インスタ映えスポット「埋没鳥居」が持つ文化的側面 その魅力が深〜い!
「埋没鳥居(まいぼつとりい)」がツイッター上で話題となっている。2018年3月5日、まとめサイト「togetter(トゥギャッター)」に投稿された「埋没鳥居まとめ」がきっかけのようだ。
代表例の一つが、鹿児島県鹿児島市にある黒神(くろかみ)埋没鳥居。1914年(大正3年)に起こった大噴火で、鳥居がすっかり埋没したという。
そこでJタウンネット編集部は、「埋没鳥居まとめ」の投稿者である永太郎さんに話を聞いてみることにした。
「痕跡」としての埋没鳥居の魅力とは?
黒神埋没鳥居(Tzuhsun Hsuさん撮影、Flickrより)
永太郎さんには、ツイッターのDM(ダイレクトメッセージ)機能を利用して質問を送り、回答を返してもらった。
まず、埋没鳥居とは何かについて、こう答えてくれた。
「鳥居が『埋没』するのには様々な理由がありますが、鹿児島の埋没鳥居は主に噴火によって埋没したものです。大正13年(1914)、桜島は大噴火を起こし、その溶岩流によって対岸の大隅半島と陸続きとなりました。この災害によって周辺地域は大きな被害を受け、いくつかの集落は火山灰の下に埋もれてしまいました」
かろうじて鳥居の上部が残ったのが、「埋没鳥居」というわけだ。しかし、噴火以外の理由で、「埋没」した鳥居もあるそうだ。
「同じく鹿児島県の種子島にある熊野漁港には、海に向かって立つ埋没鳥居があります。これは近くの恵比須神社の鳥居で、港の堤防を築く際に埋まってしまったものだそうです。その他にも、ダム工事によって埋まってしまったと言われる鷹子神社(薩摩川内市)の鳥居や、おそらくは沿岸流が運ぶ砂によって埋まった直島恵比須神社(香川郡直島町)の鳥居など、埋没鳥居は各地にあるようです」
次に聞いてみたのは、「埋没鳥居の魅力とは何か?」だ。
「埋没鳥居の面白さの一つはそのユニークな姿でしょう。上部だけが地表に出た姿が目立つためか、熊野漁港や直島の埋没鳥居などはいわゆる『インスタ映え』スポットとなっているようです。
一見のユニークさも面白い部分ですが、私は『痕跡』としての埋没鳥居にも魅力を感じます。一般に、日本の集落において神社は共同体の象徴としての役割を持っています。神社の入口である鳥居は特に象徴的な景観として認識されているでしょう。そんな鳥居が埋もれてしまう、それは共同体にとってアイデンティティの喪失とも言える出来事だと思います。災害によって埋没し、わずかに残された鳥居は、失われた過去を追想するための拠り所となるでしょう」
永太郎さんは、さらに続ける。
「面白いのは、噴火後に鳥居を掘り起こす動きがあったのにも関わらず、結局埋まったままで残された点です。これは当時の東桜島村長・野添八百蔵氏の働きかけによるもので、彼の噴火の様子を後世に伝えるために埋まった鳥居はそのまま保存されることとなりました。集落の象徴であった鳥居が、桜島大正噴火という災害の象徴として読み換えられたわけです。『痕跡』として実体が残っていることが、象徴としての役割を持ち得る根拠となっているということですね」
永太郎さんが以前、黒神埋没鳥居を訪れた際には、中学校の生徒が作成した説明板や「黒神防災新聞」などを目撃したそうだ。黒神地区の防災意識の高さが感じられたという。
「目の前の光景を通して歴史的・地理的な背景に思いを寄せられること、それが埋没鳥居の面白さであり、強さであると思います」と永太郎さん。
ユニークな「インスタ映え」スポットとなっている「埋没鳥居」の背景にある、地域の人々の想いは深い。