年収10億 富裕層の結論「“ビンボー”が幸福を呼ぶ」

写真拡大

■なぜ、所得が上がると主観的幸福は停滞するか?

以前、リチャード・イースタリンという経済学者が1974年に発表した「お金と幸福の“逆説的”な関係」について紹介し、それに基づき私の考えを述べました(「『人より金持ちでいたい人』は、富裕層はムリ」http://president.jp/articles/-/19876)。

イースタリンの逆説はこのような主旨でした。

●ある国の一時点で見ると、所得と幸福度には正の関係が見られる
●ある国を時系列で見ると、国全体が豊かになっていっても幸福度は変わらない

今回は、もう1点ご紹介したいのですが、それは……。

●所得がある一定水準以上に上がると幸福度との相関が見られなくなる

これまた謎めいた逆説ですが、どういうことでしょうか。グラフを見てください。

これは、「world values survey(世界価値観調査)」という世界の異なる国の人々の社会文化的・道徳的・宗教的・政治的な価値観を調査したものの結果の一部です。この調査は社会科学者によって継続的に行われている国際的なプロジェクトで、中でも面白いのが「幸福と収入の国家間比較」のデータです。

縦軸は「主観的幸福」、横軸は「国民ひとり当たりのGDP」です。

これを見ると、ひとり当たりのGDPが0から1万5000ドルくらいまでの間は収入が増加すると、急速に主観的幸福が増加していることがわかります。この傾向は、前回の記事の中で紹介した下記の大学教授の研究結果とも一致します(2015年、ブリティッシュ・コロンビア大学と、ミシガン州立大学の教授らがアメリカ人1万2291人を調査・分析したものとも一致します 。参照記事:「悲しみに備える人」が富裕層になれる http://president.jp/articles/-/21392)。

「収入(の多さ)は日々の幸福感をもたらすのにほとんど影響はないが、悲しみのようなネガティブな感情を減らすのに役立つ」というのが分析の結果でした 。 

貧しい国々では基本的な衣食住の欲求や、安全性に対する欲求が充分に満たされていませんので、結果的にいろいろな悲しい事態に直面する機会が多くなるでしょう。

■なぜ、高収入層は「小さな幸せ」に鈍感なのか?

一方、年収が上がっていくと「衣食住や安全」が満たされることでネガディブな感情を引き起こす事態を回避・解決する方策もとれるようになります。それに伴い、急速に主観的幸福も増加していきます。

確かに、0から1万ドルまでひとり当たりのGDPが増加すると、主観的幸福の指標も大きく上昇しています。

しかし、収入が増加していけばどこまでも主観的幸福が増加するかというと、これがそうではないのです。もう一度グラフを見てください。ひとり当たりのGDPが1万5000ドル以降はこの上昇の傾きは緩やかになっていくのです。そして、同2万ドルを超えるあたりでは、傾きはほぼ水平になっているように見えます。主観的幸福は“停滞”するのです。

ちなみに、前回の記事で「メキシコ人漁師とMBAホルダーのアメリカ人旅行者の会話」が出てきましたが、そのメキシコの主観的幸福は3.75で、国民ひとり当たりのGDP(収入)が5倍もあるアメリカ(旅行者はハーバード・ビジネス・スクール出身という設定)よりも主観的幸福が高くなっているのです。

グラフを丁寧に見てみると、メキシコを含む気候も温暖でお話に出てくるように「ギターを弾いて歌を歌って……」というラテン系の陽気な国々(グラフ左上)は、世界平均よりも主観的幸福が高い傾向にあります。それに対して、寒冷で長年、共産主義による締め付けのあった旧東欧諸国(グラフ左下)は平均よりも主観的幸福が低くなっています。つまり、主観的幸福は、ひとり当たりのGDP(収入)だけでなく、地理的・文化的・国民気質的な影響もかなりあるのです。

さて、話を戻して、年収がある一定水準以上に上がるとほんとうに幸福度との相関がなくなってしまうのかというテーマを考えてみましょう。幸福度に“飽和点”というものがあるのか。そこが問題です。

これについては、2つの考え方があります。

冒頭で触れたイースタリンの逆説は、国際比較で見て、所得がある一定の水準以上になると幸福度は頭打ちになる、としました(飽和点の存在)。

生活満足度に所得が与える効果は永遠に続くわけではなく、収穫逓減を示している。要するに、ある一定水準以上に所得が達した場合、それ以上は生活満足度が上がらないというものです。

この飽和点の仮説については、プリンストン大学名誉教授のダニエル・カーネマンも賛同し、次のように述べています。

「もうそれ以上は幸福感を味わえないという所得の閾値は、物価の高い地域では、年間所得ベースで約7万5000ドルだった(物価の低い地域ではもうすこし少ないだろう)。この閾値を超えると、所得に伴う幸福感の増え方は、平均してゼロになる。所得が多ければ多いほど、好きなところへ旅行に行けるしオペラも見られるなど多くの楽しみを買えるうえ、生活環境も改善できるのはまちがいないのだから、これはじつに驚くべき結果と言える。なぜこうした追加的な快楽は、感情経験を高められないのだろうか。考えられるひとつの解釈は、所得が増えるほど生活の小さな他の楽しみを味わう能力が減ってくるのではないか、ということである」(『ファスト&スロー下』ダニエル・カーネマン著)

所得が低ければ小さな幸せを満喫できるが、所得が増えすぎると小さな幸せを感じるセンサーが鈍くなるのでしょうか。お金持ちはせっかくの幸せをスルーしてしまうという説です。

■富裕層は知る、生活満足度と幸福感情は「全く別物」

それとは反対に、こうした飽和点は存在しないという見解もあります。

ミシガン大学のジャスティン・ウォルファース教授とベッツィ・スティーブンソン准教授はお金があればあるほどますます幸せになり、そこには飽和点はないとの主張です。

彼らは、富の増大の収穫逓減を示しているグラフで、収入を「絶対値」で表すのではなく、「対数」で表示した場合、曲線ではなく終点のない直線として上に伸びると述べています。

ただし、これは国民ひとり当たりのGDPでの国際比較データをもとにしていますので、僕らが本当に知りたい、年収がすごく高い場合のデータを示すものではありません。

そんな中、1つ面白いデータがあったので紹介しておきます。アメリカ人の世帯収入別に、幸福度や生活満足度を聞いた内容です(https://www.econstor.eu/bitstream/10419/80577/1/74546050X.pdf)*PDFの16ページ

サンプル数が1014しかありませんが、世帯年収50万ドル(現在のレートで5700万円ほど)以上までのデータがあるという意味では興味深いです。

これによれば、世帯年収50万ドル以上の家庭は「全員(100%)」が「大変幸福である」で、生活満足度も全員が「大変満足している」となっています(他の年収層の回答では、100%はない)。でも、客観的に考えてこの100%という数字はありえないように思います。

僕は先日、確定申告を終えたところで、個人年収は今年人生で初めて10億円を超えましたが、生活満足度は「大変満足している」と言えるとしても、日々の幸福感情は家庭内の離婚協議のごたごたで「あまり幸福ではない」状態にあります。生活満足度と幸福感情は全く別物だからです。

世帯年収50万ドル以上の家庭が生活満足度に100%「大変満足している」としても、幸福感が100%「大変幸福である」というのはまずありえないと思います。

「飽和点が存在し、一定レベルまで所得が上がったら幸福度は上がらない」というイースタリンの逆説が正しければ、高所得者がどこまでも収入を増加させることを目指しても、さらなる幸福の増加には「まったく」あるいは「ほとんど」つながらないということになります。

また、対数で収入の値を表示した場合にどこまでも幸福感が伸びるとしても、現実的に所得を一定の水準を超えて指数的に伸ばし続ける人が世の中にいるかと言えば、ほとんどいません。とすれば、いずれ幸福感はストップすることになります。

とすると両理論の結論は、実質的には“同じ”なのではないのかと感じます。

■儲けても質素倹約でないと幸福感情は得られない

このデータでは、生活満足度は年収4万〜5万ドル(460万円〜570万円)を底にして年収の増加によってどこまでも増加しているように見えますが、幸福感情の伸びは順調とはいえません。7万5000〜10万ドル(860万円〜1150万円)で「大変幸福である」という人が60%、10万〜15万ドル(1150万円〜1700万円)でも60%で変わらないというのは何を意味しているのでしょうか。

カーネマンは次のように述べています。

「所得が生活満足度に与える影響と幸福感に与える影響とは、まったく異なる。所得が多いほど生活満足度は高まるのであって、幸福感を味わえなくなる閾値を超えても、それは続く。(中略)人々の生活評価と実際の生活での経験は、関連性はあるとしても、やはり別物だということである」(『ファスト&スロー下』ダニエル・カーネマン著)

次回の原稿は、先ほどのミシガン大の2人の教授が発表した「お金があればあるほどますます幸せになり、そこには飽和点はない」という理論がなぜ、所得を「対数」であらわすことで明らかになるかという点についてご説明します。

所得の増加が対数で示されるということは、年収1000万円の人が年収1億円(10倍)になるのと同じだけの「幸福感の増加」を、年収1億円の人が感じようとすれば年収10億円(10倍)になる必要があるわけです。

高所得者が幸福を感じるためには、貧乏な人が幸福を感じるために必要なお金とは比較にならない莫大なお金が必要だということです。

……ということを踏まえた個人的な考えですが、幸福感が頭打ちにもかかわらず、なんとか生活満足度を1単位でも増加させるべく膨大な時間を使って高い所得を得ようと奮闘するよりも、むしろ限りある命を浪費しないことのほうが大切なのではないでしょうか。

僕は高所得を稼いで富裕層になるというやり方は、幸福感情を鈍らせていってしまうので、正直、賛成しかねます(お前が言うな! という声が聞こえてきそうですが……)。

では、どうすればいいのか?

あくまで質素倹約の倹(つま)しい生活を送り、その中で幸福感情を感じつつ、莫大な資産を形成することをお勧めしたいですね。

*筆者・金森重樹氏にお金に関する悩み相談をしたい方は、下記URLのフォームにご記入ください。
*受け付けた質問の一部に関して、金森氏が記事内で回答する場合があります。なお、金森氏より質問者に連絡することは一切ございませんし、営業目的に利用することもございません(記入フォームにアドレスなど連絡先の書き込み欄はありません)。
https://docs.google.com/forms/d/1QL5Ik3u31anl6QRjpkUdgZw7NqKS4EpmVd3cIUVz82s/viewform

(行政書士、不動産投資顧問 金森重樹=文)