〈元ウルトラマン俳優の今〉沖縄でバー経営も失敗、最高106キロに激太り…芸能界を辞めた本当の理由と「生きるためになんでもやる」境地に至った引退後11年の日々
『ウルトラマンメビウス』(2006~2007年)で主演を務め、『ROOKIES』(2008年)など、人気作品に多数出演したかつてのイケメン俳優、五十嵐隼士(いがらし・しゅんじ)さん(37)。2013年に突如、芸能界を引退し、その後は飲食店やバーの経営者に。なぜ役者を辞めてしまったのか。そして、激太りの真相は? 本人に話を聞いた。
〈元ウルトラマン主演俳優の今〉沖縄でバー経営も失敗、最高で106キロの激太り…芸能界を辞めた本当の理由と「生きるためになんでもやる」境地にいたった引退後の11年の日々
「このまま役者を続けるイメージが湧かなかった」
――引退から9年後の2022年4月に配信された「文春オンライン」の取材で、体重が40キロ増えて97キロになっていたことを明かしており、同年12月放送の『アウト×デラックス』でも、そのあまりの変貌ぶりが話題となりました。
文春の取材を受けたときは97キロでしたが、写真が掲載されると「別人だ」とか「35歳に見えない」とさんざんな言われようで。ムカついたんで、ダイエット魂に火がつきました。
――たしかに、あの頃に比べればだいぶお痩せになった印象です。どのようなダイエットを?
食欲を抑える漢方を飲んだり、当時は浜松のバーの店長だったのでお店のオープン前にジムへ行って1、2時間汗を流したりという生活をしてたら、70キロまで落とすことに成功しました。
見た目が激変したから『アウト×デラックス』からオファーがきたのに、出演時はけっこう痩せてしまっていて、スタジオでいろいろ文句を言われましたね(笑)。
でも去年10月にバーをやめて、規則正しい生活をするなかで自炊にハマり、TikTokの料理動画を再現してたらそれがどれもおいしくてリバウンド。今は体感80キロくらいです。
――五十嵐さんは芸能界引退の理由を当時、「エンターテインメント以外の仕事にも興味が湧くようになった」としていました。実際のところは?
『ROOKIES』の後、次はどんな役が僕にできるんだろうと考えたときに、このまま役者としてやっていくイメージが湧かなかったんです。
それであの頃、よく遊びに行ってた六本木のバーを手伝うようになっていて、そこで出会った方から「しゃぶしゃぶのお店を開くから一緒にやろう」と誘われて。
当時は27歳。30代をどう生きていくかってときだったから、その誘いはすごく魅力的で芸能界引退を決断しました。
沖縄にバーを出店も失敗
――事務所からは反対などなくスムーズに引退できたんですか?
所属していた音楽ユニット「D☆DATE」でいろいろと準備中というタイミングだったからすぐにとはいきませんでした。結局、約1年後とかだったかな。
――事業をやることが魅力的に感じられた理由は?
高校卒業後に長野から上京してそのまま役者になった僕にとって、ひとつの事業を起こす流れを最初から体験させてもらえることが魅力的でした。
実際、行政の許認可や資格の取得、物件探しから、開店に向けて厨房やホールで使う物品の準備などの流れを体験できてとても勉強になったし、刺激的でした。
店の調理器具は僕がいろんな店舗をまわって探したり、金額交渉したりとすべて自分で調達しましたしね。そいういう経験はすべて初めてだったからおもしろかったですね。
――その後、沖縄でバーを開店していますね。
しゃぶしゃぶ店の経営に4年ほどかかわった後、六本木でバーとカフェも始めたけどうまくいかなくて。
それで沖縄なら年間通して観光客の来店が見込めるし、ワンオペだから人件費も抑えられるかなと思って六本木のバーとカフェを売ったお金でオープンしました。まぁ、甘く考えちゃってましたね……。
――こちらもうまくいかなかった?
沖縄の観光客は、ゴルフとかマリンスポーツとかの予定を朝早くから入れちゃうから、夜遅くまで飲まない人がほとんどで、現地の人は地元民が経営する店に行っちゃう。
固定客が得られず、友達もいなくて誰も頼る人がいなかったからオープン数ヶ月で心が折れました。
それでもなんとか続けながらマリン系のアクティビティの仕事でも始められないかと探してみても、あの業界は組合がガッチリしてて入り込むハードルがとても高く、そちらも断念。
そんな折に知人から「浜松でバーを開くから、店長をやってほしい」という話がきたんです。なんでもやってやるって気持ちだったから迷いませんでした。
かつての共演者の話をきっかけに新たな世界に
――しかし、直後にコロナ禍が襲います。
お店の休業中はそこの経営者がやってる解体業を手伝いました。素人だったので現場ではまったく役立ちませんでしたけど、生きていくためにはなんでもやるって感じで。
――元俳優として、肉体労働への抵抗は?
そういう見栄が一切ないんですよ。役者だっていろんな人生を演じられるからやっていたわけですし、僕にとってこういう経験も楽しいことだと感じられましたね。
――そして、コロナもおさまったなか、去年10月にバーの店長もやめたと。
僕って実は、酒を飲む場の雰囲気が好きなだけで、酒そのものは好きじゃないんです。でもお店をやってるとお客さんから勧められたお酒を断ったときに「あんたね、飲むのも仕事でしょ」とか言われてしまう。
飲み屋あるあるだけど、それが理不尽に感じていたし、昼夜逆転の暮らしはいつまでも続けられない。浜松だけで4年もやったし、正直、もうそろそろかなと思ってました。
そこに(仁科)克基くんが新しい事業をやり始めたと聞いて、「自分がやりたいのはこの仕事かもしれない」と思ったんです。
※
仁科克基さんといえば故・松方弘樹氏と仁科亜希子さんの息子で、五十嵐さんとは『ウルトラマンメビウス』で共演した仲。その後も親交が深い間柄だ。後編では仁科さんがきっかけとなって始めることになった、五十嵐さんの新事業について聞く。
取材・文/河合桃子
集英社オンライン編集部ニュース班