國學院大学【前編】「自分を知ることが自立への第一歩」

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 1917年創部と長い歴史を誇り、東都大学野球連盟(当時は五大学野球連盟)が1931年春に発足した時からのメンバーでもある國學院大学。連盟加盟80年目となる2010年の秋に念願の初優勝を果たした後も、“戦国”の異名も持つハイレベルな東都一部リーグにおいて、コンスタントに上位の成績をおさめている。

 國學院大学の大きな特徴が、鳥山 泰孝監督が掲げる「4年生野球」だ。チームのモットーである「自立」「団結」「徹底」のもと、4年生が主体になってチームを運営している。そのための、大学野球における「自立」と「自律」とは?高校球児にも大いに参考になるお話を、國學院大学鳥山監督、上月 健太コーチ、そして久保田 昌也主将にお聞きしました。

自分を知ることが「自立」への第一歩

壁に貼られた部のモットー(國學院大学)

 鳥山 泰孝監督は昨年、桐蔭横浜大とのシーズン最後のオープン戦が終わると、選手たちにこう伝えた。「お土産を持ってオフのトレーニングをスタートさせよう」―。

 自分がどうしたいのか?自分がどうなりたいのか?鳥山監督はそのことを“お土産を持つ”という言葉で表現したのだ。「國學院大のチームのモットーは「自立」「団結」「徹底」と3つあるのですが、私は“自分を知る”ことが自立のための第一歩だと考えています」

 では“自立のゴール”はどこにあるのか?「大学野球においては、自己分析がしっかりできて、課題克服のための計画を立てられ、それが継続的に実行できてはじめて、自立した選手になれると思っています」

 自立するには“何のために野球をやっているのか”を明確にする必要もある。鳥山監督は「大きくは、野球で成功することは、世の中のためにもなるんです」と言うと、次のようにつなげた。「選手はまず、チームのために、そして大学のためにベストを尽くすわけですが、これは、私たちが所属する東都リーグの発展にもつながりますし、大学野球、そして野球界の発展にもつながっていく。野球は日本のスポーツ界をけん引する存在ですからね。スポーツ界の発展にもつながっていき、スポーツ界は、教育界とも密接なつながりがある。

 教育界が発展すれば、それだけいい人材も出てきますし、世の中の秩序も保たれます。“國學院大の野球部員”という末端にいる人間でも、自分で自分のことがしっかりできる自立した人間になれば、他にいい影響を及ぼす人間になれるのです。これこそが野球をやっている意味であり、大儀だと思います」

 鳥山監督は修徳高の監督として2007年から10年7月まで高校生を指導した経験があり、07年夏と10年夏の東東京大会では決勝まで進出したが、高校球児に対しても「高校生レベルの自立を選手たちには求めていた」という。「高校野球での自立は、目先の結果にとらわれず、目標に突き進む強さを持つことだと思います。それによって自分の課題が見つけられたり、どうすれば克服できるか、わかるようになるのです」

 ただ、大学野球が約3年半なのに対し、高校野球は2年数か月。高校生は自立に時間がかかる一方で、高校野球生活は短い。そのため鳥山監督は「大学生のように大半を考えさせるのではなく、時にヒントも多く与えながら、自立に導いていました」

[page_break:周りが見えるようになったことで“真の自立”ができた]周りが見えるようになったことで“真の自立”ができた

鳥山 泰孝監督(國學院大学)

 鳥山監督によると「自立」は「技術的な成長にもつながる」という。たとえば昨年のドラフトで横浜DeNAから3位指名を受けた柴田 竜拓前主将(4年)もそうだった。鳥山監督は「柴田は入学当時から高い意識を持っている選手でしたが、完全に自立した選手になったことで、時間の使い方が変わりましてね。オフの日も積極的休養にあてたり、トレーニングに励んでいたようです」と話す。

 ちなみにこの柴田の姿勢に刺激を受けたのが、昨年のエースで、同級生の土倉 将投手(4年。今春より社会人・東海理化でプレー予定)で、「柴田を見て、高いレベルを目指すなら、休みの日もただ休んでいてはダメだと気が付いた」そうだ。またOBで、現東京ヤクルトの杉浦 稔大投手も「下級生の頃から、ほとんど自立した考え、行動をしていた」(鳥山監督)という。「2人はしっかりした目標があったから、それができたのだと思います」

 この2人とは違うタイプの選手もいた。柴田の1学年上の主将で、現横浜DeNAの山下 幸輝選手だ。選手の良き兄貴分で、今年就任8年目を迎えるOBの上月健太コーチはこんな話を披露してくれた。

「山下は超がつくほどマイペースな男でしてね(笑)。人のために何かをするタイプではなかったんです。ところが、上級生になるにつれて変わってきました。ある時『人のために必死になれる選手は、自分の失敗が気にならなくなるから、平均的な力が出せるんです』と言っていたのを聞いて、成長したな、と。自分のことだけができるのではなく、周りが見えるようになってこそ、真の自立なのだと思います」

 2010年秋の初優勝時の主将で、現在は社会人の名門・JX-ENEOSで主将を務める渡邉 貴美男選手も「周りが見えてきたことで、心技で成長した」(上月コーチ)という。1年春からリーグ戦に出場し、文星芸大附高時代も主将だった渡邉選手は、下級生時代から天賦のリーダーシップを発揮していたが「自分を鼓舞しながらチームを引っ張っていたものの、やや独りよがりな面があった」という。

「しかし、学年が上がるにつれて、周りに対する優しさが出てきましたね。周りに配慮できるようになったことで、本当の意味で自立した人間、選手になり、初優勝時は主将としてけん引力を発揮する一方で、選手としてもMVPを獲得する働きを示してくれました」

 渡邉選手の姿は、渡邉選手の2学年下の代で主将を務めた谷内 亮太選手(現東京ヤクルト)をも変えた。上月コーチは「入って来たばかりの頃は、主将を務めるようなタイプではなかったんですが、渡邉を手本に12年春には一部再昇格へと、チーム導いてくれました」と振り返る。

[page_break:主将を中心に広がっていく“自立の輪”]主将を中心に広がっていく“自立の輪”

久保田 昌也主将(國學院大学)

 國學院大の選手の自立を促し、自立したチームになるための担い手になっているのが、「主将」だ。柴田選手が土倉投手に、渡邉選手が谷内選手に強い刺激を与えたように「自立の輪は歴代の主将を中心に広がっています」と語る鳥山監督。

 國學院大の主将は06年の嶋 基宏選手(東北楽天・2015年インタビュー)から数えると、聖澤 諒選手(東北楽天・2012年インタビュー)、谷内選手、山下選手、柴田選手と、この約10年で5人もプロ入りするなど、大学時代からの好選手が並ぶが「技量で引っ張るだけでなく、「自立」の部分でも前チームのいいところを引き継ぎながら、チームの「自立」を進化させてくれました」と鳥山監督は言葉を重ねる。

 嶋選手が主将の時代からすでに國學院大は、監督やコーチ(当時は竹田 利秋監督<現総監督>で、鳥山監督がコーチ)が何か言う前に、4年生を中心に動くチームだったが「年々、選手やチームの『自立』はバージョンアップしていると思いますし、そうでなければいけないと思います」

 今年國學院大で、背番号「1」(東都リーグの主将番号)を付けるのが久保田 昌也選手だ。「國學院大の「1」は“重い”と感じています」と言う久保田主将は、1年時に当時の主将の石川 良平捕手(現JX-ENEOS、4年時は大学日本代表)と寮で同じ部屋になり「大学は自立のレベルも高いと感じた」そうだ。

「僕は龍谷大平安高の時も主将で、常にチームのことを考えていたつもりですが、石川さんははるか上を行ってました。自分のこともきっちりやりつつ、本当にチームの隅々まで気を配ってましたからね」

 もっとも上月コーチの選手時代(1998年から2001年まで)は、國學院大の「自立」はまだ“黎明期”だったとか。「(1996年から2010年春まで指揮を執った)竹田監督や当時コーチだった鳥山監督が、懸命に自立へと導いてくれていたのですが、東都二部でもがいていた私たち選手たちは、『自立』がどういうものか、しっかりとした理解はできていませんでした。あの頃は、今では当たり前になっている、レギュラーがメンバー外の選手に声をかけることも、メンバー外の選手がレギュラーに厳しい指摘をすることも、ほとんどなかったような気がします」

 ところが8年前、コーチとして赴任した母校は「見違えるほど、何事も選手たちが主体になって行う“自立したチーム”に変わっていた」という。「竹田前監督から『嶋のあたりから本気で一部でやるんだ、という雰囲気になった』という話を聞きました。その本気度が選手やチームの『自立』を促し、一部定着にもつながったように思います」

 前編では、「自立」することはどういうことなのか?ということに着目しました。後編では「自律」ということについても考えていきます。

(取材・文=上原 伸一)

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