ネットマナーや誹謗中傷について考えてみた!

人々が3年ぶりに緊急事態宣言なしのゴールデンウィークを楽しんでいる最中、eスポーツ界隈では某選手が障がい者を揶揄するような発言をしたとして期限付きの活動停止処分を受けたことが話題となっていました。

内容としてはゲームプレイ中の悪態といったもので、単なる独り言に近い言葉であったり、言葉の強弱や視聴者側(受け手)の捉え方の差異といった仔細はあるものの、eスポーツというものが広く公共的に配信され、収益を得るための「興行」として行われているものであればこそ、強い非難や厳格な罰が与えられてしまうのも致し方がないと感じるところです。

eスポーツに限らず、ネット上ではこういった発言の端々を突くような炎上騒ぎが絶えません。友人同士での些細な言い争いやSNS上でのニュースに対する野次罵倒も含めるなら、もはや数え上げるのも無理なほど毎日何かしらの「揉め事」が起きています。

携帯電話の普及から約25年、スマートフォン(スマホ)の普及から約15年になりますが、未だにネットリテラシーやネットマナーが人々に浸透した印象はありません。

ネット利用におけるマナー意識やリテラシーの向上はそれほど難しいことなのでしょうか。罰則を設けなければ直せないものなのでしょうか。感性の原点からテクノロジーの特異点を俯瞰する連載コラム「Arcaic Singularity」。今回はネットマナーの現状と私達が心がけるべきことについて考察します。


問題発言をした選手の所属チーム名が「REJECT」(不合格)とは皮肉なものだ


■つい口から出てしまう「個人攻撃」
筆者もオンラインゲーム中毒者を自称するほどのコアゲーマーであることから、冒頭でお伝えしたeスポーツ選手の発言についても看過できないと感じる一方で、対戦に熱くなり過ぎてしまったんだろうと心中を察するところでもあります。

対戦ゲームはその性質上どうしても感情的になりやすく、とくにオンラインゲームの場合は対戦相手やチームメンバーの顔が見えないことや相手の心理・心情を表情などで読み取れないことが多々あります。

そのため、「どうしてこの人はこんな行動をしているんだ?」、「あんな行動は許しがたい」と憤りに近い感想を持つことがあり、それが対戦プレイ中の高ぶった感情とともに差別的な発言として出てしまうことがあるという心理状態については理解できるところです。

しかしながら、そういった感情的な発言や愚痴はゲームに限らずどこでも発生し得るものです。それがLINEのような知り合いや友人相手のSNSであれば「こんな発言をしたら大変なことになる」と自制が利くものですが、TwitterやYouTubeのライブ配信のチャット欄など、友人・知人相手ではない上に発言が次々に流れていく場所では、自制のタガが外れて強い言葉が支配的になります。

最近では、Yahoo!ニュースのコメント欄での誹謗中傷がひどくなり、コメント欄の閉鎖や非表示機能の導入といった対策を行ったことが印象に強く残っています。


人は「誰も見ていない」、「自分は安全」と感じると自制が利かなくなりがちだ


こういった「タガの外れた発言」は若年層に多いと思われがちですが、利用するサービス(オンラインに限らない)や好む話題・コミュニティに偏りがあるものの、実際には世代に関係なく起こっているものです。

Twitterなどでは30代〜50代のしっかりとした肩書を持つ人々がお互いのイデオロギーをぶつけ合った結果、見るに堪えない人格攻撃の応酬に発展してしまっているケースを多く見受けます。また年配者の場合はネット上ではなく店舗や公共交通機関などでの問題発言・行動が度々ニュースとして取り上げられます。

弁護士ドットコムが2022年3月に公開した「インターネット上の誹謗中傷に関する実態・意識調査」によると、「誹謗中傷をしたことがある」と答えた人は全体の13%、そのうち50代男性が24.4%、40代男性が22.7%となっており、他世代や女性と比較しても特出して割合が高くなっています。

誹謗中傷の内容は「容姿や性格、人格に関する悪口」が83.0%と圧倒的である一方、誹謗中傷をした動機については「正当な批判・論評だと思った」と答えている人が51.1%と最も多かったことから、上記の「お互いのイデオロギーをぶつけ合ううちに誹謗中傷につながってしまった」というケースが非常に多いのではないかと推察されるところです。

40代や50代といえば、社会的にもある程度地位や生き方が固まっているか、もしくは成功を掴めず人生に絶望してしまう年齢です。成功者は自身の成功体験から強い自負とプライドを持っているため、それらを傷付けられる発言に対して感情的になりやすいでしょう。また人生に絶望してしまった人はあらゆる方面へ悪態を付き不満を爆発させ、自身の失敗や後悔を他人のせいだと罵りたくもなるのでしょう。


世の中は誹謗中傷をする人ばかりではない。むしろ9割近くの人はそういった行動をしない



母数集団の世代・性別の分布が定かではないので鵜呑みには出来ないが、傾向として成人男性の攻撃性の高さを感じる



容姿や性格、人格への攻撃が圧倒的に多い。言葉においては非常に卑劣な攻撃手段だ



その一方で、自身の発言は正当であると考えている人が多い点も闇が深い


若年層(とくに中高生まで)の場合、自身の発言が差別的なものであったり、他人を侮辱する発言であることに気がついていない可能性もあります。

社会経験がほぼない世代である上、家族構成でも核家族化や一人っ子が増えて家族という最小単位でのコミュニケーションの取り方や気の使い方、互助思考が学べずにいます。

また、コロナ禍によって学校などでも友人同士での十分なコミュニケーションを取れないまま育ってしまうと、気心の知れた友人なら使える言葉でも、見ず知らずの他人には使ってはいけない言葉なども簡単に口に出してしまう(書き込んでしまう)場合があります。

オンライン上では気が大きくなりやすいという一般論も含めれば、YouTubeのライブ配信などで出演者への見るに堪えない侮辱の言葉が延々と垂れ流されてくるような状況が起こってしまうのも必然のように感じ、非常に気分が暗くなります。


ごく一部の人による発言だとしても、その発言が目立ってしまうのは否めない


■誹謗中傷低減への3つのアプローチ
それでは、こういったネット上での誹謗中傷や問題発言は減らすことは出来ないのでしょうか。筆者はそうは考えていません。減らしていく方向としては、3つのアプローチがあると考えます。

1つは当然ながら、発言する者の意識を変えていくことです。

ネットマナーやネットリテラシーといったものは、特段「インターネット」に縛られた考え方やポリシーではないということを思い出すことが重要です。

性別や人種、容姿など昨今は様々な点で差別発言を容認しない風潮となってきていますが、それはネット上から始まったことではなく、リアルな人間関係の中で生まれた差別や暴力を是正するために始まったことです。

つまり、私たちがネットマナーやネットリテラシーと呼んでいるものは「リアルな人間関係でも行ってはいけない行動や発言」であり、「ネットだから」と特別視して気を使うものではないのです。そもそも、一般生活においても使用してはいけない言葉や行動なのです。

例えば冒頭のeスポーツ選手の発言についても、所属チームの運営会社は「同じ施設内で別のゲームをプレイ中2ボイスチャットを付けていない状態で発したもの」と弁明し、飽くまでも私的な発言であったことを公表していますが、私的であろうとその発言をしてしまうこと自体を問題として捉えておかないと、いつかまた同じ失敗を繰り返してしまいます。

「みんなが見ているとは思わなかった」、「人が聞いているとは思わなかった」ではなく、そもそもそうした問題発言をしない習慣や品行に変えなければいけません。


「誰かが見ているからしない」ではなく、誰もいないくてもしないことを心がけなければ習慣付かない


もう1つはシステムとして排除していくという方法です。

個人的には非常に後ろ向きな対策であり、発言者本人の意識や不満を何も解決していないために改善方法としてはあまり期待しない部分ですが、前述のYahoo!ニュースのように、目に余る発言を削除したりコメント欄を閉鎖するといった手段も、対症療法としては一定の効果を得られるでしょう。

コメント入力(発言入力)の際に禁止ワードを設定したり、AIなどを用いて問題があると判定された発言への警告を表示するなどの措置もまた、システム的な抑止方法の1つと言えます。


Yahoo!ニュースより引用。さまざまな世代・性別・人種・信条・宗教の人々が読む場所だからこそ、発言には十分配慮したい


そして3つ目が刑法による抑止です。これもまた後ろ向きな対策だと感じますが、「侮辱罪」の罰則を強化することで誹謗中傷を抑止しようというものです。

前述の弁護士ドットコムによるアンケート調査では、誹謗中傷対策として侮辱罪が厳罰化されることの認知についてアンケートが取られていますが、厳罰化を「知っている」と答えた人は42.5%、「知らなかった」と答えた人は57.5%となっており、まだまだ一般への周知が不足している状況が見られます。

アンケート内では清水陽平弁護士がコメントとして

「侮辱罪の厳罰化については、個人的には、名誉毀損罪との差が大き過ぎることや、時効の問題など実務上の観点から、比較的、好意的に捉えています。」

「もっとも、厳罰化をするということは、翻って、国民の自由を制限する程度が強まる、ということでもあります。より厳しく取り締まった方がよいと考えている人が多いようですが、場合によっては、自分が取り締まられてしまうリスクがある、ということを考える必要もあるのではないでしょうか」

このように発言されているように、リスクもあり全面的に賛同できるものではないが致し方がない、といったところではないでしょうか。


誹謗中傷はいけない。しかしそれを「法に頼らなければ守れないというのは恥ずかしいことである」と感じなければいけない


■「わんぱく相撲」から学ぶべきこと
今年のゴールデンウィークは、ネット上での問題発言からの炎上騒ぎやeスポーツ選手の謹慎処分などのニュースを立て続けに見る機会があり、さらにゴールデンウィーク企画のライブ配信イベントでもコメント欄が心無い言葉で埋め尽くされるなど、楽しい休暇期間の合間合間に人の中の「嫌なもの」が目の片隅にチラチラと映り込み続けていたように思います。

それ自体はもう何十年も続くネットの風物詩でもあり、「ああ、連休だなぁ(みんな暇なんだなぁ)」と達観するのも慣れたものですが、しかしそこに慣れたくはなかったと感じるのも事実です。

そんな中、土曜日のNHKニュースで小さな希望を持てる一言を目にする機会がありました。

それは東京都墨田区で行われた小学生による「わんぱく相撲」のニュースで、子どもたちが元気いっぱいに相撲を取っている様子が報じらた“ほのぼのニュース”だったのですが、そのニュースの終わり際に大会会長が発した視聴者へのメッセージが非常に印象的だったのです。

「わんぱく相撲は『勇気・礼節・感謝』をモットーに、これからも頑張ります」

勇気・礼節・感謝。それは普段私たちがあまり使わない言葉でありつつ、しかし心の底に常に持っておくべき言葉でもあると痛切に感じたのです。

わんぱく相撲は体力の整っていない小さな子どもたちが体をぶつけ合い、お互いが全力で勝敗を付ける「スポーツ」であるからこそ、怪我などをしないために3つの言葉を強く意識させモットーとしているのかも知れません。しかしながら、それはわんぱく相撲だけに当てはまる言葉ではないでしょう。

意見が合わなくても相手を侮辱しない勇気、不満に思っても礼節を失わない強さ、そしてゲームの対戦相手や議論の相手への感謝を忘れずにいれば、人生を狂わせる謹慎処分も人を死に至らしめるほどの誹謗中傷も起こらず、侮辱罪の厳罰化も必要なかったかもしれないのです。

筆者もまた、ゲームやTwitter、そして執筆の際には「勇気・礼節・感謝」を忘れずにいたいと思います。


いつも心に優しさを


記事執筆:秋吉 健


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