【独白】パー子とラブホ、商売道具のカメラ紛失…災難続きの林家ぺーの人生哲学は「長生きも芸のうち」

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“ペー、火事で写真の半分がパー”

「あれは師匠の三平(初代林家三平)の命日の前日で……足立の竹の塚にあるお寺で法事だったの。一門の決起集会で、“三平一門、頑張ろう!”って。全員で記念撮影するっていう時に、スマホが鳴ってね。“誰だ、誰のスマホだ”なんて言っていたら、“ペーだ!”ってなって。

アタシが“もしもし”って出ると赤羽消防署で、“ペーさんの家が焼けてます”って言うの。みんなに“今、うち、火事だって! 火事の真っ最中”って言ったら、そこにいた全員が手を“またまたぁ〜(笑)”なんて手を叩いて笑ってね。でも、本当だったの」

林家ぺー(84)……妻・パー子とピンクの衣装に身を包み、ダジャレとともに写真をパシャパシャと撮る芸風(?)でおなじみの芸人は昨年9月、自宅が火事に見舞われたことが大きな話題となった。

「アタシ、“余談芸人”って言われていて、余談が多いから気を付けてね(笑)」(以下コメントは全てペー)という前置きのもと、災難とその後に起きたさらなる災難について聞いた。

火事の連絡を受け、タクシーで赤羽にある自宅に急行したペー。だが、荒川に架かる800mの橋の途中で渋滞に引っかかってしまったため、「死に物狂いよ。まるで東京マラソンとか箱根駅伝みたい(笑)」と車を降りて走ったという。でも、その渋滞を引き起こしていたのはペー宅の火事だった。

自宅マンションには消防車などの緊急車両が30台ほど駆け付け、2時間で消火。後に判明した出火原因は、古くなった電気コードからの漏電だったという。現場には新聞やテレビなどのマスコミも集まっていた。

「アタシごときの芸人の火事で、こんなにニュースになるなんて思ってもみなくって、まずはその驚きね。あと困ったのが、これまで年齢不詳にしてたのにニュースで実年齢がバレちゃった(笑)。テレビ・新聞・週刊誌みんな来たわよ。“ペー、火事で写真の半分がパー”って書かれてね、うまいのよ(笑)」

現場に到着して自宅の周りが水びたしになっていることは確認したものの、早々にパー子のもとに連れて行かれたそう。

「パー子は自宅脇の救急車の中にいて。パニック状態だったから、アタシも一緒に病院に行ったの。指先に火傷があったくらいで、パー子は病院から出られたんだけど……」

妻に大事がなかったのは幸いだったが……帰る家がない!

「赤羽のボスみたいなスナックのママが、ありがたいことにアレコレ助けてくれたのよ。10万円貸してもらってね。その日はママが紹介してくれたホテルに泊まったの。それから転々として……空きがなくて、パー子と2人で鶯谷のラブホテルにも泊まったのよ(笑)」

そんな状況でもペーには寄席やイベントへのゲスト出演の仕事が入っていた。

ペー・パーだけに“捨てるカミあれば拾うカミあり”

「仕事に穴はあけられないから、ホテルを探しては泊まって、そこから仕事に……ってやってたの。焼けた家で亡くなった猫4人――家族だからウチでは“4人”って言うの。その遺骸を自宅の1階倉庫に置いていたんだけど、それがずうっと気になってたのよ。その供養をしにパー子が自宅に行って、その後、近くに住んでいる甥っ子の家にでも行っていると勝手に思ってたの。

アタシ、薄情なオトコでね……。2日後、例のスナックのママさんから“パー子さん、赤羽警察で保護されてるって!”って連絡があってね。パー子、訳が分からなくなって、赤羽の辺りを徘徊してたらしいのよ。

あとで聞いたら、立ち食いソバ屋で食べたり、カラオケボックスに“泊めて”って頼んで断られたりしたんだって。パー子は耳が悪くて、筆談用にメモを持ち歩くくらいなのに、アタシは放ったらかしにしちゃってたのよ」

現在、パー子は落ち着いているというが、以前にもペー・パー夫妻の“奇行”が赤羽周囲で話題に上がったこともあった。

「女将さんの海老名香葉子(昨年12月に逝去)が“パーっと明るくなるからパー子”って付けたんだけど、不謹慎かもしれないけど、“パー”には別のニュアンスもあってね(笑)、ある人は“浮世離れしてる”って言ってたけど、アタシに言わせれば、“能天気”なのよ(笑)」

ただ、筆者が見た、あまりにも美しいパー子さんのモノクロのブロマイドについて話をした際には、「嬉しいねぇ!」と言って、脇に置いていた小さなハンドバッグに手を突っ込み、「パー子の名誉のためにね……、あらヤダ、こんな時にないなんて……」とゴソゴソと写真を探し続けていた。深い二人の関係性が見えた。

火災から1週間が過ぎた9月27日には新たな一軒家が見つかり、ホテルを転々とする日々からも解放された。ペーに言わせれば、「ペー・パーだけに、“捨てるカミあれば、拾うカミあり”なのよ(笑)」なのだが、三平一門の弟弟子にあたる林家たい平“師匠”(恩人ゆえ、ペーにとっては“師匠”なのだという)が率先して、林家ペー・パー子を救うべくチャリティ・イベントを開いてくれた。

岩崎宏美(67)やテリー伊藤(76)、戸田恵子(68)など名だたるメンバーが参加。浅草と大井で開かれたイベントは満員になり、「結論を言うとね、集まった義援金? お見舞金? が想像以上で、火事の損害賠償にも足りて」という。

しかし、次なる災難がペーを待ち構えていた。

きんさん・ぎんさんの金言

2026年になり、買ったばかりのデジカメを紛失。1月6日には、X(旧Twitter)で“捜索願”をアップした。実はこれまでも5〜6回失くしており、「レイザーラモンRGじゃないけど、ぺー“あるある”なのよ(笑)」なのだというが……。

「失くした場所は北赤羽駅なんだけど、カメラよりも中のデータが惜しいのよ。これまでは失くなっても毎回、カメラは戻ってきた。それが、今回は警察に届けてないからかもしれないけど、出てこないのよ

Xで呟けば出てくると思ったんだけど。でも、その書き込みを見て北海道の方が良いカメラを贈ってくださってね。ありがたいの。でも、使い方がよく分からないのよ(笑)」

どうやら撮影した画像を表示するのに四苦八苦しているらしい。筆者にも「ちょっと、あなた、分かんない?」と相談するほどだ。「苦肉の策で……」とスマホのカメラも使い始めたそうだが、「写りが良いのよ、そのままXにも上げられるし……」と今更ながら、スマホの性能に驚かされているという。

だが、一難去ってまた一難。火事後に移り住んた一軒家の電気が1月31日から止められてしまった。もともと日当たりが悪かったらしいのだが、Xでペーが停電状態について言及したのは、折しも日本列島を大寒気が襲っている最中だった。

「ヒーターをつけても寒かったの。なのに電気が止まって……吐く息も白く、もう、シベリアみたい。電話しても待たされるのよ。そしたら東京電力の方が謝りに来てくれて。こちらも“申し訳ない”ってXの投稿は削除して」

あまり知られていないが、ペーは大阪出身。将来は“タレントや落語家に”と漠然と考えていたペーは、上京後、有楽町のラジオの公開収録で観た柳家小ゑん……若き日の立川談志の落語のうまさに、自信を喪失。

ただ、その後に観た林家三平は対照的だったそうだ。「“正月早々に車がぶつかって、ガンッタン(元旦)”って。くだらなくって面白かったの。これなら、俺もできる! って思ったの」が三平への弟子入りの理由だという。

芸歴はすでに62年目。初代三平一門の中で上にいた兄弟子3人は亡くなり、最古参。所属する落語協会でも、色物の部では最古参だ。

「あのね、アタシは芸もうまくないし頭も悪い。M-1の笑いも分からないの。お笑いでは、よく“ナントカ世代”って言うけど、アタシなんて、“紀元前芸人”よ、“B.C.芸人”なの。すきま産業なのよ。笑いも通じない、そんな自覚もあるの。世間から忘れ去られたような芸人なの」

そんなことはない。林家ぺー・パー子は唯一無二のオリジナルな存在だ。

「 “ペーはペーで”とか“そのままでいい”っていう意見もあるわよね。でも、内心、忸怩(じくじ)たるものがあるの。芸人たるもの、切磋琢磨して新しいことを……って思うんだけど、紅白歌合戦を観ても出場メンバーの半分以上、分からない。Snow Manって言われても分からない。

でも、ずうっと芸人。寄席ではピンでギター漫談をするし、パー子との営業の仕事は今も入ってる。パー子は隣で笑ってくれてるだけで華やかになるの。それでいいの。

104歳のきんさん・ぎんさんとも仕事をしたのよ。“長生きも芸のうち”って、アタシの人生哲学よ。芸人は死ぬまで続けるの。もちろん、需要があっての話だけどね(笑)。なくなったら仕方ない。芸人って、そんなもんなのよ」

気づけば3時間半のロングインタビューになっていた。

インタビューを終え、帰路についたペーは取材場所にメガネを忘れていた。慌てて追いかけると、道の先で角を曲がるペーを発見。歩みを早めて追いついた……はずが姿がない。

“あれ……”と思っていると、曲がった先でペーがしゃがみこんでいた。楽しそうに話していたが、疲弊させてもいたのだ。そして、そんな姿を見せまいとしたぺー。「忘れ物を……」と、メガネを差し出すと、ペーは恥ずかしそうにスクッと立ち上がり、「ありがとうね」と言って立ち去った。

今日もペーはピンでは寄席でギター漫談を、営業ではパー子と揃って活動している。

「長生きも芸のうち」

その言葉通り、いつまでパー子と健康で賑やかな姿を見せてほしい。

撮影・文:納戸 剛