『サスケ烈伝』の漫画家・木村慎吾が明かす、『NARUTO -ナルト-』に出会った衝撃。「岸本先生は僕の根源。会うことをリアルに想像しただけで、涙が出てました(笑)」

「少年ジャンプ+」にて連載された『NARUTO-ナルト-サスケ烈伝 うちはの末裔と天球の星屑』(以下、サスケ烈伝)。忍界大戦の終結後、うずまきナルト(以下、ナルト)の病を解き明かすため、うちはサスケ(以下、サスケ)が鎖国の地・烈陀国へと赴くストーリーだ。現在、その下巻が発売中。本作の漫画を担当した木村慎吾氏に『NARUTO -ナルト-』(以下、NARUTO)との出会いについて聞いた。(全3回の第1回)(サムネイル、トップ画像:『NARUTO-ナルト-サスケ烈伝 うちはの末裔と天球の星屑』下巻表紙)

友達の家にあった『NARUTO』に衝撃を受けた

――今回の『サスケ烈伝』を描き始めるまでに、どういう漫画家人生を歩んできましたか?

もともと姉がすごく絵が上手な人で、僕が持っていた『仮面ライダー』のフィギュアの絵を描いてもらって、それを見ながら自分も描いたりしていました。3~4歳くらいの頃ですね。

その後、『鋼の錬金術師』(スクウェア・エニックス)のアニメを観るようになって、アニメには漫画という原作があるんだ、と知りました。

小学校2年生の時に将来の夢を書く授業があったんですが、「絵を描く職業に就きたいけど、画家はどう目指せばいいのかわからないな」と思って。でも漫画家は身近な感じがしたんですね。本当は身近ではないんですけど、そこに漫画家と書いて。それから(漫画家を)すごく意識するようになりましたね。


――『NARUTO -ナルト-』(以下、NARUTO)に出会ったのはいつ頃ですか?

小3くらいの頃、友達の家に行くと『NARUTO』の単行本が置いてあって、そこで初めて出会いました。

それまで読んでいた漫画には、スクリーントーンという画材がたくさん使われていたものが多かったですが、『NARUTO』ではほとんど使われていなくて。「白黒なのに、なんでこんなに立体感があってかっこいいんだろう?」と、子供ながらにすごく衝撃を受けたんです。

それから単行本を集め始めて、中学生の時に「週刊少年ジャンプ」(以下、ジャンプ)を買い始めました。

好きなものすべてが詰まっていた

少年ジャンプ+『NARUTO-ナルト-サスケ烈伝 うちはの末裔と天球の星屑』 第1話

――やはり一番影響を受けた漫画家さんは岸本先生ですか?

そうですね。岸本先生のすごいところを挙げたらキリがないんですけど、やっぱり青年誌的な立体的なかっこよさと、少年誌的なポップなかわいい部分が、絶妙に混ざり合った感じというか。話もすごく面白いですし、キャラクターのデザインもとんでもなくかっこいい。

幼いころからリアルなものが好きで、たぶんみんな『ポケットモンスター』(以下、ポケモン)とかを通ると思うんですけど、僕にはポケモンがあんまり刺さらなくて。

それよりも『デッド オア アライブ』とか『鉄拳』のような格闘ゲームの、敵を突き飛ばすと下に落下して、それを追っていく、みたいなモーションがすごく好きで、それだけをやるためにゲームをしたり。

『鋼の錬金術師』の2003年版のアニメで、オープニングや重要なバトルシーンだけキャラクターが“ヌルヌル”動いたりするのも、子供ながらに「このかっこいいのはなんだ?」と不思議に感じていて。頑張って体を動かして、その真似をした記憶があるくらい、リアルな作品が好きでした。

そこにガチッとはまった漫画が『NARUTO』だったんです。今まで探していた、自分が好きなものすべてがある、みたいな。好きになるべくしてなった感じです。

――上巻のカバー袖のコメントにも書いてありましたが、単行本だけでなく、ジャンプも買い始めたのはなぜですか?

今でも覚えているんですけど、2012年の34~35号が2号連続で『NARUTO』が表紙だったんです。その35号がコンビニに置いてあって、表紙がすごくカッコよくて。

NARUTO-ナルト-サスケ烈伝 うちはの末裔と天球の星屑』上巻の著者近影イラスト

でも、当時、単行本派だった僕からすると、(ジャンプには)ちょっと先の話が載っているんで、買うのをためらって…店内を2~3周して、試しにペラっとめくってみたら、巻頭カラーもかっこいい、漫画のカラーのページもすごくかっこいい、これは我慢できないと思って、そこからジャンプを買い始めました。

手筭賞の存在を初めて知る

――ジャンプには、単行本とは違う魅力がありましたか?

カラーページがそのままで(単行本では白黒)、(そのサイズが)大きいことに衝撃を受けました。

あと、漫画賞というものを開催していて、その中でも「手筭賞」は岸本先生が審査員をやっている、と知って。「これに送ったら、岸本先生に読んでもらえるのかな?」、「いつかは送ってみたいな」と考え始めましたね。

でも中学生の頃は部活や塾などで忙しく、漫画を描く時間がまったくなくて。それがストレスだったので、高校生になったら部活は絶対に入らない、と決めました。

高校に進んでからは、授業が終わったらすぐ家に帰って、平日は6~7時間くらい漫画を模写して。『NARUTO』だけじゃなく『無限の住人』も大好きだったので、そういうのをひたすら描いていました。

――1日6~7時間ってすごいですね。その頃していたのは基本的には模写ですか?

創作もしましたけど、模写が多かったです。『無限の住人』を好きになったのも岸本先生がきっかけで、『NARUTO』の連載が終わったときに、岸本先生と『無限の住人』の沙村広明先生が対談をされていて、岸本先生が「すごく影響を受けた。アクションシーンもかっこいい」とおっしゃっていて。

さっそく学校帰りに、『無限の住人』の13巻と14巻を買ったんです。読み始めたらめちゃくちゃ面白くて、次の週には残りの巻もほとんど買って、そこから“どハマリ”しました。

卒業制作の漫画で手筭賞受賞

――高校卒業後、美術系の学校に進学されたそうですね。

地元が群馬なんですけど、桐生にある短期大学のアートデザイン学科で、漫画を描いたり、イラストとか絵画を学んだりしました。

卒業制作で描いた漫画を手筭賞に送ったら、それで賞をいただくことができました(漫画『クイモドシ』にて第95回手筭賞準入選受賞)。

『クイモドシ』木村慎吾

――その選考で岸本先生がかなり推してくれたそうですね。

嘘みたいだ、夢を見ているんじゃないか、と思いましたね。その号のジャンプを担当編集さんから受け取った瞬間を今でも覚えています。東京から帰る電車の乗り換えの待合室で受賞者発表のページを見たら、岸本先生からのお言葉が書いてあって。

審査員の先生方による「今回はこんな回でした」みたいな総評が載っている欄があって、そこで特定の作品について言及されるのはあんまり見たことがなかったんですけど、そこにも『クイモドシ』のことを書いてくださっていて、衝撃でした。

――岸本先生に初めて会ったのはいつですか?

手筭賞授賞式の時ですね。第一声で「めちゃくちゃ絵上手いよ」とおっしゃってくださって、すごくビビりました。まだコロナ禍ではなかったので、握手もさせていただいて。

ちょっと気持ち悪いんですけど、応募に向けて夜中に漫画を描いている時とか、「これを手筭賞に送って受賞なんかしちゃったら、岸本先生に会えるんだ」ってリアルに想像したら、涙が出ちゃったりしていたんですよ。でも実際に会ったら涙は出ませんでした。当時の自分の想像力が怖いです(笑)。

スマホのロック画面のパスワードも、岸本先生と初めて会ったその日付をもとに組み合わせています。

――それは言っちゃって大丈夫ですか(笑)。

大丈夫です。もう本当に自分のアイデンティティはすべて岸本先生から派生しているんで。『AKIRA』も『無限の住人』も、あとProduction I.Gの『攻殻機動隊』とか、『人狼 JIN-ROH』とか、すごく大好きで。本当に岸本先生は僕の根源ですね。

取材・文/佐藤麻水