ひろゆきさんが実践してきた「時間をかけずに成果を出す」やり方とは?(写真提供:学研プラス)

「2ちゃんねる」「ニコニコ動画」などのサービスを多数生み出し、「お金」も「自由」も手にしたひろゆきさん。そのひろゆきさんが実践してきた、「時間をかけずに成果を出す」やり方とは?

新刊『なまけもの時間術 管理社会を生き抜く無敵のセオリー23』より一部抜粋してご紹介します。

これまでは、「遅刻しない」「締め切りを守る」みたいなのが、評価における絶対的価値でした。ただ、成果主義社会において、そこだけがむしゃらに頑張るのって、ちょっと微妙な気がします。

「睡眠欲には逆らわないほうがいい」説

最近読んだ記事によると、「早起きできるかどうか」は体質次第で、早起きに向かない人が早起きすると、効率が下がったり体調が悪くなったりするそうです。

「早起きは三文の徳」「早起きは体にいい」というのが世間の常識で、「早起きできないやつはダメ人間」みたいな見方もあるようですが、体質で決められているのなら仕方ありません。それが証明されて、よかったですよね。

そういう僕は、朝型でも夜型でもなくて、「眠いときに寝て、目が覚めたら起きる型」です。眠ければ昼寝もします。そうなると、1日の区切りもよくわからないから、「1日何時間寝る」というのもありません。

強制的に起こされるのは、日本に帰国中、テレビで朝の生放送番組に出演する日ぐらいです。このときばかりは、迎えの車が来て「到着したので、起きてください」って携帯電話をガンガン鳴らされるので、さすがの僕も起きるしかありません。ごくたまにですが、目覚まし時計で起きる朝もあります。

僕たちの体内では、「サーカディアンリズム」という、いわゆる体内時計が刻まれていて、何もなければ、寝る時間と起きる時間が1時間ずつ後ろにずれていきます。そして、僕みたいに予定もなく1日を過ごしがちな人間は、その影響が特に顕著な気がします。

一般的には、朝日を浴びることで、そのずれがリセットされるそうなんですが、好きなことをして夜更かししがちな僕は、朝日を見ると逆に眠くなってしまいます。というわけで僕の生活サイクルは、テレビの生放送で強制的に起こされる日にリセットされて、また1時間ずつずれていくのです。

寝ている時間は無意識だから、「起きよう」と思って起きるのは無理ですよね。

そこで多くの人は、目覚まし時計を使って無理やり意識を覚醒させているわけですが、僕は満足するまで寝たいから、自然と無意識から意識がある状態になって、目が覚めたら起きるというのが1番だと考えています。

夜は、寝落ちする直前までゲームをしたり映画を見たり好きなことをやっています。だから、ベッドに入って何もせずに目をつぶって、眠れる瞬間を待っていることもありません。

これは結果論ですが、「もう起きていられない」というギリギリまで起きていて、ガッと深く寝たほうが、あまり眠くない状態で眠りに入るより、僕の性に合っているみたいです。

最近、けっこう多くの人が、布団に入ってなかなか寝つけないと悩んだりしています。「睡眠負債」なんて言葉がはやったりするのも、「何時に寝て、何時に起きなくてはいけない」という強迫観念があるから“負債”なんて考えるわけですよね。

もう睡眠の「適正な時間」とか、あまり気にしなくてもいいんじゃないでしょうか。

夜、布団に入ってただ目をつぶっていると、「今日はこんなことでヘコんだ」とか「なんでアイツは、いつもああなんだ」とか考え始めますよね。たいていロクでもないことなので、メンタル的にマイナスになる危険も大です。

だから、会社員だとなかなか難しいかもしれませんが、1日の終わり、せっかく自分だけのために使える時間を、「寝落ちするまで好きなことをして過ごす」っていうのも、案外いい方法なんじゃないかと思います。

「ピザ配達」は何年やっても儲からない

睡眠時間を削って何かをしても、寝不足では能力値が格段に下がっているから、あまりいいアウトプットができません。

だったら、睡眠不足のまま期限どおりに質の低いアウトプットをするより、ちゃんと満足するまで寝て、たとえ期限から遅れても、質の高いアウトプットをしたほうが、よほどいいんじゃないか、というのが僕の考えです。

会社員だと毎日そんなサイクルでは生活できないでしょうけど、土日にとことん睡眠をとって、月曜に仕事のピークを持ってくることなんかもできると思います。

そもそも、「時間どおり」「期限どおり」にこなすことに自分の仕事の価値があるって考え方は、特にこれからの時代、だいぶヤバいのではないでしょうか。

例えば宅配ピザ店の配達のバイトは、「時間どおり」に価値を置く典型的な仕事と言っていいですよね。

時間あたりで受け取る報酬を大きく増やしたいなら、当然ですけど、その仕事の「価値」を上げる必要があります。でも、ピザ店の配達は「ピザが冷めない30分以内に届ける」というのが価値であって、何年やっても、大きく価値を上げるのは難しい。

「じゃあ、15分以内に届ければいいじゃん」って考える人もいるかもしれません。でも、ピザが届く時間が30分から15分になったところで、多少うれしくはあるけれど、仕事の価値が劇的に上がるかというと、かなり微妙な気がします。

とにかく、「時間どおり」が価値になる世界って、そういうことなのです。

もちろん、「熱々のピザを届けて喜んでもらうのに無上の幸せを感じる」とか、「配達のバイクに乗って風を切っているときこそ人生の生きがいだ」とかのように、給料なんて関係なく、そこに幸せを感じられるのなら、そのままでいいと思いますよ。

ただ、現時点で提供している価値が、それより上がりようのない世界にいながら、「時給が上がらない」などと文句を言うのだったら、その仕事についてちょっと考え直してみたほうがよさそうです。

まあ、あくまで僕の考えなので、異論はあるかと思いますけどね。

そもそも「遅刻は悪」なのか?

先ほどもお話ししたとおり、僕は人より遅刻が多いみたいです。だから最近は、「こいつは遅刻する」とわかっている人しか連絡をしてこない状態だったりします。

十分な睡眠をとらないとアウトプットの質が悪くなる、と言いましたが、日本に帰国中は毎日のように人と会う予定があるので、睡眠時間が削られて寝不足のまま出かけることもあります。

例えば、13時半に人と会う予定があるのに、前の晩から友達とファミレスで話し込んでしまって朝の7時に帰宅したときなんかも、寝不足のまま出かけました。

といっても約束の時間には間に合わず、遅刻したんですけどね。当初の予定ではもっと早く起きるつもりだったのに、ちょっと寝ようと思ったら、思いのほか深く眠ってしまったみたいです。

遅刻されて怒る人もいるのでしょうが、そもそもの発想が遅刻を前提としていないからだと思います。待ち合わせ場所を決める時点で、「遅刻しても罪悪感がない場所」「遅刻されても苦にならない場所」に設定しておけば、遅刻問題のほとんどは解決するんじゃないでしょうか。

例えば僕は、学生のころから「待ち合わせは書店で」と決めていました。書店なら、雑誌とか本を立ち読みしている間にあっというまに30分くらい経ってしまうから、僕が遅刻して行っても怒られたことはありません。

むしろ相手が「ちょっと待ってて」なんて言って立ち読みを続け、僕のほうが待つ雰囲気になったり、「だったら僕も」と書店をブラブラ物色したり、ということもよくありました。結局お互いにとって、ムダな時間は生まれませんでしたね。

待ち合わせというと駅前とかが一般的ですが、そういう場所で何もせずに待っている時間は、相当な時間の浪費だと思います。

遅刻の是非はともかくとして、遅刻を怒るタイプの人は、おそらく僕みたいな人間と仕事をしてもうまくいきません。

そういう人は、「時間どおりに来るべきだ」「間に合うように起きるべきだ」といった「べき論」で物事を考えていて、多くの場合、仕事も正攻法で考えるタイプです。

でも、僕は多くの人が考える「正しい方法」を取ることは多くありません。

今までに何度も取られてきたような方法だったら、たぶん今までに出てきた以上の結果は出ないんじゃないかと思います。だったら僕がやらなくてもいいと思うので、あえて正攻法じゃないほうをいくようにしています。

つまり、僕にとって「遅刻を怒る人」とは、物事との向き合い方や仕事のスタンスが違っている、相性の悪い人ということになります。

そもそもの価値観が異なる人と組むことになって、いろいろとエネルギーを使ってすり合わせるのは、お互いにかなり非効率ですよね。だから、正攻法が好きな人には、僕が遅刻したときにブチ切れるなりなんなりして、早めに離れてもらったほうがラクなのです。

もちろん、そこまで周到に考えて、あえて遅刻しているわけではないんですけどね。

「自分だけの価値」で生き残る

世の中には「時間どおり、予定どおりにこなすこと」を重視する風潮が根強いですし、「時間を守ること」に命をかけているような人もいますよね。たしかに、周囲と協調して物事を動かしていくことは大切なんですけど、そこには何の価値も生まれていない、「空っぽの行為」もかなり多く見かけます。


会社なんかでも、時間どおりに集まれと招集をかけているのに、何を決めたいのかよくわからない会議とかが、結構ありますよね。

いつでも定刻どおり、決められたとおりに動いているのに、能力次第でどこかに飛ばされる。会社ではこんなことも日常茶飯事です。それなのに、いつも会議をすっ飛ばしているやつが、意外な結果を出して上司から褒められたりするじゃないですか。

このあいだ経団連の偉い人も、「終身雇用なんてもう守れない」と宣言していましたし、組織が未来の安定を確約してくれる時代はもうすぐ終わってしまいます。そうした世の中で快適に生きていきたいなら、「自分だけの価値を生み出すこと」や「優先順位を意識して動くこと」をよく考えたほうがいいんじゃないかと思います。

僕の知り合いで事業を興して成功している優秀な人たちなんかも、みんな、そうしているように見えます。

前もって決めた予定どおりに、ただ仕事をこなすだけというのは、むしろ、何も考えていない人がやることなんじゃないでしょうか。それだと「人から使われることに優秀な人」になれても、「自分で物事を動かすことに優秀な人」には、たぶんなれないだろうと思うのです。