一対多数で勝つには何が必要でしょうか(写真:wavebreakmedia/PIXTA)

アメリカ海兵隊だけでなく、ビジネスの世界でも優良企業に採用され、いま話題のOODAループは、2冊の東洋の書物の影響を受けています。1つが『孫子』、もう1つが宮本武蔵の『五輪書』です。発売1週間で2万部を突破した、古典的名著の日本語版『OODA LOOP(ウーダループ):次世代の最強組織に進化する意思決定スキル』を翻訳・解説した神戸大学大学院の原田勉教授に、前回の「PDCAがAI時代では『オワコン』な根本理由」に引き続き、OODA(観察<Observe>、情勢判断<Orient>、意思決定<Decide>、行動<Act>)はビジネスにどのように役立つのかについて、宮本武蔵の決闘を事例に語ってもらった。

なぜ武蔵はたった1人で剣術の名門を破れたのか?

宮本武蔵は生涯で60を超える決闘を行い、そのすべてに勝利しています。それらの決闘のなかで有名なのは、佐々木小次郎との巌流島の戦いです。しかし、これはかなり吉川英治の小説『宮本武蔵』(新潮文庫)の創作が入っているようです。


おそらく武蔵にとって最も重要な勝利は、京都の一乗寺下り松での吉岡家一門との決闘でしょう。吉岡家は将軍家兵法指南役を務めた名門であり、そこを破ることで武蔵の名声は飛躍的に高まりました。この吉岡一門との決闘は、一度だけではなく、複数回行われたようです。そして、その最終的な決闘となったのが、一乗寺下り松の決闘です。

では、武蔵はなぜ勝利することができたのでしょうか。小説では、一乗寺下り松の決闘では、数十人に対して武蔵が一人で立ち向かい、勝利したことになっています。確かに現場には数十人とも数百人ともいわれる門弟たちが集まっていたようです。

しかし、実際の相手は12歳の幼い当主、吉岡源次郎でした。武蔵は一乗寺下り松を一望できる高台から敵の動向を観察し、源次郎が油断している隙を逃さず、気づかれないように一挙に近づき、背後から斬り倒したのです。不意を突かれ慌てふためいた一門の者の何人かは、武蔵に向かっていきましたが斬られてしまい、武蔵は一目散にその場所を立ち去ったのです。

巌流島の決闘でも、武蔵はあえて約束時間よりも大幅に遅れて現れ、いらいらした小次郎に対して闘いを挑んでいます。これらの戦い方は、OODAでいう物理的・心理的な奇襲戦略です。これによって相手をパニックに陥れ、心理的に麻痺させることで優位に闘いを進めているのです。

勝負は闘う前の準備で決まる

それでは、宮本武蔵の戦略とは具体的にはどのようなものだったのでしょうか。『五輪書』のなかで、武蔵は次のように書いています。

「さらに、命がけの戦いで、一人で五人、十人ともたたかい、確実に勝利する道を知ることが、わが兵法なのである」(鎌田茂雄訳註『五輪書』(講談社学術文庫)。

つまり、確実に勝つ戦略を武蔵は心がけていたのであり、決してフェアな条件のなかで強さを競うことにはなかったのです。その戦略の要諦は、「裏をかき、機先を制す」ということです。つまり、敵が行おうとする前に、その出鼻をくじくことで優位に立つことを心がけたのです。

それが可能なのは、事前の観察があるからです。武蔵は次のように書いています。

「また一対一の戦いにあっても、敵の流派をわきまえ、相手の性質をよく見て、その人の長所短所を見わけて、敵の意表をつきまったく拍子のちがうように仕掛け、敵の調子の上下を知り、間の拍子をよく知って、先手をとってゆくことが重要である」(『五輪書』)

これは、OODAの観察および情勢判断を指しています。ただ単に観察するだけでなく、敵の長所・短所、心理的な状態を洞察することです。

特に、武蔵は敵の心理を重視します。敵が期待し、予期することと違うことを行い、意表を突き、パニックに陥らせる。実際、武蔵は相手の背後から斬りつける、約束の時間に現れないなど、敵の予想をことごとく裏切る行為に出て、心理的に優位に立ち、そのうえで勝負しているのです。

この武蔵の戦略は、まさにドイツ軍の電撃戦に相当します。電撃戦では、イギリス・フランス連合軍が、ドイツが侵入してくるだろうと予測していたフランス国境北部ではなく、難所であった南部のアルデンヌの森を戦車軍団が高速移動で越境し、北部で待機していた連合軍主力部隊の背後を攻撃して、2〜3週間のうちに勝負を制してしまったのです。

ドイツ軍は、敵の意表をつき、予期していなかったところから攻撃をすることで、相手を心理的にパニックに陥らせました。実際、連合軍は戦う前に戦闘を放棄して現場を逃走する兵が後を絶たなかったため、ドイツ軍はほとんど反撃を受けず、最小限の損害で量的に自軍を上回る連合軍を制圧することができたのです。このような機動戦の原型が、すでに武蔵の決闘のなかに、そして『五輪書』の記述のなかに見られるのです。

つまり、武蔵の戦略とは、闘う前に心理的に優位に立つということです。これは孫子の「戦わずして勝つ」の武蔵なりの具体化です。機先を制し、闘う前に、心理的に優位に立ち、「勝つべくして勝つ」ことを可能にしたのです。

OODAの武蔵、PDCAの剣術猛者

このような機動戦には、不確実性の削減が重要です。敵よりも多くの確かな情報を得て、敵よりも情報的に優位になることで、心理的優位性も獲得することができます。この不確実性の削減の主なツールが、OODAになります。

OODAの要諦は、観察と情勢判断です。観察では、敵よりも多く現場を観察すること、武蔵の例でいえば、高台から敵の動向を観察し、チャンスを見いだすや否や、即座に攻撃を仕掛けるということです。この時点で敵は武蔵の行動を観察できていないため、情報面で不利な立場にあります。これでは、勝つべくして勝つことは不可能です。

おそらく、武蔵の決闘相手は、剣術自慢の猛者であり、闘いとは力と力のぶつかり合い、剣術の腕で決まると思い込んでいたのでしょう。彼らは約束された時間と場所をキチンと守り、フェアな条件の下で決闘を望んでいたのです。これはまさにPDCAを回そうとしていたと捉えることもできます。

一方の武蔵は、剣術の腕はさることながら、闘う前に勝利することを心がけていました。つまり、OODAループを回すことで、敵よりも情報面、心理面で優位に立ち、そのうえで剣術では互角か場合によっては互角以上だったかもしれない相手に攻撃を仕掛け、勝つべくして勝つことができたのです。

両者の違いは、情報収集を初期の段階で行い、そのうえで即座に決断し行動していたのか否かという点にあります。

現代の軍事戦略である機動戦の特徴も、まずは戦地に少数の特殊部隊を送り、敵の状況を観察し、逐一、司令部に連絡をしながら、好機を探し、一瞬のチャンスをつかむと、待機していた部隊がそこを高速で攻撃するという点で共通しています。これには観察、情勢判断が大きな役割を果たしているのです。

キーエンスの高収益の秘密

これは当たり前のことで、ビジネスの現場ではどこでもやっていることだと思われるかもしれません。確かに、OODAの概念は非常にシンプルなもので、説明を受けると常識的な感じがします。しかし、これを組織的に回していくのは決して簡単なことではありません。OODAは、シンプルだけれども簡単ではないのです。

現在、私はOODAをビジネスの現場で回すいくつかの興味深い取り組みについてヒアリング調査をしています。その成功事例の1つとして、キーエンスの取り組みを紹介しましょう。

センサーメーカーであるキーエンスは、きわめて高収益であることで有名です。この高い収益性を支える主要な要因の一つが、同社の高い開発力にあります。ヒット商品を数多く開発することで、同業他社が模倣する前に稼ぐというビジネスモデルなのです。

OODAの視点で見たとき、キーエンスの強みは、営業情報ではなく、開発情報を迅速に収集する仕組みを整備している点にあります。開発情報とは、ある製品が顧客の現場でどのように使用されているのか、その課題、問題点は何なのか、といった具体的な製品の使用状況に関する情報です。

そのため、キーエンスでは、企画立案担当者が、直接、さまざまなユーザーを訪ね、現場を実際に観察するところから始めます。そして、現場を観察し、そこで課題、問題点を情勢判断します。これが、新製品開発のネタになるのです。

たとえば、同社のヒット商品「BIOREVO」という蛍光顕微鏡も現場の観察から生まれました。

生物学、医学の研究で使用される蛍光顕微鏡は、細胞の特殊な試料で染色し、発した光を観察します。ここで発せられる光は非常に微弱であり、従来の蛍光顕微鏡では、暗室でしか観察することができませんでした。また、顕微鏡をのぞいて観察するため、同時に観察することができるのは一人だけでした。これが蛍光顕微鏡の開発情報になります。

このことからわかるのは、明るい場所で多人数が同時に観察できればさらに使用状況は改善されるということです。これが情勢判断に該当します。

そこで顕微鏡自体をケースで覆い、パソコンにつなげば、明るい部屋で複数の人が同時に観察することができるようになります。これが開発情報を受けた企画であり、意思決定にあたります。このようにして「BIOREVO」という新たな蛍光顕微鏡が開発されたのです。

同業他社がこの蛍光顕微鏡の開発で狙っていたのは、解像度向上、データ保存、操作性向上などでした。しかし、これはどこでもやっていることで、それで差別化することは難しかったのです。

キーエンスの関係者にヒアリング調査すると、彼らは、「われわれは企画段階ですでに勝つべくして勝つことができている」と言っていました。つまり、同業他社と比べて、開発情報という点で優位に立ち、それに応じた製品開発の意思決定を迅速に行う組織的な仕組みがあるため、確実に勝つことができるのです。

OODAは日本企業に導入しやすい

PDCAが主流になっている日本企業では、いままでOODAが注目されてきませんでした。しかし、その源泉は、宮本武蔵によって主張されていたことなのです。実際、OODAは日本企業の伝統的な文化と整合的です。例えば、あうんの呼吸、仲間意識などはOODAを成功裡に回すための必須条件になります。OODAは、日本企業こそ導入しやすいのではないでしょうか。

私は、OODAという言葉ではなく、PDCAという言葉にこだわりたいのであれば、それはそれでよいと思っています。PDCAであれOODAであれ、経営課題に果敢にチャレンジしていくことができるのなら、どちらの言葉を選ぼうが問題はないのです。ただし、観察、情勢判断、意思決定、行動を速く回すというOODAの長所を生かす工夫ができていれば、という留保条件をつけたいと思います。

問題は言葉ではありません。大切なのは、行動であり、それを支える仕組みです。OODAに含まれた行動、ひいては宮本武蔵が『五輪書』で解いた機動戦を実現するための仕組みを組織的に整備していくことが、今後、ますます不確実性が増し、意思決定のスピードが求められる競争環境のなかでは重要になってくるものと思われます。