◆メジャーでも躍動したレジェンド・黒田博樹の父も名選手

最も華々しい結果を持つ「二世」選手は、広島東洋カープ、メジャーリーグのロサンゼルス・ドジャースやニューヨーク・ヤンキースで活躍した投手・黒田博樹だろう。

彼の武器は150キロを超える速球とバッターの手元で鋭く変化するスプリット、そして9回まで投げ切るスタミナ。“ミスター完投”と呼ばれ、広島のエースとして日米通算203勝をマークした。意外にも高校時代は控え選手だったが、周囲が驚くほどの練習量で球界を代表する投手になったという。

また、メジャー在籍時の’14年オフにサンディエゴ・パドレスが提示した約21億円の年俸を蹴って、4億円の提示だった古巣・広島に返り咲き、その“男気”でもファンの心を震わせた。プロ入り時に着用した背番号15は永久欠番になっており、まさに球団のレジェンドといえる存在だ。

そんな黒田もまた、「二世」選手だということはあまり知られていない。彼の父親は、南海ホークスなどに所属していた外野手の黒田一博。広い守備範囲を誇る外野手で、大事な場面での勝負強い打撃でチームに貢献するいぶし銀プレーヤーだった。

実働8年とさほど長いプロ生活ではなかったが、その存在感は息子に匹敵するものがあったと言っていいだろう。

レジェンド投手だった黒田には及ばないものの父・一博も活躍しており、親子ともにプロ野球で結果を残した非常にまれなケースだろう。

◆虎のイチロー・坪井の父親は守備の人

低迷期の阪神タイガースに入団し、シュアなバッティングで熱狂的な阪神ファンを魅了した外野手・坪井智哉も「二世」選手だ。

坪井といえば、代名詞はイチローそっくりの振り子打法。本人曰く、大学時代にイチローの打撃を見て「苦手な変化球に対応するにはあの打ち方が合うかも」と思い、体を開いて右足を大きく動かすフォームを取り入れたところ、打撃が覚醒したという。

ルーキーからレギュラーの座を掴むと、コースに逆らわずに打ち分けるバッティングで打率.327の好成績をマーク。同年は川上憲伸や高橋由伸らと新人王を競い、セ・リーグ特別会長表彰も受けた。

その後も北海道日本ハムファイターズやオリックス・バファローズ、アメリカ独立リーグを渡り歩き、ダルビッシュ有(サンディエゴ・パドレス)にも慕われる兄貴分的存在としてもチームに貢献した。

そんな坪井の父親もプロ野球選手で、中日ドラゴンズや太平洋クラブライオンズに所属していた内野手・坪井新三郎。身長170センチに満たない小兵選手で俊敏な守備力を買われていたが、息子のようなバッティング技術はなく、実働7年で通算35安打に終わった。

成績やプレースタイルは全く異なった坪井親子だが、名門・PL学園から社会人野球を経由してのプロ入りという経歴のみは共通していた。

◆イケイケすぎるルーキー・度会の父親はいじられキャラ

最後に紹介する「二世」選手は、今年入団したばかりの横浜DeNAベイスターズの外野手・度会隆輝だ。

今どきの若者らしい物怖じしない性格と明るいキャラクターで、入団直後のファンフェスティバルで『ONE PIECE』のオープニング曲『ウィーアー!』を熱唱したことでも話題になった。

さらに開幕スタメンをもぎ取ると開幕から2試合連続でホームランを放ち、華々しいデビューを飾った。新人の開幕2試合連続本塁打はセリーグでは史上初の快挙だった。

以降はプロの壁にぶち当たるものの、打率.255、3本塁打、24打点とルーキーとしては申し分ない成績を残し、来季以降の活躍が期待されている。

そんな度会の父親は、ヤクルトスワローズに所属していた度会博文内野手だ。内野も外野もこなせるユーティリティープレーヤーだったが、チームが黄金期だったこともありレギュラーにはなれず、代打や守備要員としてチームを支えた。