スカーレット・ヨハンソンのキャスティングに抗議したジェイミー・クライトン(写真:Greg Doherty/Getty Images)

映画産業の中心地アメリカ・ハリウッドで活躍する女優スカーレット・ヨハンソンが、生まれたときに割り当てられた性別から移行する「トランスジェンダー」の男性役を降板する騒動があった。ライターの鈴木みのりさんが、自らの経験を交えて2回にわたって考察する。前編は「トランスジェンダーが躍動するハリウッド」。

今回の騒動を巡る主な批判としては、トランスが俳優として雇用される機会が奪われるという点がある。

映画を製作する側には、知名度が高く観客動員数が見込める(=経済性が高い)俳優を起用したいという思惑もあるだろう。実際、ヨハンソンはハリウッドを代表する人気俳優の1人として知られ、「史上最も興行収益をあげた女優」と称されたこともある。

生まれた時に割り当てられた性別から移行をしない「シスジェンダー」の俳優が、トランスの役に対して魅力を感じる理由はわからなくもない。役者の仕事には、自分より遠いものを演じるおもしろさがあるからだ。

トランス俳優がヨハンソンを批判

これまでもハリウッドはじめ欧米の映画界では、数々の人気俳優がシスでありながらトランスを演じてきた。


抗議を受けて主演映画を降板したスカーレット・ヨハンソン(写真:Mario Anzuoni/REUTERS)

代表的な例としては、『ボーイズ・ドント・クライ』(1999年)のヒラリー・スワンク、『トランスアメリカ』(2005年)のフェリシティ・ハフマン、『ダラス・バイヤーズクラブ』(2013年)のジャレッド・レト、『リリーのすべて』(2015年)のエディ・レッドメインが挙げられる。

スワンクはトランス男性役、ほか3人はトランス女性役を演じ、それぞれ高い評価を受けてアカデミー賞をノミネートまたは受賞している。

これらの作品でもシス俳優がトランス役を演じることに対し、トランスのコミュニティから批判はあった。そして今回も抗議の声が上がった。

ヨハンソンがルパート・サンダース監督の『Rub & Tug』(原題)でトランス男性を演じると報じられた際、トランス女性で俳優として活躍するトレイス・リセットやジェイミー・クライトンがツイッターで辛辣に批判した。

リセットは「シスの俳優と等しくトランスの俳優に配役の機会が与えられていないこと、実際に生きるトランスの声の積み重ねの中で生まれるキャラクターをシスの俳優が盗用し、賞や名誉を得てきたのだ」と指摘した。

クライトンも「トランス俳優はトランス役のオーディションにすら呼ばれない」とシスとの間の不平等に言及した。

こうした声をよそに、歌手の宇多田ヒカルはツイッターで、シスがトランスを演じてはいけないと言うならば、トランスはシスを演じてはいけないということにならないか、という主旨の疑問を呈していた。

だが、宇多田はこの投稿後、さまざまな意見を受け、「この問題の核心を見失っていた」とツイートした。

スター不在でもトランス映画はヒットする

筆者自身もトランスだ。生まれたときに「男性」という性別を割り当てられたけれど、女性的とされる性別表現(服装や振る舞いなど)を選択し、戸籍の性別を「女性」に変更した。

リセットが指摘するように、現実に生きるトランスたちの人生や注目度を利用して映画やドラマを作るのであれば、経済性だけでなく敬意が必要ではないかと、筆者も考える。

一般社会において、シスとトランスの権利は均等ではない。それと同様に、ハリウッドにおいてもシスとトランスの間で役者として職を得る機会が等しくない以上、まずその点が見直される必要があるのではないだろうか。

出演俳優の知名度と映画の興行成績が比例する側面もあるだろう。だが、スターがいないと観客を動員できないわけではない。

ロサンゼルスでセックスワーカーとして生活するトランスを描いた『タンジェリン』(2015年)は、それを証明した作品の1つだ。

ショーン・ベイカー監督とプロデューサーらは、脚本の執筆にあたり、リサーチを重ねる中で知り合ったトランス女性らの声を反映した。そのうえで、キャストにはほぼ素人を起用し、予算10万ドルに対して9倍以上の収益をあげた。

主要キャストのマイア・テイラーは、アカデミー賞の前哨戦の1つともいわれるサンフランシスコ映画批評家協会賞とインディペンデント・スピリット賞などで、トランス女性として助演女優賞を複数受賞するという、史上まれに見る快挙を成し遂げている。

また、Netflixのドラマシリーズ『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』で不動の地位を築いたラヴァーン・コックスは、トランス女性としてはじめてエミー賞にノミネートされ、高い評価を受けている。

ヨハンソンを批判したリセットは、アマゾンプライムの人気ドラマシリーズ『トランスペアレント』で主要な役を演じている。同じくヨハンソンの配役に抗議の声をあげたクライトンも、Netflixのヒットドラマ『センス8』で主役の1人に抜擢されている。

このように、アメリカではトランスコミュニティから演技力やスター性のある人物が出てきている。

映画界でも就労への配慮が必要

ところが、アメリカの映画スタジオは決して積極的ではない。

アメリカ国内でのLGBTQに関するメディアモニタリングを行っている団体「GLAAD」の調査によると、ソニー・ピクチャーズ、ワーナーブラザーズ、ウォルトディズニースタジオなど主要映画スタジオ7社で2017年に製作された作品の中で、トランスジェンダーは一切登場していないという。

トランスが映画、テレビ業界で俳優として雇用の機会を得るのは、かなり困難な状況だ。

この問題は、シスに対してトランスが、不当な差別を受けやすく不平等な地位に置かれる社会問題とも関わってくる。そうである以上、現実を意識した配役、つまり就労への配慮が必要になってくるはずだ。

その意味では、現在アメリカで放送されているテレビドラマ『Pose』の製作チームは注目に値する。140人以上のトランスはじめ、LGBTQである人々をスタッフとして雇用しているのだ。

80年代後半のニューヨークを舞台にトランスらが描かれる本作を手掛けているのは、ミュージカルドラマシリーズ『glee/グリー』の製作総指揮、脚本、演出でも知られるライアン・マーフィーだ。

彼自身がゲイでLGBTはじめ性的マイノリティとの関わり合いが強く、かつヒットメーカーであるため、こうした配役、スタッフ起用が成立したのではないかと考えられる。

女性の権利問題の運動でもアメリカでよく知られているトランス女性のジャネット・モックも、脚本家、演出家、プロデューサーとして製作に関わっているという。

アメリカのテレビシリーズで、有色人種かつトランス女性という、幾重にもマイノリティ属性を抱えるモックが大役を任されるのは稀有だ。就労など社会進出に困難を抱える多くの性的マイノリティにとって勇気づけられる出来事だろう。

多様な生き方が奨励されるきっかけに

前出のクライトンが出演する『センス8』を作ったウォシャウスキー姉妹も、性別移行したトランスだ。かつて「兄弟」と呼ばれた時代に製作した『マトリックス』シリーズ以来、クリエイターとしてハリウッドで活躍している。

アメリカでは、トランスの俳優やクリエイターたちが仕事をこなすに足りるだけの十分なスキルを備えてきているという状況がある。ヨハンソンも映画の降板を表明した際、「映画業界における多様性を奨励する」という主旨のコメントを出している。

ハリウッドでの「トランスがトランスの役を演じるべき」という議論が日本にも波及し、多様な人々が登場し、多様な生き方が奨励されるきっかけが生まれてほしいと思う。

(文中敬称略)