死去した曙太郎さん。写真は2001年の明治神宮奉納土俵入りの様子(写真:ロイター/アフロ)

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元横綱で格闘家の曙太郎(あけぼの・たろう)さんが2024年4月に死去したことが4月11日に明らかになった。54歳だった。

曙さんは若乃花さん・貴乃花さんの「若貴兄弟」のライバルとして相撲ブームを巻き起こしたほか、バラエティ番組でも活躍。その訃報に、角界・芸能界や芸能界をはじめ、幅広い分野から惜しむ声が相次いでいる。

元若乃花「お互い協会から離れて頑張ってきたけれど 離れていてもいつも心にいました」

外国出身力士で初めての横綱だった曙さんは、身長204センチ、横綱時代の体重は200キロ超と巨躯を活かしたパワフルな取り組みでファンを魅了。若貴兄弟のライバルとして君臨し、最強のヒールとして相撲ブームをけん引した。

ハワイ出身だが1996年に日本国籍を取得し、名前も「チャド・ジョージ・ハヘオ・ローウェン」から「曙太郎」に改名。

2001年の引退後は親方として後輩の指導にあたっていたが退職し、格闘技のK-1に参戦した。のちにプロレスラーに転身し、数々の団体に参加し活躍した。

17年4月11日に行われた試合後に体調不良を訴え救急搬送され、療養を続けていた。

大相撲や総合格闘技、プロレスなどで人気を博した曙さんは、バラエティ番組やCMにも出演し、幅広い分野で精力的に活動した。復活を望む声も多かった曙さんには、惜しむ声が相次いでいる。

元横綱・若乃花の花田虎上さんは同日、「曙の訃報に際し」と題したブログを公開した。「ライバルであり友であり 苦楽を共にした仲間が旅立ちました」とし、「あまりのショックにお話できるような状態ではありません」と悲しみの中にあるとした。

「お互い協会から離れて頑張ってきたけれど 離れていてもいつも心にいました 切磋琢磨してライバルとして戦ってきた分愛情が深く 言葉では言い表せないものがあります」

生前の曙さんと「歳を取ったらハワイの木の下で同期生皆んなで会おうと曙と話していた」と再会の約束をしていたといい、「ゆっくり待ってて ハワイの木の下でまた会おうね 会いに行くね」と呼びかけた。

元小結で衆院議員などを歴任した旭道山和泰氏は、「両膝悪化で 横綱として惨めな姿で土俵に上がれないと 現役を引退表明した横綱の曙関 謙虚で礼儀正しい横綱 稽古 本場所で戦った戦友早すぎる 寂しい 悲しい 曙関 またあの世で」とつづった。

在日米軍司令部「大相撲史上初の外国出身横綱となるための壁を破った人物」

ハワイ出身の曙さんには、駐日米国大使や在日米軍からも追悼のメッセージが寄せられている。

ラーム・エマニュエル駐日米国大使は、「角界の巨星、誇り高きハワイアン、そして日米のかけ橋であった曙太郎氏ご逝去の報に接し、深い悲しみに暮れています」と投稿。

「氏は1993年に史上初の外国出身力士として最高位である横綱となり、他の外国人力士が大相撲で成功するための扉を開きました。日本で過ごした35年の間に、スポーツを通じて皆をひとつにすることで、第二の故郷となった日本と米国との文化的な結びつきを強化してくださいました。曙太郎氏のご家族、ご友人、そして世界中の相撲ファンの皆さまに心よりお悔やみ申し上げます」

と悼んだ。

在日米軍司令部も、公式Xを通じて声明を発表した。

「私たちは本日、相撲ファンの皆様とともに、元横綱・曙太郎さんのご逝去を悼み、心よりお悔やみ申し上げます。真のチャンピオンであり、大相撲史上初の外国出身横綱となるための壁を破った人物でした」

林芳正官房長官も記者会見で

「曙氏は外国出身の力士として初めての横綱になった。同じ時期に入門した貴乃花、若乃花らと常に熱戦を繰り広げ、大相撲人気をけん引するなど、角界で大いに活躍された。心より哀悼の意を表したい」

と言及。国際オリンピック委員会(IOC)の日本語公式アカウントは、1998年の長野冬季五輪の開会式の動画つきで

「長野1998オリンピックでは、当時の横綱・曙関として世界の人々に堂々とした土俵入りを披露した曙太郎さん ご逝去の報に接し、謹んでお悔やみ申し上げます」

と悼んだ。

田中将斗さん「『プロレス界では田中さんが先輩だから』と......」

格闘技界からも追悼のメッセージが相次いだ。

元プロレスラーの武藤敬司さんは、曙さんの試合中の写真を添え「大相撲からプロレス界へ、真摯に向き合う姿勢にプロレスLOVEを感じた人でした」と投稿。「俺の引退前に今一度闘いたかった思いもありましたが叶いませんでした。横綱、ゆっくりと休んでください」とした。

参院議員で格闘家の須藤元気さんは、「曙さんとは練習や大会を何度もご一緒しました。実現はしませんでしたが総合格闘技の試合のオファーをK1からいただいたこともありました。思い出が蘇ります。ありがとう曙さん」とつづった。

プロレスラーの田中将斗さんは「横綱になった方が僕の事を田中さんとさん付け。僕は何度もやめてくださいと言ったのに『プロレス界では田中さんが先輩だから』とずっとそのまんま 本当に素晴らしい人だった プロレスもZERO1の事も大好きでいてくれて、ありがとうございました」と曙さんの人柄に触れ、別れを惜しんだ。

覆面レスラーのジ・アッチィーさんは曙さんとの対戦の様子を写した写真を添え「2008年メインで曙選手とシングル。試合前の緊張と恐怖、張り手とスプラッシュの衝撃は今でも鮮明に覚えてます。一緒にお酒を交わしたあの日の出来事は忘れません」と投稿。「とてつもなく豪快で優しくてユーモア溢れた横綱、大切な思い出をありがとうございました」と感謝をつづった。

プロレスキャスターで気象予報士の元井美貴さんは「曙選手...大変な思いをされたであろう電流爆破での火傷について、『勲章』と語っていたお姿が印象的でした。気さくにハワイやフラダンスのお話もしてくださった時の笑顔が心に残っています」と曙さんとの思い出を振り返り、「あの大きな横綱がいらっしゃらないと思うと寂しく悲しいです」とした。

新日本プロレスのリングアナをつとめていた田中ケロさんは、訃報に触れ「控室でシャワー浴びた後、バスタオルが、腰回りが長すぎて巻けなく、腹の肉で止め『どうこれ?』と見せるお茶目な面もあった曙さんを思いだします」と生前の曙さんとのエピソードをつづった。

芸能界からも「僕にとって、ずっと天下の大横綱」「気は優しくて力持ちな横綱でした」

芸能界にも悲しみが広がっている。

お笑いコンビ・しずるの村上純さんは、大きなジョッキを片手に笑顔を浮かべる曙さんのショットや舞台での記念写真、曙さんと村上さんとのツーショットなどを添え「曙太郎というお方は本当に優しくてユーモアがあって、体以上に器も心もデッカい人で」とつづった。

「角界のことはよくわかりませんが、"太郎ちゃん"なんて呼ばせてくれる横綱なんてなかなかいないのではないでしょうか。僕にとって、ずっと天下の大横綱です」

とした。

ロックバンド「氣志團」の綾小路翔さんは、「曙さんとはかつてのバンド仲間でした」と追悼。曙さんと綾小路さんは、炭酸飲料「ファンタ」のCMで共演していた。

「プライベートでお会いしたのは一度だけでしたが、朝青龍さんと男3人で甕雫を13個飲み干すという、伝説の夜を思い出しました。あの日の出来事は自分にとっての数少ない武勇伝となっております。さらば偉大なる横綱。いつかまた一緒に酒を酌み交わす日まで。合掌」

歌手のファンキー加藤さんは、曙さんのチャンピオンベルトを肩に掛けたツーショット写真を添え「『カトウさん! 一緒に写真撮ろうよ!』 気は優しくて力持ちな横綱でした ご冥福をお祈りいたします」とした。

お笑い芸人のなべやかんさんは、自身の頭に曙さんが肘を置いた写真を2枚添え「曙さんが亡くなられた。曙さんとパチンコ営業に何度も行ったな」と懐かしんだ。 頭に肘を置かれていた理由について、「曙さんから『やかんが横にいると肘乗せになって便利なんだよ』と重宝された。膝が悪かったので、俺の頭が役に立っていたのだ。また一緒にお仕事したかったな」と振り返っている。

NHK教育テレビでドラマ化された4コマ漫画「すもうねこ」の公式アカウントは、曙さんが主人公・すもうねこの声優を演じていたことに触れ「曙さんは、以前Eテレで放送された実写版『すもうねこ』で、恐れ多くもねこ関の(心の)声を演じてくださいました。現役時代の力強い相撲とは真逆の、ちょっと力の抜けたゆるくコミカルな感じが印象的でした。まだ54歳...。謹んでお悔やみ申し上げます」と惜しんだ。

タレントのデーブ・スペクターさんは、曙さんと家族との4人での記念写真を添え「曙さんを本名のチャドと呼ばせていただきました。ご家族も素敵でいつもハワイの太陽より明るかった。断髪式で丁髷まで切ろうと迷惑もかけました! ギャグを言い合ったり横綱でもいつもチャドでした」と思い出を振り返った。