但馬ミツロとその師・亀田興毅が起こす“ボクシング界の革命”と『3150FIGHT』の挑戦
格闘技シーンの面白さを、若年層マーケティングを手がける株式会社bieno代表・奥原ゆきのとともに伝えていく連載『Still enjoying martial arts~"配信コンテンツ”で格闘技はもっと面白くなる!~』。
参考:VS 朝倉未来直前! YA-MANが語る“20歳の自分と若者へのメッセージ”「格闘家はあくまで目標に向かうための手段だった」
今回は、ABEMAボクシングのYouTubeチャンネル『但馬ミツロの腹パン散歩』でも人気のプロボクサー・但馬ミツロと、彼が所属する新世代プロボクシング興行「3150FIGHT」のファウンダーを務める亀田興毅が登場。ボクシングへの想いや格闘技界に革命を起こす「3150FIGHT」の挑戦について、たっぷりと語ってもらった。聞き手は、株式会社bieno代表であり現役大学生の奥原ゆきのが務める。
〈「3150FIGHT」を引っ張っていけるくらいの選手になる〉
奥原ゆきの(以下、奥原):但馬選手は、高校入学と同時にボクシングを始めたとお聞きしました。何かきっかけがあったのでしょうか。
但馬ミツロ(以下、但馬):K-1選手に憧れていたので、空手やテコンドーなどさまざまな武道を習ってきました。ボクシング部に入ったのは、パンチを習いたいと思ったからです。最初はテコンドーと並行してやっていました。
奥原:小さいころから、身体は大きい方でしたか?
但馬:いや、そういうわけじゃないんです。だんだん大きくなっていった感じで。見た目も、小さいころは日本人っぽかったんですよ。歳をとるごとに、ブラジルの血が濃くなってきました。
奥原:学生時代は、どのように過ごされていたのでしょうか。
但馬:高校では最高記録がベスト8で、大学ではチャンピオンになることができました。スポーツ推薦で進学する選手は、部活動を頑張るために学校に入っているので、ボクシング一色の生活をしていましたね。
奥原:大学時代は、怪我をしてオリンピックを断念された経験もあるとお聞きしました。
但馬:そうですね。大学3年生のときに怪我をして手術をしたので、4年生のときは試合に出ることができなくて。
奥原:辛かった時期をどのように乗り越えられたのでしょうか。
但馬:元々、メンターにしている選手のバックボーンを調べるのが好きだったんです。やはり、怪我を避けて通っている選手は少ないし、みんな乗り越えてきているのを知っていたので、自分も必ず乗り越えられるという自信が頭のなかにありました。
奥原:そこから怪我を乗り越えて、亀田興毅さんがプロデュースする新世代プロボクシング興業「3150FIGHT」に入られたと。
但馬:めちゃくちゃ光栄なことですよね。「3150FIGHT」で戦えていることが、嬉しいし誇らしい。今後は自分が「3150FIGHT」を引っ張っていけるくらいの選手にならなければならないと思っています。
奥原:亀田さんとの出会いはいつごろですか?
但馬:2021年ですね。
亀田興毅(以下、亀田):ミツロがアマチュアのときから、すごい選手が出てきたと噂で聞いていたので、面白いなと思っていたんです。ただ、当時はぼくもまだボクシング事業をやっていなかったので。
奥原:興行を立ち上げるのって本当に大変なことだと思うのですが、何か決心するきっかけはあったのでしょうか。
亀田:コロナ禍で多くのボクサーが引退していったことですかね。
奥原:スポーツ興行やイベント等、軒並み中止や無観客となっていましたよね。
亀田:そうなると、興行をしても無観客だし赤字じゃないですか。このままいったら、ボクシング業界が終わってしまうと思ったときに、プラットフォームが必要だと思いました。
奥原:ジムが主体の興行ではなく、興行が主体となったプラットフォームはかなりめずらしいですよね。
亀田:そうすれば、選手たちも試合ができるので引退しなくてもいいんじゃないかと思って。あとは、亀田興毅という人間を育ててくれたボクシング業界に恩返ししたいなという気持ちもありました。
奥原:ボクシング業界への恩返しの気持ちが、「3150FIGHT」立ち上げに繋がっているのですね。
亀田:ボクサーが稼げるようになったら、憧れのスポーツになるじゃないですか。ボクシングのファイトマネーってふつうはチケット払いなんですけど、「3150FIGHT」は現金で、しかも相場の倍額を渡すことにしているんです。チケット払いだと、チケットが売れなければ売り上げが作れない。なんなら、自腹を切ってリングに上がっている選手もいたりして。
奥原:命がけでリングに立っているのに……。
亀田:そうなんですよ。だから、まずはそこの仕組みを変えていかなければならないと思って。ただ、そうなると運営側が厳しくなってしまうんですけど。
奥原:「3150FIGHT」では、金銭問題をどのように解決れているのですか?
亀田:日々、スポンサー営業をしています。とにかく大量行動あるのみ。最初は他のジムから「うちらもやらんとあかんくなるやん」って指摘を受けたこともあったけど、最近は業界全体が少しずつ変わってきている気がします。ただ、いまの段階では、マイナスだったものをゼロベースにしている段階。なので、これから業界にどんどん刺激を与えレートを上げていきたい。ぼくはボクシングを最高なスポーツだと思っているし、夢を与えられるものにしたいから。
奥原:「3150FIGHT」の由来は、そういった意味も込められているのでしょうか? 最高なスポーツという。
亀田:いや、それは、親父(亀田史郎氏)が「最高!(3150!)」とやっているからというのもあります(笑)。流行語にノミネートされたこともある有名なワードなので、それを使おうと。でもボクシングの“再興”と“最高”のボクシングで、最高のボクシング再興へ、という意味を込めています。
奥原:なるほど、ダブルミーニングだったんですね。
〈但馬ミツロがSNS断ちしたワケとは?〉
奥原:現在、ABEMAボクシングのYouTubeチャンネルで配信されている『但馬ミツロの腹パン散歩』、大人気ですよね。街で声をかけられたりすることも増えましたか?
但馬:増えました。“腹パン”というワードが広がっているのも感じます。あとは、インタビューで話をうかがったりするときに、「見てます」「知ってます」と言われたり。あと、子どもから声をかけられることも多いです。ぼくも小さいころからテレビの画面に釘付けになってボクシングを見ていたので、未来を作る子どもたちに見てもらえるのはやっぱり嬉しいですね。
亀田:たしかに、うちの子どもたちも「ミツロ大好き!」って言ってる。
奥原:大会に向けるモチベーションも上がりますね。
但馬:そうですね。やっぱり、人に見られて成り立つというのが、スポーツ興行の一面でもあるので。ボクシングと離れている層を振り向かせることができているのは、すごく嬉しいです。
奥原:ただ、但馬さんは昨年SNSを全部やめられていますよね? 何か理由があってのことなのでしょうか。
但馬:もちろん、たくさんの人に知ってもらうのは大事なことだと思っています。ただ、ヘビー級チャンピオンになるという、日本人ではまだ誰も成し遂げていないことに挑んでいくなかで、自分の活動に集中していかなければならないと思ったんです。興毅さんと今後の活動について相談させていただいたときも「目先のfamousやお金を見るんじゃなくて、夢を叶えることに集中しよう」と言っていただいて。SNSは5分もあれば再開できますし、実力があればフォロワーはついてくると思うので。ただ、ファンのみなさんありきのボクシングだというのはわかっているので、みなさんにぼくの活動を提供できるような場をなにか考えなければいけないなとは思っています。
亀田:強くなったら、あとからいくらでもフォロワーはついてくるから。例えば大谷翔平選手がXのアカウントを作ったら、えげつない数の人が一気にフォローするでしょ? ヘビー級の世界チャンピオンになってそれに近い名声を得たうえで、やりたければやればいい。これまでコツコツやってきた他のファイターたちを一気に捲ることができる。それがボクシング。
〈20代の人には「常識の範囲でヤンチャしてほしい」〉
奥原:2月17日から3週連続ABEMAで配信されている『但馬ミツロの腹パン散歩』では、沖縄に行かれていましたよね。沖縄ロケはどうでしたか?
但馬:楽しいの一言でしたね。ウエイトリフティングの知念光亮選手にも腹パンしていただいたりして。もしかしたら、パリオリンピックに出られるかもとおっしゃっていたので、本当に決まったらすごいなって。
亀田:海外とかにも行くようになったら、もっと面白そう。まずは、韓国や!
但馬:アジア圏から(笑)。
奥原:世界進出、ありそうですね。
但馬:アーネスト・ホーストさんにも腹パンをしてもらったように、レジェンド級の方からの腹パンを受けられるのも嬉しいんですよね。闘魂注入してもらっている気がして。
亀田:でも、大会のために体重落としてるから、いまやったら効くんじゃない?
但馬:大丈夫な気がするんですよね。空手の経験が生きているのかもしれないです。
亀田:すごいわ!
奥原:大会というのは、3月31日開催の『3150FIGHT vol.8』ですか?
但馬:そうです。
亀田:今回の相手は世界ランカーなんですよ。ミツロがデビューして以来、いちばん強い対戦相手です。
奥原:それは、今年を占う上で重要な戦いになりそうですね。
但馬:世界ランキングを上げるためにも、今回の試合は絶対に勝ちたいです。
奥原:それでは最後に、いまの20代の読者だったり進路に迷っている若い世代に、お言葉をいただきたいです。
但馬:20代前半は怪我が続いていたので、いま振り返ればやめるタイミングだったのかな? と思うような時期でした。でも、やっぱり続けてきてよかったなと思っています。今後もいろいろな試練があると思うけれど、続けるというのは何より大事なことだなって。
亀田:20代のみなさんには、のびのびと好きなことをやってもらいたい。そして失敗も経験しよう。ぼくが20代に戻れるなら、もっとヤンチャしますもん(笑)。ただ、成人しているわけだから、道を逸れるようなことはしてはいけない。常識の範囲内で、ヤンチャして失敗もしてほしい。ぼくも、若い世代には負けてられへん! と思いながら頑張ります。
(取材=中村拓海/構成=菜本かな)