仁支川峰子「自然災害のある国、おひとりさまは〈持ち家か賃貸か〉に悩む。ペットを飼うこともやめました―1998年、新築の自宅を豪雨に流されて」
『婦人公論』8月号(7月15日発売)では、「豪雨、地震、台風……今すぐ見直すわが家の防災」という特集を組み、自然災害への備えについて特集しました。そのなかから、選りすぐりの記事を配信します。*****1998年8月27日、栃木県で起きた集中豪雨によって、那須町の新居が流されてしまった仁支川峰子さん。幸いその日は家におらず無事だったものの、40年分の持ち物をすべて失いました。それでも同じ場所に再び家を建てた、その理由とは――(構成:丸山あかね 撮影:洞澤佐智子)
* * * * * * *
<前編よりつづく>
忙しさで落ち込む暇もなく
新築の家を流されるという大きな試練に見舞われましたが、那須に家を建てたことに関して一切後悔していません。流された家を見て、建築に携ってくれた棟梁たちがメソメソ泣いていたんですよ。
それで、「また同じ場所に家を建てるわよ!」と言ったんです。私より悲しんでいる彼らを励ますために、自らスーパーへ買い出しに行って料理を作り、「これでも食べて元気出しなさいよ」なんて言ったりして。
それに、自然が豊かで人々が温かくて、本当に素晴らしいところだもの。だから被災後、同じ場所にもう一度家を建てたのです。以前より基礎を2倍くらい強化して、2階建てにするなど水害対策を施しました。
周囲の人たちからは、「同じ場所に建てるなんて信じられない」と言われましたが、私が所有していたのは那須町の土地だけだったので、ほかの土地に家を建てるという発想はありませんでした。
そこからすぐに設計をして、4ヵ月後には着工。銀行にお金を借りる手続きをしに行ったり、稼ぐために精力的に仕事をしたり……。家が流されるというのはインパクトのある出来事ながら、忙しすぎて落ち込んでいる暇がなかったことに救われました。
非常食の賞味期限はマメに見直します
那須に建て直した家には長い間住みましたが、自分の将来のことを考えて数年ほど前に売却。今は都内で賃貸暮らしをしています。
おひとりさまで子どももいないので、家を残す人がいませんし、大きな家は管理も大変。それに、空き家が社会問題になっているなか、人様に迷惑をかけるのは極力避けたい、という思いもありました。
再び災害に見舞われた時のことを考えても、コンパクトな暮らしにしておかないと背負いきれないじゃありませんか。賃貸なら家が壊れても引っ越せばいいけれど、持ち家は大変ですよ。修繕には労力もお金も必要だし、売りたいと思っても壊れた家は誰も買ってくれません。
「持ち家がいいか賃貸がいいか」は永遠のテーマですが、これからも自然災害は起こり続けると思えば賃貸でいいかな、というのが、私がたどり着いた結論です。
災害への備えは最低限しています。缶詰やレトルト食品、水、簡易トイレ、トイレットペーパーをひと月分確保しているのと、停電になったらIHコンロは使えないので、カセットコンロ用のガスボンベを常備。
賞味期限がある食品は、たくさん備蓄しても食べきれず処分することになるから、環境に配慮して、マメに見直しています。
被災当時はまだ若かったので、東京と那須を行ったり来たりすることもできたし、力仕事もできました。でも今、同じことをやれと言われても無理。
自分のこともままならない私に動物を飼う資格はないと考え、4匹の犬たちを見送ったあとはペットを飼うのもやめました。寂しいけれど、だからといって命あるものに対して無責任なことはできません。
それに、避難所では相変わらず有効なペット対策がなされていないことも気になります。ペットは飼い主にとって大切な家族です。どうして動物はいつまで経っても物扱いなのか。そのあたりが日本は遅れている気がします。
こだわりや執着心なんていらない
当時のことをよく覚えているのは、忘れられないからではありません。忘れてはいけないと思っているからです。試練と引き換えに数々の教訓を得ました。
たとえば再びなんらかの災害に見舞われたとして、私が決めていることは一つだけ。「冷静でいる」ことです。右往左往すればかえって危ない方向へ行ってしまう。ですから、私は現実をしっかりと受け止め、なるようにしかならないと腹を括ることで、どんな時でも気丈でいられることを知りました。
災害に備えてできるのは、「こうでないと生きていけない」みたいなこだわりや執着心を手放して、おおらかな気持ちで生きることだと思います。
だから基本的には、ふだんから何事にも不安がるようなことはしません。生きるか死ぬかは、家に残るか、たまたま家を出たかというようなことで決まるのです。
それを今から心配するなんて無駄。不安になって縮こまって生きるなんてバカバカしいと私は思います。
今を楽しみながら精一杯に生きる。そうすれば、いつ死んでも悔いは残らない。これが災害から私の得た、一番大きな教訓なのです。