サッカー史に残る「伝説のハットトリック」10選 【後編】
長いサッカーの歴史には、後世に語り継がれるような「伝説のハットトリック」がいくつか存在する。
今回はQoly編集部で「これは!」というものを厳選し、10個をピックアップした。
前編に続き、今回はその後編をご紹介しよう。
6. シニシャ・ミハイロヴィッチ
生年月日:1969年2月20日 (47歳)
当時のチーム:ラツィオ(ITA)
達成日:1998年12月13日
試合情報:1998-99 セリエA 第13節 ラツィオ 対 サンプドリア
コメント:「フリーキックの名手」と評された選手は数多く存在するが、1試合に3本決めた選手は何人いるだろうか。しかもそれがトップリーグともなれば、シニシャ・ミハイロヴィッチ以外には存在しないかもしれない。偉業を成し遂げたのは1998年12月13日のサンプドリア戦。ミハイロヴィッチは脅威のキック力で正確かつ重いボールを蹴ることができ、それが壁を越えてから急激に落ちてくる。相手チームにとってはまさに悪夢でしかなく、あるチームの監督が「彼が蹴るならGKを2人置かせてくれ」と訴えたのも納得のハットトリックだ。なお、試合はラツィオが5-2で勝利している。
選出者:編集部O
7. ヴァレンティーノ・マッツォーラ
生年月日:1919年1月26日 (30歳没)
当時のチーム:トリノ(ITA)
達成日:1947年4月27日
試合情報:トリノ 対 ヴィチェンツァ
コメント:今でもイタリアでの最速ハットトリック記録として知られている3ゴール。イタリアの名ストライカーであるサンドロ・マッツォーラの実の父親だ。圧倒的な力を誇った「グランデ・トリノ」のエースとして活躍し、キャプテンも務め、1947年4月のヴィチェンツァ戦ではわずか2分で3度ネットを揺らした。そして、1949年5月。ポルトガルの親善試合から帰る途中、彼らトリノの選手団が乗った飛行機がスペルガの丘に衝突。マッツォーラを含めた31名全員が死亡した。「スペルガの悲劇」と呼ばれるイタリアサッカー史上最悪の事故だ。
選出者:編集部K
8. リオネル・メッシ
生年月日:1987年6月24日 (29歳)
当時のチーム:バルセロナ(ESP)
達成日:2007年3月10日
試合情報:2006-07 リーガ・エスパニョーラ 第26節 バルセロナ 対 レアル・マドリー
コメント:数々の伝説を生み出してきたリオネル・メッシだが、本当の意味で世界に初めて衝撃を与えたのはこのゲームだったかもしれない。第26節のクラシコでバルセロナはレアル・マドリーに常に先手を取られる展開となったのだが、弱冠19歳のメッシがハットトリック!後半アディショナルタイムに3点目が決まった際、スタジアムは興奮の坩堝と化した。当時のバルセロナはロナウジーニョ中心からメッシ中心への移行期であり、そのことを強く印象付けた一戦でもあった。なおこのゲームで屈辱を味わったマドリーはここから快進撃を見せ、神がかり的な勝利の連続で逆転優勝を成し遂げた。メッシのハットトリックは、ある意味でマドリーの闘争心を呼び覚ましたとも言える。
選出者:編集部S
9. パオロ・ロッシ
生年月日:1956年9月23日 (60歳)
当時のチーム:イタリア代表
達成日:1982年7月5日
試合情報:1982年ワールドカップ 2次GS 第2節 ブラジル 対 イタリア
コメント:2014年ワールドカップでの「7-1」同様、ブラジル国民にとって忘れられない“悲劇”がある。それはスペインで行われた1982年ワールドカップのイタリア戦だ。当時のブラジルは中盤に“黄金のカルテット”を揃えており、優勝候補の筆頭とされていた。2次グループステージのイタリア戦でもソクラテスとファルカンがそれぞれゴールをあげるも、パオロ・ロッシにハットトリックを許しまさかの敗退が決定した。事前の評価が高かっただけにブラジル国民は大きなショックを受け、パオロ・ロッシの名は未だにタブーとされている。2013年に行われたコンフェデレーションズカップでブラジルのファンからイタリアの選手たちにブーイングが飛んでいたのは、この因縁が理由だと言われている。
選出者:編集部S
10. 難波 宏明
生年月日:1982年12月9日 (33歳)
当時のチーム:横浜FC(JPN)
達成日:2015年4月11日
試合情報:2015 J2 第7節 東京ヴェルディ 対 FC岐阜
コメント:世界で様々に素晴らしいハットトリック、あっという間のハットトリック、芸術的なハットトリックはある。しかし、個人的には昨年見た難波宏明の3ゴールほど印象に残ったものはない。14分にPKを決めると、それから電光石火で2得点!0-3になったのがちょうど27分のこと。ここで自分は「もしかしたらJ最速記録なんじゃないか?」と勘付いて調べた。すぐにJのデータをエクセルに書き出し、並べ替え、全ての数字を洗い出した。そしてJ記録であることを確認し、Qolyで記事にした。…そうしていたら、いつの間にか岐阜が負けていた(3-4の大逆転負け…)。ある意味では唯一無二の伝説であり、おそらく一生忘れないだろう。
選出者:編集部K
