「任天堂は落ち目だ」それでも私が全てを懸けた訳
“落ち目”とまで言われていた任天堂に転職を決意した理由とは(撮影:梅谷秀司)
アメリカ任天堂社長となり、ゲーム業界の歴史において最も強力な人物の1人となったレジー・フィサメィ氏。5月22日、彼の35年間の人生とビジネス哲学をまとめた『崖っぷちだったアメリカ任天堂を復活させた男』が発売した。
今回は本書より、彼が“落ち目”とまで言われていた任天堂に転職を決意した理由を書籍より一部抜粋のうえ、再構成してお届けする。
任天堂からの突然の電話
2003年の夏の終わりに、任天堂のリクルーターから電話をもらった。セールスとマーケティングの次の代表を探していたのだ。
私はこの転職について、信頼の置けるメンターや仕事のパートナーに相談した。するとほぼ全員がやめたほうがいいと言った。
「任天堂は落ち目だ」
「日本の会社で働くのはハイリスクだ」
「太平洋岸北西部だったら、家族や友人たちと離れることになるぞ」
「ゲームなんて、世間の認知度も低いスモールビジネスだ」
彼らの言うことは何もかも的を射ていた。だが私の考えは違った。私はこの業界を消費者の視点で理解していた。ジュニアハイスクール以来、ビデオゲームを時々楽しんできた。まずコレコとアタリが世間の注目を集め、多くのお粗末なゲームを出して失敗したことを目の当たりにしていた。
その後、任天堂がイノベーションと高品質のゲームに特化して、ゲームビジネスに新たな命を吹き込んだのを見てきた。それが今の世代機でソニーやマイクロソフトにその地位を譲りつつあるのが、自宅にいてもわかった。
任天堂のゲームシリーズについても知っていた。これまで「マリオ」、「ポケモン」、「スマブラ」などあらゆるゲームをやってきた。
なかでも大好きだったのは「ゼルダ」のシリーズだ。ゲーム好きは子どもたちも同じで、自分でゲーム体験を広げていった。ここからも、我が子と同年代の子たちが自分で稼げるようになれば、ゲーム産業はさらに著しく成長していくことが窺える。
子どもたちのゲーム好きが、そのまた子どもたちにも伝わる未来が想像できる。私はこの産業に輝かしい未来が見えた。ただしそれを実現するためには、きちんと主導していかなければならない。
私は任天堂が直面する主な問題と、自分ならそれをどう解決するかを、何ページもメモに記した。友人やメンターはやめておけとアドバイスをくれたものの、私なら任天堂を変えられると判断し、すべてを懸けることにしたのだった。
当時の任天堂の問題点とは?
入社までのプロセスは、リクルーターとのビデオ会議から始まった。後に知ったのだが、これは録画され、NOA(Nintendo of America)のスタッフに社内で共有された。このビデオに基づいて、私はワシントンのレッドモンドにあるNOAの本部に招かれた。
ピーター・メイン(NOAの初代セールスとマーケティングのEVP)、ハワード・リンカーン(元NOAのチェアマンで、その後当時山内溥氏とNOAが株を過半数所有していた野球チーム、シアトル・マリナーズのCEOとなる)、君島達己氏(当時NOAの社長)らの過去と現行の重役たちと、丸1日かけて面接を行った。
NOAの人事部長だったフリップ・モースと、ランチを兼ねて積極的なやり取りをしていたとき、私の入社はあやうくご破算になるところだった。私が社員の研修や育成について、フリップにいくつか基本的な質問をしたのがいけなかった。
「レジー、ここではそこまでやっていない。うちは日本の会社の子会社なんだ。向こうは人材育成にあまり力を入れていない」
「ですが、フリップ」と私は切り出した。「私の意見はまったく違います。組織を伸ばして人に投資することは、基本的なことだと思います。新たなスキルを学ぼうという強い組織でなければ、新たなチャレンジに向き合うことは困難です」
こうしたやり取りがしばらく続き、私の中で大きな懸念が生じた。ここまでキャリアを積んできた私は、組織が成功する唯一の方法は、各段階で優秀な人材を置くことだと考えていた。
トップにいるリーダーが優秀なだけでは足りない。スタッフの業績を伸ばすために時間をかけて育成、研修、コーチングを行う必要があることもわかっていた。リーダーはみなこうした人的投資を行う必要がある。
続くハワード・リンカーンとの対話で、私の懸念は緩和されていった。
「レジー、もちろんNOAでは優秀なリーダーは、スタッフに対して時間とエネルギーを投資している。実際、セールスとマーケティングのEVPは、NOAでは特に重要な仕事なんだ。君にはたっぷりの裁量を与えよう。そして君の行動に組織全体の注目が集まるから、君のチーム育成への投資ぶりを見れば、それが受け入れられて会社全体に行き渡るはずだ」
(レジー・フィサメィ : アメリカ任天堂元社長兼COO)