八千草薫さん「おたまじゃくしをなんとか助けたい」小さな命にも注いだ愛と優しさ
昭和、そして平成と“生涯女優”を貫いた八千草薫さんが、88歳でこの世を去った。お茶の間では可憐で上品な雰囲気で親しまれたが、彼女ほど生きとし生けるものを愛した女優はほかにいなかった。それは自宅近くの公園に生息する“おたまじゃくし”にも注がれて──。
おたまじゃくしがかわいそう
「本当にやさしい方でした。八千草さんから“おたまじゃくしがかわいそう。なんとかならないでしょうか?”という相談を受けたこともあります」
そう話すのは、『日本生態系協会』の池谷奉文会長。先日、88歳で亡くなった八千草薫さんは自然豊かな街づくりを目指す活動を行う同協会の理事を20年近く務めていた。
「ご夫婦で山登りをするのが趣味で、以前から自然が好きであることは知っていました。ですが、“うちの理事をやっていただけませんか”と言う勇気はなかなか出ませんでしたね(笑)」(池谷会長、以下同)
八千草さんは宝塚歌劇団出身で、'77年のドラマ『岸辺のアルバム』(TBS系)などで知られる大女優。そんな彼女が’85年に旧環境庁の自然環境保全審議会の委員になった。
「彼女は“本気”なんだと思ったんです。それで、私が意を決して理事に誘ったところ、“はい”とふたつ返事で引き受けてくれました」
無報酬だったが、理事会には必ず出席していたという。池谷会長も年に5、6回は会うようになり、いろいろな生き物の話をするように。するとある日、彼女から冒頭の相談を持ちかけられた。
「自宅の隣にある公園にコンクリートの池があるそうなんです。春になるとそこに、カエルの卵がかえってたくさんのおたまじゃくしが生まれるんですが、足が生えてカエルになってもコンクリートで滑って池から出られない。八千草さんは“そんなおたまじゃくしの姿がかわいそうでならないから、なんとかできないか”と言ってきたんです」
とはいえ、公園の改善はなかなか難しいもの。そこで、池谷会長がある提案をした。
「ご自宅の庭にカエルのお家を作りましょうと。すると、“素晴らしいわ”と賛成してくれたんです。そこで、私たちが八千草さんの庭全体をビオトープに作り替えました」
“ビオトープ”とは、その地域にもともと生息している野生の生き物たちが暮らしたり、利用したりする場所のこと。このおかげで、公園の池で卵を産んでいたカエルが八千草さんの庭にやってくるようになった。
「毎年、春になると“カエルの卵が無事に育っています”とうれしそうに報告してくれていました。こんな女優さんがいるんだとビックリしました」
とってもお似合いだからよかったら着てください
やさしさは、最後のメッセージが記された書籍『まあまあふうふう。』(主婦と生活社刊)の担当編集にも注がれていた。'18年10月、同書の撮影で長野県の八ヶ岳高原にある八千草さんの山荘へ行ったときのこと。
「山荘は、高原の中でも標高の高い場所にあるので、高原の入り口よりもずっと気温が低いんです。ところが僕が油断して、薄手のジャケットだけしか持っていかなかった。日が暮れてきたら、ぐんぐん寒くなってきて。
すると八千草さんが“それじゃあ寒いでしょう? これ、山小屋にずっと置いてあったものだけれどよかったらどうぞ”と、鮮やかなグリーンのマウンテンパーカを貸してくださったんです。それで、ありがたくお借りしました」(担当編集、以下同)
無事に撮影を終えて、パーカを返そうとすると、
「“明日も撮影でしょう? 山は朝も冷えるから、それ着ていらしたら? 差し上げますから”とおっしゃられて。聞けば、そのマウンテンパーカは亡くなられたご主人のものだったそうです。“主人のお古で悪いですけれど、アメリカのもので丈夫だし、ほとんど着ないままだったから”とニコニコされていて。
そんな大切な思い出の品なら、ますます受け取れないのでお返ししようと慌てて脱いだのですが、“いいのいいの。とってもお似合いだからよかったら着てください。服だってずっと置きっぱなしにされるより、誰かに着てもらえたほうが幸せでしょう?”と、言っていただきました」
“すごい暑いですね〜”と場を和ませた
晩年はがんとの闘いの連続だった。'17年春に乳がんが発見され手術したが、同年冬に膵臓がんが判明。翌'18年1月に7時間におよぶ膵臓の摘出手術を受けて順調に回復していた。
しかし、'19年1月に肝臓にがんがあることが見つかり同年4月からスタートの『やすらぎの刻〜道』のヒロイン役を降板した。そんな中、今年5月、前出の協会が手がけた『昆虫の家』の除幕式には出席。これが公の場での最後の姿となった。
「入院されているとは聞いていたのですが、“昆虫がすむ家ができた”とお伝えすると大喜びしてくれて……。お会いすると、病気とは思えないほど元気でした。
その日の気温は30度近かったのですが、スピーチの冒頭で“すごい暑いですね〜”と場を和ませてくれました。明るくてユーモアがあって、大女優という壁はまったくなかったです」(前出・池谷会長、以下同)
彼女が病を押し出席したのには、理由があった。
「『昆虫の家』が建っている『森の墓苑』に来たいともおっしゃっていたんです。以前、環境問題のお話をした際、日本はお墓を造るときに自然を壊しているとお伝えしたことがあったので」
墓石のかわりに木を植えることで、開発された森を再び豊かな自然に戻すという『森の墓苑』が生まれた。八千草さんは人間としての理想の最期をそこに見たのかもしれない。 前出の担当編集は、
「“本を出しませんか?”とオファーしたときが、極秘で膵臓がんの手術を受けたばかりだったそうです。事務所の方からは“本人に相談してみますが、おそらく難しいと思います”と言われていましたが、八千草さんご本人が“書いてみようかしら”と言ってくれたそうです。
事務所の方いわく“きっと本人の中で何か書き残しておきたいことがあるんだと思うんです”と。八千草さんのその思いを、僕もしっかり受け止めなきゃいけないと強く思いました」
生きとし生けるものに“やすらぎ”を与え続けた──。