AIがもたらすのはユートピアかディストピアか(写真:タカス/PIXTA)

生成AIが豊かな社会をもたらすのはほぼ確実だが、それがユートピアになるとは限らない。生成AIは、さまざまな形のディストピアをもたらしうる。しかし、だからといって、AIの進歩を止めてしまえばよいわけではない。昨今の経済現象を鮮やかに斬り、矛盾を指摘し、人々が信じて疑わない「通説」を粉砕する──。野口悠紀雄氏による連載第105回。

生成AI導入で社会はユートピアになるとは限らない

生成AIの導入によって生産性が向上し、社会全体としては豊かになる。これは、ほぼ確実に生じる。

しかし、だからといって、ユートピアが訪れるわけではない。AIがもたらすディストピアの世界は、まず、AIが人間の職を奪うという形で生じるだろう。突然仕事がなくなって失業する。あるいは収入が激減する。

これまでの技術は単純労働を代替した。生成AIは、知的労働を代替する。最初はフリーランス、非正規雇用の人々だが、正規の雇用者もいつまでも安泰であるわけではない。仕事が次第になくなる。新規雇用は減っていく。

この問題は、コピーライターなどの仕事についてはすでに発生している。ChatGPTが登場してからまだ1年も経っていないのにすでにその影響が現実化しているのは、驚くべきスピードだと言わざるをえない。今後 企業が生成、AIの利用を進めるに従って、必要が急激に増大する可能性がある。これは、さしせまった問題だ。

その反面で、所得と富が一部の人々に集中する その結果、所得と富の分配が、許容できないほど不公平になる。こうしたことを背景に社会不安が強まる。

生成AIは、多くの人に学びの機会を与え、その結果、所得の低い家庭の子弟でも十分に勉強ができるようになる。

しかし、必ずそうなるとは限らない。それはAIを使う費用に大きく依存している。誰でもAIを無料で、あるいは低い料金で使えれば、ユートピアが訪れる。しかし、そうではなく、料金が高ければ、逆の世界になってしまう。AIの家庭教師は能力を高めるが、料金が高ければ、誰でも使うわけにはいかない。所得の低い家庭の子弟は使うことができない。

現在すでに、無料版のGPT3.5と有料版の4.0では性能が異なる。有料版ではプラグインを使って能力をさらに高めることができるが、無料版ではできない。すると、所得の高い人がそれを利用してさらに能力を高め、能力を拡大する。しかし無料版しか使えなければ、こうした利用をすることができない。

一部の特権階級だけがメリットを享受?

今後ChatGPTとAPI接続をした学習ツールが登場することが予想される。これらは必ずしも無料で利用できるとは限らない。有料になってもそれらを利用できる子供と、それらを利用できない子供との間で、学習の条件が大きく変わってしまうということがあるわけだ。

AIを使って能力を高め、生産性を高め、所得を増やす。それができる一部の特権階級と、それができずに低い能力向上で止まり、所得が低い大多数の人々との間で、著しい格差が発生する。

これまでも、親の所得が高ければ家庭教師をつけることができたという問題はあった。ただし、そうしたことによる学習条件の違いよりも、生成系AIの利用可能度の違いによる学習条件の違いは、はるかに大きなものになると考えられる。

以上のようなディストピアは十分に予想されるものだが ディストピアとしてはこれとはまったく性質が違うものも考えられる。

人々がAIの力で豊かになる。そして所得が増える。あまり努力せずに所得が増えるので、人々は、生きがいは何かということがわからなくなってしまう。

望めば何でもAIが教えてくれるので、自分で勉強する気にならない。自分の能力が高まったように見えるが、本当はそうではなくて、AIが助けてくれただけのことなのだ。

知識が増えたのも所得が増えたのも、自分が努力したからではなく、AIが与えてくれたものに過ぎない。そうしたことがわかってくれば、結局のところ、自分は何なのだろうかという虚無感にとらわれる。

AIのおかげで、所得が上昇し、生活が豊かになった。しかしそれは自分の力で獲得したのではない。AIが与えてくれたものだ。では、自分が生きていることにどんな意味があるのだろうか?

ビッグブラザーの世界

生成AIによる政治介入は、目立つ形で行われるとは限らない。いつか知らないうちに、個人の生活がコントロールされる事態は十分に考えられる。   

ジョージ・オーウェルが描いた未来社会におけるビッグブラザーは、その当時の技術水準ではとても実現できることではなかった。国民の全てを監視しようとすれば、膨大な人数の監視員が必要になってしまうからだ。

しかし、AIを用いれば、状況は大きく変わる。知らないうちに自分がコントロールされてしまうという危険は十分に考えられる。さまざまなことを解決してくれるので、ありがたいと思っているが、その結果として、コントロールされてしまうのだ。

どんな技術も、悪意ある使い方をすることによって危険なものとなる。AIもそうだ。情報の基に誤りや偏りがあれば、AIがそれを『もっともらしい情報』として増幅してしまう。そして、人々は、知らないうちにコントロールされる。

トルストイは、 小説『アンナ・カレーニナ』の冒頭で、「幸せな家庭はどれも同じように幸せだが、不幸な家庭はそれぞれに不幸だ』と述べた。この法則はさまざまな場面で正しい。ジャレド・ダイアモンドは、『銃、病原菌、鉄』の中で、これを「アンナ・カレーニナの法則」と名付けた。

この法則は、生成AIがユートピアをもたらすか、ディストピアをもたらすかに関しても、当てはまる。

ユートピアにおいては、まず、社会全体が豊かでなければならない。そして所得分配が平等でなければならない。さらに、働くことが苦痛ではなく、生きがいでなければならない。自由な意見を述べることが許され、政治的な自由が確保されていなければならない。これらすべての条件が満たされた社会は、似たものになる。

これに対して、上の条件の1つでも実現されなければ、社会はディストピアになってしまう。だから、ディストピアにはさまざまなものがあるのだ。

特に注意すべきことは、AIがもたらすディストピアは、すべての人が貧しくなり、すべての人が不幸になるというような世界ではないことだ。

戦争や大災害、あるいは天候不順による凶作の場合には、そうした状況になるかもしれない。しかし、AIがもたらす社会は、そうしたものではない。

生成AIがもたらす社会では、すべての人が不幸になるわけではない。「他の人々が不幸になっても、自分は幸福になる」という状況が生じるはずだ。なぜなら、そして、その恩恵を享受する人が必ずいるからだ。多分それは、AIを開発した企業とその関係者だろう。

ただし、それらの人々に限定されるわけではない。AI開発企業と関係のない人であっても、新しいAI技術をうまく利用することで、生産性を向上させ、仕事や所得を増やすことができる人はいる。つまり、ディストピアの中でも成功者が存在する可能性は、十分にありうるのだ。

では、どうする?

ではどうしたらいいか? AIの進歩をすべて止めてしまえばいいのか? そして、今の社会をずっと続ければいいのか?

しかし現在の社会は、けっして理想的なものではない。豊かな人もいるが、貧しい人もいる。貧しい家庭に生まれた子供たちは、能力を伸ばす機会を与えられない。そうしたことは、ぜひAIの力で解決してほしいものだ。

それでは、いったいどうしたらいいのか? 政府は、こうしたことを考えて社会をどのような方向に導けばいいのだろうか。

AIの能力がどこまで進展するかも、まだわからない。だから、どのような対策を講じたらよいのかという根本問題に関して、はっきりした答えが得られない面がある。われわれは、AIの進歩を見守り、それをどう制御をし、どのようにして望ましい社会を築きあげていくことに使えるかを考える必要がある。


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(野口 悠紀雄 : 一橋大学名誉教授)