家を追われ、支援を必要とする人がいる(提供:国連世界食糧計画)

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人道支援に具体的な成果があることは事実だ。紛争や自然災害が起こった地に駆けつけ、支援活動を行えば、現地からの感謝を受ける。しかし、遠く離れた地への援助が、どのような果実を結ぶかを具体的に想像するのは難しいことだ。

人道支援の効果は見えにくい

 グローバル化により、日本の経済は他国なしでは成り立たなくなっている。しかし、ちまたにあふれる商品などの原産地がどういう状況にあるかは、見えない。また、テレビなどで遠くの国で苦しんでいる人の姿を見ても、やはり自分とのつながりを理解できにくい。支援団体などは、こうした状況を分かりやすく“翻訳”する試みを行っている。国連世界食糧計画(WFP)の伊藤礼樹・援助関係官は、講演などの際に単純な数値化をして、聞く人の心に訴える。「20円で1日1人の学校給食が支援できる。300円のコーヒーで、15人分です」「5秒に1人の子どもが、飢餓で亡くなっている。あなたがここに来るまでの1時間に、720人の命が失われました」…。

 人道支援が直接、日本や日本人にとって有益だと証明するのも難しいこと。支援活動が重要だと分かっていても、自分の身近な人や自分が属する日本という国にとってのメリットを示すことはそう簡単ではない。「自己満足」「偽善」と片付けられることもシバシバだ。

 ザンビアで支援活動に携わった経験のある活動家(30)は、現地で「日本の製品を見たことはあったが、日本人には初めて会った。来てくれて嬉しい」と言われたことが忘れられない。この言葉が本人が支援活動を続ける原動力となっているだけではなく、「草の根の交流が親日派を作るのに貢献しているはずだと信じている」と話す。難民支援プロジェクトを支える日本UNHCR協会の中村恵・事業部門シニアマネージャーは「参加者は支援を与えたことよりも、感じて得たものをより貴重な経験として話す」と、人道支援は一方的なものではなく、双方がメリットを享受できるとの見方を示した。

 また、支援をする過程で気づくこともあるという。“人のふりみて我がふり直せ”ということだ。ヒューマンライツ・ナウの伊藤和子弁護士は「人権分野などで、国際基準と日本の状況を照らし合わせると、不十分な点が見えてくる。支援という過程を通じて自国の問題意識も育つのでは」と意義を強調している。

人道支援は平和につながるか

 JICA(国際協力機構)の緒方貞子理事長が国連難民高等弁務官を務めていたとき、「人道問題に人道的解決なし」という言葉を発した。人道支援だけでは難民の問題を解決できず、その解決には政治で対処する必要があることを、実感として話したものだ。人道支援の継続は必要でも、それ自体が解決にならないことに思い至った緒方氏は、この発言を“いらだちの発露”とも表現している。

 限界に気づきながらも、活動家は人道支援の意義を疑ってはいない。難民を助ける会の堀江良彰事務局長は、「今やっているのは対処療法にすぎない」と認めているが、「だからこそやり続けなければならない」とも訴えている。「暴走させないために、国際社会の目が見ていることを示すことは大きい。支援物資がなくても、居続けることで、『世界から見捨てられている』という感情を止めることができる」。

 一方、WFPの伊藤氏は人道支援は人々に希望を与え、平和を維持するのに役立つと話す。「和平合意は軍のトップや政治家がサインをするだけ。そのまま放っておくと人びとは失望する。人道支援により、村々のコミュニケーションが回復し、物の流通が活発になる。平和を実感できる形で示すことで、人びとに希望を持たせ、紛争への逆戻りを防げる」とその意味を説明する。

 「理想と現実は違い、現実は理想どおりには行かないが、ただ、理想を忘れないように現実的な対応をしなければならない」という、前出堀江氏の言葉が人道支援の“実相”のようだ。【了】

■特集:人道支援から平和を考える
(2)想像力を巡らせる(8/17)
(1)支援の主体は“国家”から“人”へ(8/16)


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「双方向の希望があった」(6/19)

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