坂本龍一の主張は無謀!神宮外苑「再開発」反対派こそイチョウ並木を大切に…目をそらされる不都合な真実

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 元プレジデント編集長の小倉健一氏は「故・坂本龍一氏に代表される神宮外苑再開発反対派には、決定的に見落としている点がある」と指摘するーー。

明治神宮外苑再開発に反対していた故・坂本龍一の主張

 2023年3月28日、がんで亡くなった音楽家・坂本龍一氏は、東京・明治神宮外苑の再開発に反対していた。亡くなる直前の政治行動だったので、坂本氏のファンらを中心に、神宮外苑の再開発に反対する人が多いようだ。

 坂本氏は、共同通信のインタビューに答えて「もちろん施設の老朽化、耐震、エネルギー供給の整備など更新すべき点は多々あるのだろうと思います。しかし、それらのアップデートを、現存する樹木を伐採することなく進める方法は本当にないのでしょうか?」と問うている。今回は、この坂本氏の提起に答えるべく、論点を整理していこう。

守るべきはイチョウ並木であって、一本一本のイチョウではない

 まず、緑やイチョウについてだ。

 神宮外苑のイチョウは、一般的なイチョウであり、特に保護が必要とされる品種ではない。新宿御苑のイチョウの種から育てられたものであり、このことは一定の文化的価値があるのかもしれないが、再生産可能なものであることも事実だ。

 であるならば、私たちが神宮外苑において、守るべきものがあるとすれば、「イチョウ並木」もしくは「都市空間における緑の確保」ということになる。大きな誤解を持っている人がいるようだが、イチョウ並木についてはそのまま残ることになる。反対派の意見を聞いた上で、開発計画の都合上支障をきたす位置にあるイチョウの木があるものの、事業者は伐採をなるべく回避しようということになった。

 弱って切る必要のあるものは切ることになっているのだが、そもそも自然の森や林、木は生き物だ。寿命が来て枯れたり、台風などの際に、倒れたりするものである。一本、一本の木を切る、切らないで揉める理由などない。繰り返しになるが、私たちが守るべきは、明治神宮外苑のイチョウ並木であって、一本、一本のイチョウではない。一本のイチョウをいくら守っても、結局、寿命がくれば枯れることになる。しかし、そこに新たなイチョウを植えれば、イチョウ並木は守られるのである。

木や森は生き物である、という視点が反対派には欠落している

 枯れたり、倒れそうで危ないものは、さっさと切る。人間の手によって、これまでも、これからも神宮の「イチョウ並木」は守り続けていくのだから、一切伐採するなというほうが、イチョウ並木の保全や、通行人の安全の観点からは危ないということだ。

 緑の確保という観点からいうと、3つある。まず、木の数は1904本から94本増えて1998本。2つ目、緑地面積は、約25%から約30%へと増える。3つ目、これは反対派が鬼の首を取ったように強調している数字だが、緑地体積だ。緑を構成する木は、立体なので、緑地で体積でカウントする方法がある。これについては、34万6000㎥から33万㎥へと4.7%ほど減ることになる。これをもって「緑が減るじゃないかー!」と叫ぶわけだが、冷静に考えて、新たに木を植え直すのだから、体積は小さくて当然だ。成長を待てば、現状を超えるのは時間の問題であろう。

 日本人は、西洋の石の文化でなく、木の文化だ。木や森は生き物であるという当然の視点が、反対派には欠落している。弱った木はさっさと伐採して、新しいものに植え替えるのは、日本人がこれまで歴史的に繰り返してきたことではないか。

今の神宮球場はバリアフリーではないし、飲食店の敷地も狭すぎる。建て替えは大歓迎だ

 次に、不思議な建築計画についても述べたい。

 今回の計画では、野球場を営業しながら、野球場を建設するという難しい課題に挑戦している。神宮球場は、東京ヤクルトスワローズの本拠地で、大学野球、高校野球も含めて年間450試合以上が開催され、さらに球場を使った各種イベントも開催されている。そうした事情から、野球場としての経営をしたまま、野球場をつくることになった。まず、第2神宮球場を壊し、その場所に新しくラグビー場をつくる。新ラグビー場が完成したら、今度は旧ラグビー場を壊し、その場所に、新しい野球場をつくるのだ。阪神タイガースの甲子園球場は、新築せず、改修工事だけしたことをもって、神宮球場も改築だけに止めろと反対派は主張する。

 そもそも公的資金の入っていない民間の事業にいちゃもんをつけること自体が腹立たしいが、現在の神宮球場、私はヤクルトファンなのでよくわかるが、まったくバリアフリーができてないし、飲食店の敷地も狭すぎる。北海道日本ハムファイターズの新本拠地・エスコンフィールドと比べて、なにもかもが古く、汚く、不便で、危ない。それが文化だ、おれはそういうのが好きなんだー、と思うのは勝手だが、弱者にもお年寄りにも優しくない。お客さんは、古い球場にある程度のノスタルジーは感じつつも、新神宮球場を歓迎するだろう。さすがに、現在の神宮球場を文化遺産だとは思わないだろうから、さっさと新しいものに替えるべきだし、その判断は、事業者が考えることだ。

反対派は、明治神宮の財政問題に向き合っていない

 ここからは、反対派の中でも、伝統や文化を大切にする人が大きく誤解している点を指摘していく。

 はじめに、何故に、この計画が持ち上がっているのかといえば、地権者である明治神宮の財政問題がある。この再開発は外苑であり、神宮内苑とは明治神宮のある敷地のことである。明治神宮内苑の広大な土地を維持管理するために、(有り体に言えば)外苑で利益を稼ぐ必要があるということだ。外苑の工事を妨害して泣くのは、神宮内苑なのである。

 さらに、明治神宮外苑は、明治天皇と昭憲皇太后のご遺徳を永く後世に伝えるために造成され、開かれた「外苑」として聖徳記念絵画館や西洋庭園、スポーツ施設等が整備されたものであるが、それが戦後、アメリカのGHQによって接収され、もともとあった西洋庭園がスポーツ・レジャー施設へと改修され、現在の軟式野球場の姿となっている。今回の工事によって、GHQ接収以前の姿が少し取り戻されることになった。つまり、イチョウ並木の奥にある現在「軟式野球場」となっているスペースが、「絵画館前広場」となるのである。この昔の姿に戻そうという計画については、明治神宮が特にこだわっていたと聞く。

坂本龍一の主張の通りにするのは無理がある

 現在垂れ流されているオピニオンの中には、明治天皇にゆかりのある庭園をぶっ壊す、許さん!などというミスリードなのか、勘違いなのか、さっぱりわからない主張が散見される。現在の神宮球場は、バッティングセンターなどの運動施設や店舗等で溢れかえっているが、この光景を明治天皇が観たらどうお考えになるのだろうか。

 他にも小さな論点はいくつもあるのだろうが、とりあえず大きな部分については解説できたところで、冒頭の、坂本龍一氏の問いに答えるときがきたようだ。

 前半の「もちろん施設の老朽化、耐震、エネルギー供給の整備など更新すべき点は多々あるのだろうと思います」というのは、まったく正しい認識だ。次の「現存する樹木を伐採することなく進める方法は本当にないのでしょうか?」について回答する。

庭園文化が戻らなくてもいいのか

 まず、改修工事だけの場合、弱って切るしかない木を除けば、現存する樹木を一本も伐採することなく開発は進められる。ただ、坂本氏の主張は、改修工事だけですませろというのが文意であろうから、それについて答えれば、それは「できない」。

 物理的には可能だが、それをやると、神宮球場のバリアフリー化は狭くてできず、エレベーターも設置できず、ビールやお弁当などの販売スペースは狭いまま。野球観戦の帰りは、人でごった返し身動きがとれないまま。マラソンできるスペースは少ないまま。緑は少ないまま。庭園文化は戻らないまま。そして、明治神宮の財政はしんどくなる一方ということになる。イチョウ並木の整備のお金は今後、誰が出すのだろう。ただし、イチョウは放っておいても枯れるものは枯れる。