価格差2倍も、欧州の鉄道「現金乗車」なぜ高い
ロンドンに着いたばかりの訪英客で混み合うキングス・クロス・セント・パンクラス駅のチケット売り場。オレンジのビブスを着た係員が案内にあたっている(筆者撮影)
「ロンドンに行ったら、自由時間に地下鉄に1区間でも乗ってみようと思ったんです。でも、ちょっと乗るだけで800円近く取られるというのはひどいと思いませんか?」
日本から添乗員付きのいわゆるパッケージツアーでイギリスにやって来た60代の男性はそういぶっていた。ロンドン市内での移動時に利用者が日本円にして毎回800円も払って地下鉄に乗るとは到底思えない。では、どうしてこのような事態が起きるのか、そのカラクリを改めて調べてみることにした。
多くの駅で有人窓口が廃止
「ホテルの近くに駅があるんで、そこから隣の駅まで乗って、歩いて帰って来よう、とかそんなことを考えながら駅に行ったんです」
世界最古の地下鉄ってどんなものなのかな、と思いながら、「ロンドン滞在のイベントの1つ」と計画していたこの男性。切符の買い方を駅員に聞いたら「1駅乗るだけでも4.90ポンド(約760円)」と言われたという。
「そんなに英語が得意ではないので、1区間で4ポンド90ペンスなんて僕の聞き間違いかと思ったんです」。でも、機械に表示される運賃は確かに「4.90」だった。
「ロンドンはとんでもないところだ!」。最初は頭にきたというこの男性だが、「駅員が『ゾーン内ならどこまで行っても同じ料金』と言うので、環状のサークル線を逆回りで隣駅まで乗ってきました。最終的には楽しい経験になりました」と満足そうだった。
ロンドン地下鉄の場合、徹底的に省力化という名目の人員削減を行っている。2年ほど前までは、各駅に案内役兼非接触式ICカード「オイスター」のチャージに応じる有人窓口があった。現在は観光客の利用が多いターミナル駅にトラベルセンターという名の案内所があるものの、一般の駅からは窓口が一掃されてしまった。
地下鉄を運営するロンドン交通局は「オイスターカード利用に誘導し、駅で切符を買う人を減らしたい」という方針のもと、現金での片道乗車券購入額をオイスターカードでの引き落とし額の2倍以上に設定するという手段を講じている。たとえば、都心部(ゾーン1)内の利用について、オイスター利用なら2.40ポンドなのに対し、紙の切符を買って乗ると4.90ポンドとなる。
片道乗車券を買おうとすると表示される自動販売機の画面。左下にICカード・オイスター使用時の運賃も表示されている(筆者撮影)
「そんなにオイスターに誘導しているんだったら、観光客はそれを買って乗ればいいじゃないか?」と賢明な読者はそう考えるかもしれない。ところがロンドン交通局はさらに巧妙な仕掛けを用意している。オイスターは購入時に5ポンドのデポジット(保証金)が必要なのだが、買ってから48時間以上経たないとそのデポは回収できない仕組みとなっている。つまり、数日滞在のみの観光客には使いにくい格好になっているというわけだ。
じゃあ、と次に考えられる手は1日フリー乗車券のたぐいの購入だろうか。しかしロンドン交通局はこれにも「いやらしい」仕掛けを付けている。
フリー乗車券は範囲が広すぎる
観光客の需要からすれば、都心の「ゾーン1」の範囲内で大抵のスポットに行くことができる。しかし、実際に売られている1日フリー乗車券に当たる「トラベルカード」は、都心から15〜20キロも離れたヒースロー空港までも含めた広範囲に有効な1日乗車券しか設定がない。値段は12.90ポンド。短期滞在の観光客はいや応なしにそれを押し付けられる。東京にたとえると「山手線内だけあれば十分なのに、武蔵野線と南武線で囲む範囲までも含んだ切符を買わされる」といった状況だ。
一方でオイスターカード利用者には優遇措置がある。「1日の支払い限度額」が設定されており、利用したゾーンごとに支払うべき最大額が決まっている。ちなみにゾーン1内なら6.80ポンドが上限で、それ以上はいくら乗ってもカード残額は引き落とされない仕組みだ。
サークル線をほぼ一回りして来た男性の話を聞いた筆者は、観光客が集まりそうな駅に行って、観光客のフリをして「紙の乗車券がなぜこんなに高いのか?」と、駅員に尋ねてみた。
行ってみた場所はサークル線など6路線が乗り入れるキングス・クロス・セント・パンクラス駅だ。隣接するセント・パンクラス駅は欧州大陸と英国を結ぶ国際列車「ユーロスター」の発着駅であり、地下鉄の切符売り場は旅行客らでつねに混み合っている。
英語が上手でない訪英客も多い。また、英語を母国語とするアメリカ人は米本土で電車そのものに乗った経験がほとんどない人も多く、公共交通機関の利用そのものに慣れてない。その点においては日本人よりかえって厄介な存在ともいえる。
駅員と訪英客(そのほとんどが初回訪問者だろう)のやり取りを聞いていると、前述の「高い片道乗車券の話」に始まり、駅員による「オイスターカードを買うと便利だ」という説明が続き、「いや、2日しかいないからそれは無駄」と訪英客が反論。「じゃあ、1日乗車券は?」と話が展開し、12.90ポンドと聞いた訪英客が「そんなに高いのか?」といぶかりながらも納得しないままチケットを買う、といった感じだ。おそらく、このようなやり取りが連日繰り返されているのだろう。
駅員に「こんな説明を日々繰り返していて大変ですね?」と聞くと、意外な答えが返ってきた。
「結局のところ、観光客は高めの切符を買うわけなんで、まぁ、それはそれでわれわれとしてはありがたいわけで……。案内にこんなに手間をかけて話をしているのだから、その分観光客は余分に払ってもいいんじゃない?」
これは「手間賃の分を運賃に上乗せしている」という意味にもとれる。公式にはそうしたことはどこにも書かれていないが、係員配置の人件費、発券機能のついた販売機の設置コストなどを考慮すると、「差額」をつけるという発想は理解できなくもない。実際にここ1年以内に、オイスターへのチャージ専用機がずいぶんと増えた。しかもこのマシンは現金ではチャージできず、クレジットカードなどで支払う仕組みとなっている。
もっとも、観光客は各国にある英国政府観光局などを通じて、ビジター用オイスターを事前入手することができる。これにはデポジットがそもそも入っていない上、いわゆるICカード料金でバスや地下鉄に乗れ、さらに自由にチャージも払い戻しも可能となっている。「あらかじめ買っておくという手間」を訪英客側がしっかり負えば、その分割安に旅ができるという、ある意味フェアなオプションも存在する。つまり、あらかじめ買っておくという手間を惜しまなければ、その分割安に旅ができるという、ある意味フェアなオプションも存在する
ほかの都市でも「観光客向け手間賃」
オスロ旧市街を走るトラム(写真:c6210/PIXTA)
ロンドンのように慣れない観光客への「事実上の案内コスト」を切符に転嫁しているような例がほかにもないか、と欧州各国の様子を見回してみた。
最もわかりやすい「割増」をしている都市として、ノルウェーの首都・オスロのケースがある。同市のトラムやバスではICカード使用や自動販売機で切符を買った場合、1乗車35ノルウェークローネ(約485円)だが、それらの運転手から乗車時に現金を払って乗ろうとするとこれよりも20クローネ割高となる。事情がわかる人なら事前にどこかで切符を買うなり、ICカードを持つなりするだろうが、現地に疎い観光客などはいきなりトラムに乗り込んで、あれやこれや尋ねながらおカネを払って乗ることもあるだろう。これも、乗客対応による手間賃をしっかりおカネでいただこう、という発想ともとれる。
かつてオランダの首都・アムステルダムでも同じようなことが行われていた。トラムの車内にわざわざチケットブースを設け、それ用の係員を置き、1乗車(1時間以内なら乗り継ぎ可)2.30ユーロ(約305円)の切符を手売りしていた。ICカードのOVチップカートなら0.90ユーロで乗れるところで倍以上取っているわけだ。
かつて、アムステルダムを訪れた際に、車内の係員が「ちょっと高いけど、慣れない人には便利でしょう?」と気さくに事情を話してくれたことを思い出す。現在この「車内切符売り場」のスキームは、交通機関の完全キャッシュレス化を目指すアムステルダム市営交通会社(GVB)が廃止。切符の事前購入が求められている。
課金で混雑解消が実現?
ICカード用センサーしかないロンドンバスの乗車口。現金支払いでは乗れない(筆者撮影)
ロンドンで赤い2階建てバスに乗るのには、オイスターカードの利用もしくは1日乗車券などの事前購入が求められ、現金での支払いにまったく応じていない。「どんなにおカネを積まれても乗せないものは乗せない」というきっぱりしたシステムを取っている。現金収受を運転手にさせるのは治安上危険なだけでなく、遅延の直接的な理由になるからだ。現金で乗れていた最終の段階(2014年)には、コイン乗車時の割増運賃の制度が存在していたこともあり、コインで乗っていた乗客は全体の0.4%しかいなかったという。
細かい話をすると、ロンドンのバスにはApplePayでもコンタクトレス課金チップのついたクレジットカードでも乗れるという先進的なオプションがあるが、EU外から来た観光客向けには応用が難しいのが現状のようだ。
目下、日本では急増するインバウンド客により、多くの観光地で切符売り場やバス降車時の運賃支払いなどで混乱が起こっているようだ。ロンドンなど欧州で行われているような「手間のかからない乗客は安く乗せ、そうでない乗客からは割増を取る」といった制度は抜本的な問題解決の1つの方法として考えられよう。
一方で、欧州では「観光客は市内交通機関の利用が全部タダ」というまったく逆の発想を取り入れている都市もある。この事例についてはまた改めて紹介することとしたい。