【後藤さん殺害】謎の実行犯ジハーディー・ジョンの正体
また?ジハーディー(聖戦の)・ジョン?か──。過激派組織「イスラム国」が2015年1月20日に公開した映像で、拘束中の後藤健二氏(46歳)と湯川遥菜氏(42歳)の殺害を予告し、後藤さん殺害映像にも登場した覆面の男だ。
(※2月1日加筆修正)
英語の訛りを聞き分けられる人は、半年前に耳にしたばかりの特徴的な訛りと気付いただろう。言語学者が「マルチカルチュラル・ロンドン・イングリッシュ(MLE、多文化的ロンドン英語)」と呼ぶ訛りだ。
イスラム国は2014年8月、米国人ジャーナリストのジェームス・フォーリー氏(享年40)の首をはねて殺害した映像を公開した。殺害を実行した覆面男が、この特徴的な訛りのある英語を口にしていた。英語圏メディアはこの男を?ジハーディー・ジョン?と名付けたのだ。
声紋鑑定の結果、フォーリー氏を殺害した男と、日本人2人の殺害予告した男は同一人物の可能性が高いとされている。
2014年8月の映像が英語圏に衝撃を与えたのは、斬首シーンのおぞましい残忍さもさることながら、実行犯がロンドンの街角でよく耳にする英語を話した意外感にあった。
英紙『ガーディアン』は映像公開の直後、イスラム過激派に詳しい大学教授に取材し、「(滑らかな)英語を話す戦闘員が映像に登場したのは意図的で、西側に与える衝撃を最大化するためだ」と報じている(8月20日付電子版)。
MLEとは何か。英公共放送BBCが2013年4月に放送したドキュメンタリー番組によれば、労働者階級が多く住むロンドン東部の若い世代が放す英語だという。
「カリブ海諸国、ギリシャ、アジア、アフリカなどの影響を受けた話し方」だとし、同地区に住む白人や黒人の若者を登場させている。以前は「コックニー」という訛りが聞かれたが、最近はMLEの方がよく聞くようになった。テレビのアナウンサーがMLEを口にすることはないが、急速に広がっており、その存在が一般に知られたのはおそらくコメディ映画『アリ・G』(2002年)が最初だっただろう。
フォーリー氏の殺害から間もなく、英メディアは「情報機関から得た情報」として、?ジハーディー・ジョン?の可能性が高い人物を名指しした。アブデルマジド・アブデル・バリー。
英米メディアによれば、両親はエジプト出身。『ガーディアン』元編集者でジャーナリストのビクトリア・ブリテン氏は母親を取材し、2013年に出版したShadow Lives: The Forgotten Women of the War on Terror(『影の人生 対テロ戦争で忘れられた女たち』)を書いた。
それによると、母親は今は全身を覆う黒のヒジャブとアバヤを着るが、カイロに暮らした若い頃は「細いジーンズを履き、Tシャツを着て、腰下まで髪の毛を伸ばした」。カイロ大で経営学を専攻中の1981年、友人に誘われて通うようになった大学近くのモスクで、イスラム教を教える若い男に出会った。間もなく結婚相手となったアデル・アブデル・バリー(1960年出生)だった。
アデルはイスラム主義の反政府運動に関わり、たびたび逮捕・収監されたが、後に弁護士資格を取得したという。米国を経て英国に滞在中の1993年、難民申請が受理された。
そのころエジプトから妻子を呼び寄せたようだ。?ジハーディー・ジョン?ことアブデルマジドが生まれたのは1990年とされ、メディアによって「英国生まれ」「エジプト生まれ」と出生国がはっきりしない。もし英国生まれなら同国法の規定で英国籍を得たものとみられる。いずれにせよ、人生の大半を英国で過ごしたようだ。
父親はロンドンでエジプトのムバラク政権に反対する政治活動を続けた。ロンドンで「夫と一緒に暮らし、子どもと遊んだり、一家で公園に行ったりとエジプトでは味わったことがない普通の暮らしでした」と母親は語っている。
子どもは6人で、ロンドン西北部の閑静な住宅地メイダベールに建つ白亜の瀟洒な家で暮らした。地元自治体の所有だが、英メディアによれば、実勢価格は100万ポンド(約1億8000万円)に上るという。
父親は米大使館爆破事件に関与しかし、1998年8月、タンザニアとケニアで200人以上が死亡した米大使館連続爆破事件が発生すると、英警察はアデルを事件に関与した疑いで逮捕。釈放、再逮捕を経た2012年10月、米国に身柄を移送した。
ニューヨーク南部地区連邦検事局は2014年9月、アデルを殺人謀議と脅迫の疑いで起訴した。起訴状によれば、アデルはイスラム主義組織「エジプト・ジハード団(EIJ)」のロンドン細胞を運営。アルカイダと「実質的に一体化した」EIJの幹部として、アルカイダが実行した米大使館爆破事件に関与したという。また、事件の3日後、フランスなどのメディアに犯行声明とさらなるテロ攻撃予告を伝えた。アデルは起訴内容を認める司法取引に応じている。
母親は取材に対し、行政の福祉給付に頼るなど生活が困窮した様子を語っているが、アブデルマジドの暮らしぶりはよく分かっていない。唯一、報じられるのは音楽活動だ。
ユーチューブに2012年7月にアップロードされた映像では、「L Jinny」の名でラップを歌っている。野球帽をかぶり、「ラルフ・ローレン」のようなロゴが付いたボタンダウンシャツを着ている。第1ボタンまで留めるのは几帳面のように見えるが、襟ボタンは空いたままだ。
「兄弟6人食わせなきゃなんない でも奴らは俺の家族をエジプトへ送り帰そうとしてる もう船酔いするぜ」と強制送還を恐れ、「酒に酔う」「ドラッグだらけのキッチン」とすさんだ生活を感じさせる歌詞も聞こえる。BBCラジオ第1放送はアブデルマジドのラップを何度が放送したという。
翌年、アブデルマジドは家族に別れを告げ、シリアへ旅立った。地元のイスラム主義者から影響を受け、短期間で「過激化」したとみられる。
英政府の2011年国勢調査によれば、ロンドン住民のうち外国生まれは37%に達したという。多文化が混ざり合う街で新しい方言が生まれる中、テロリストと深いつながりのある父親を持つ青年にどんな苦悩と決意があったのか。日本に対してどんな考えを持っていたのか。
?ジハーディー・ジョン?の深層心理を理解することなくして、「イスラム国」の脅威に対抗することはできないだろう。
(文/谷道健太)