺しのシンボルじゃない。この町の業績だ」と語る。ここで働き子供を育てた人、幸せな子供時代を過ごした人、父親を放射線関連の病気で亡くした人、太平洋戦争に従軍した退役軍人、キノコ雲の校章に反対する元教員、生産拠点の建設で土地を追われたネイティブ・アメリカンもいる。

愛する場所が日本やアメリカ先住民に被害及ぼす

――さまざまな立場の人が語っています。原爆を否定しない人も多いですね?

映画の中心的なテーマは、人々が暴力的な歴史にどう折り合いをつけていくか、ということです。自分の愛している場所が、日本のみならずアメリカの先住民にも被害を及ぼしていた。

郷土愛、誇り、被害という矛盾の中に身を置くのはどういうことなのかを考えるために、町の保守派の人たちの声を聞きました。最初から原爆に反対する映画をつくろうと思っていたら、全然違うアプローチになったと思います。

核推進派と反対派というスッキリとわかりやすい二項対立を描くのではなく、単純に原子力産業を批判する映画をつくろうとしたわけでもない。「より居心地悪く、人との距離が近く、アンビバレントな空間」を目指した。立場や背景の異なる人が安心して話せて、観客がその声を聞ける「場所」が映画の中につくられている。

――どの人もリラックスして話しているように見えますが、他所から映画の撮影に来て、警戒されませんでしたか?

確かにこの町はネガティブなイメージで見られることが多く、批判的に取り上げるジャーナリストや反核活動家が数多くいます。

私は町を批判しに来たのでも、反核映画をつくりに来たのでもなかったので、そのことを相手にしっかり伝えました。それに私は4年半の間、町に何度も通っていたので、「あの人、また来てるわ」「あの人は大丈夫」と信頼してくれたのかもしれません。


ハンフォードのB原子炉国定歴史建造物で記念撮影する観光客© 2023 KOMSOMOL FILMS LLC

――映画には原爆の被害の映像が使われていません。入れる選択肢もあったのですか?

入れようか、入れまいか、ずいぶん悩みました。原子炉国定歴史建造物のツアーで原爆の被害の映像がまったく示されていないことが気になっていましたし、アメリカの観客は見るべきだという強い思いもありました。

ただ、日本の観客にとって、アメリカ軍のカメラで撮影された被害の状況を見ることはトラウマを重ねることになるのではないかと思ったのです。

また、この映画は場所を大事にしています。ハンフォードとリッチランドのみで撮影したので、それ以外の場所の映像を入れることには違和感がありました。

――詩や音楽が織り込まれ、放射能に汚染された大地が詩的に描かれているのも印象的です。

ランドスケープはこの映画の中心的な登場人物の1人だととらえています。というのは、その土地にいるように感じて、体験してもらうことが大事だからです。

大地は現代までの歴史をすべて見つめてきました。何を見てきたのかを想像しながら観て、土地とそこに根付いているものについて考えてほしいと思いました。


高校生には親世代とは違う考えを持つ人たちもいる© 2023 KOMSOMOL FILMS LLC

後半には広島出身のアーティスト、川野ゆきよさんが登場し、果敢にも町の人との対話を試みる。そして原爆を表した作品の強烈なイメージで映画は幕を閉じる。

矛盾を抱えて生きる人への理解が深まる

――映画を完成させて何かわかったことがあれば教えてください。

1つは、アメリカの保守的な考えを持つ労働者階級の人々に対して、最初より複雑な気持ちを持って共感できるようになりました。

危険とわかっていながら働くこと、仕事への誇り、故郷への愛着、そういう矛盾を抱えながら生きている人たちに対する理解が深まったと思います。


アイリーン・ルスティック監督/ イギリス生まれ、アメリカ・ボストン育ち。両親はチャウシェスク政権下のルーマニアから政治亡命した。フェミニスト映画作家、アーカイブ研究者。「リッチランド」は4作目の長編映画。カリフォルニア大学サンタクルーズ校で、映画およびデジタルメディア学教授として映画制作を教えている。裁縫が好きで写真の服は上下とも自分で縫った(写真:筆者撮影)。

――この映画が日本で上映されることについてはどう思いますか?

リッチランドと日本の人には絶対に観てほしいと思っていました。日本で上映できて幸せですし、どんな反応をしてくれるのか、話を聞きたい思いでいっぱいです。これから広島の原爆ドームなどに行く予定です。重要な旅になると思っています。

(仲宇佐 ゆり : フリーライター)