今季もJ3の相模原でプレー。42歳を迎え、ますます円熟味は増した。写真:佐藤明(サッカーダイジェスト写真部)

写真拡大 (全4枚)

 川口能活は、身振り手振りを交えて話す。
 
 そのしぐさは、時に大きくなる。身長は180センチと、プロのGKとしては決して大柄なほうではないが、右腕がにゅっと前に出てくると、形容しがたい威圧感がある。
 
“これが世界を相手に戦ってきた手か”と、一瞬のけぞってしまう。5本の指を大きく開いたその手に、目が釘付けになる。
 
 中学、高校で全国制覇を経験。高卒で名門・横浜マリノス(当時)に加入し、2年目には守護神の座に就く。代表では28年ぶりの五輪出場に貢献し、A代表では98年フランス大会を皮切りに、4度のワールドカップでメンバー入りを果たす。日本人GKとして初めて欧州移籍を実現すれば、J1からJ3の全カテゴリーでプレーし、トータル500試合出場まであと数試合に迫る。
 
 そのキャリアは順風満帆。42歳を迎えた今季もバリバリの現役としてピッチに立つ。
 
 しかし――栄光の数と同じぐらい、もしかしたらそれ以上に、苦難や挫折があった。長期離脱を余儀なくされる二度の大怪我をしたし、ゼロ円提示を受けたこともある。
 
 眠れない夜をいくつ数えてきたのか。それでも、心が折れて、すべてを投げ出したことは一度もない。不屈のメンタルで、目の前に立ちはだかる壁を乗り越えてきた。
 
 自身初の著書『壁を超える』を上梓した“ヨシカツ”に話を訊いた。
 
――◆――◆――
 
――改めてこれまでの歩みを振り返ると、いくつもの「壁」がありましたね?
 
「そうですね。自分は不器用というか、馬鹿正直で真面目な性格だからか、何事にも正面から向き合って、チャレンジしてきたつもりです。目の前で起こっていることから、目を背けずに、逃げない。妥協しない。それが自分の生き様というか、当たり前のことでもある。なので、ある意味、『壁』と思っていないかもしれませんね。
 
 とにかく、どこかコンプレックスがあるんですよ。自信があるのかないのか分からないんですけど、不安があっても、それに向かってチャレンジする、トライする。その不安もまた、『壁』なんだと思います」
 
――コンプレックス? むしろエリートではないのですか?
 
「僕は静岡の富士の生まれで、富士はどちらかと言えば野球が盛んな土地なんです。サッカーでは、清水や藤枝と比べると、どこかで引け目を感じてしまう。僕にとってのエリートは、清水や藤枝の人たち。もともとのスタートがそういう感じなんですよ」
 
――その富士の地で、小学3年生の時にサッカーを始めました。
 
「初日の練習で、3年生と4年生で試合をしたんです。結果は、0-8の完敗。それで、失点の数×5周を走りなさい、と。少年団に入っていきなり40周、走らされたんですよ(笑)。それまでドッヂボールやキックベース、マラソンや100メートル走とか、遊びでも体育の授業でやるいろんな種目でも、なんでもすぐにできたんです。
 
 でも、サッカーはそうじゃなかった。8点も取られて負けたし、リフティングも最初はなかなかできなかった。初めての習い事で、みんなと競い合いながら上を目指していくという意味でも、サッカーって大変だなというところから始まった。もう、そこから『壁』があったわけですよ(笑)」
 
――その『壁』は長いキャリアの中で、何度も川口選手の前に立ちはだかりました。たとえば、2013年末に磐田でゼロ円提示を受けた時もそうだったと思います。
 
「多くの選手が経験していることだとは思いますが、自分の中では初めてのことでした。ちょうど、ふたり目の子どもが生まれる前後のことで、大変な時期でもありました。