グーグルやアップルでスマートホーム事業などを手掛けた“Yoky”こと松岡陽子氏。パナソニックでの役割が明らかになってきた(撮影:風間仁一郎)

ロボット工学や人工知能(AI)の専門家として、アメリカのグーグルやアップルの幹部を歴任してきた"Yoky(ヨーキー)”こと、松岡陽子氏。 2019年に役員待遇のフェローとしてパナソニックホールディングスに移籍した。

そんな松岡氏が手掛けるのが、2021年からスタートしたコンシェルジュサービスの「Yohana(ヨハナ)」だ。日々の食事のレシピ考案やネット通販での買い物など、日常のこまごまとした「タスク」を専用のアプリを通じて手伝ってくれる。対応するのは人間のコンシェルジュだ。家事と仕事の両立に忙しい共働き家庭がメインターゲット。日本では2023年10月現在、1都3県で利用できる。

意外なのは、AIに詳しい松岡氏の作ったサービスにもかかわらず、生身の人間が助けてくれる部分の多いサービスであることだ。アプリ上でのやり取りやビデオ通話で相談に乗ってくれるのはヨハナ自前のスタッフ。社会では生成AIの活用が進む中、いったいなぜなのか。

――データを活用して人の暮らしを支援する新規事業「パナソニックウェル」として手掛ける事業の1つが、コンシェルジュサービスの「ヨハナ」です。アメリカで始めたサービスを日本でもスタートしたのが2022年9月。この1年の手応えは?

うまく活用できている利用者からは、「(夫婦に次ぐ)3人目のパートナーといえるほど生活に入り込んでいる」という声をよく聞く。ヨハナが提供するサービスの領域は、まだ多くの人が「ほかの人にやってもらう」という勇気を出せていないところ。

ただ、その勇気を出して家庭でのちょっとしたタスクをヨハナに任せてみると、気がついたら時間がこんなにできていた、と実感できる。

具体的な利用者数は公表していないが、依頼されたタスクの数は日本とアメリカの累計で12万件まで膨らんでいる。

ステイホームで隙間時間が消失

――過去にはスマートホーム製品の「グーグル ネスト」などに関わってきました。コンシェルジュサービスというのは、また違った切り口です。

これまでグーグルやアップルで作ってきたものは、ヘルスケア関係のサービスが多かった。パナソニックでも「家庭で健康に貢献する製品やサービスにはどんなものがあるのだろう?」という軸で事業を考え始めたのだが、ちょうどその頃、コロナ禍になった。

その間のわが家は、もう壮絶。私は子どもが4人おり、その全員が自宅からオンラインで授業を受けるようになった。もちろん夫も私も在宅勤務になった。

ところが仕事の合間には、子どもたちから「ママ、インターネットがつながらない」「ママ、テストを受けるのに端末が動かない」と声がかかって、まるで自分がテックサポートになったかのような状態に。

ミーティングの合間には、本当なら次の会議のキャッチアップをしたいのに、それすらできない。1日の中で隙間時間がまったくなくなってしまった。

隙間時間がないと、家の中のTo-doリストはどんどん溜まっていくばかり。「もうこれは健康どころではない。私の生活そのものがちっとも前に進まないじゃないか」と。そこで生まれたのがヨハナだった。

――日本の共働き家庭では最近になって家事代行を利用する人が珍しくなくなってきた印象があります。一方、ヨハナが月額1万円の通常料金内で提供するのは、家事代行サービスの対象にすらならない、ちょっとしたタスクに対するサポートです。「名もなき家事」に市場はありますか。

ヨハナで実際に多く寄せられる依頼としては、食事の献立を考える、レストランを選ぶ、子どもの教育関連の情報収集、週末に子どもと出かけるときの予定を立てる、などがある。どれも難しいタスクではないが、溜まっていくとどんどん頭の中が重くなっていく。

ヨハナでは(追加課金すれば料理や掃除などの)家事代行もするが、家庭内には家事ですらないちょっとしたタスクが大量に存在している。

なぜ人間が対応するのか

――実際にヨハナを触って意外だったのは、生身の人間とのやり取りがサービスの中心になっていることでした。松岡さんはロボット工学やAIの専門家なので、もっとAIを全面的に活用しているのかと想像していました。

自分はグーグルの研究開発部門であるグーグルXの共同創業者なので、アメリカでもよく驚かれる。

なぜヨハナでは人間が対応するのか。それは、テクノロジーをよく知っているからこそ、お客さまが本当にやってほしいことをテクノロジーだけで実現することはできないと気がついたからだ。

一方で、お客さまからは見えないサービスのバックエンドではAIをどんどん用いている。とくに生成AIは、いくつも。

一例を挙げれば、ユーザーから依頼されたタスクの解決策を考える際のリサーチ作業。生成AIは、人間単独よりもっといいことがどんどん考えられる。AIの発案をコンシェルジュが利用者に提案するアイデアの一部として取り入れられるようにしている。

ほかにも人間がイチからやると手がかかるところにはAIを入れている。たとえば、依頼に対してコンシェルジュが送る提案書の原案を作成させる。利用者への質問事項の洗い出しもそうだ。


ヨハナで家族旅行の日程を依頼した際のコンシェルジュとのやり取り。AIにはまだ難しい、血の通ったコメントをくれる(画像:アプリのスクリーンショット)

何か商品を探すことを依頼されたとして、ニーズに合ったものを提案するために「好みの色は」「予算は」といった質問をする必要がある。これはある程度聞くべきことが決まっているので、テクノロジーの得意分野だ。

利用者との過去のやり取りの分析にもAIをかけている。

毎週献立の提案をしている利用者がいたら、過去のデータの蓄積で「どんな食材にアレルギーがあるか」「子どもの好き嫌い」「これまでどんなメニューを食べてきたか」、などがよくわかる。

だから「来週うちに親が来るから、ディナーのレシピを提案して」という依頼が来れば、これまでのデータからその家庭に最適化された提案ができる。

ローンウルフからメインストリームへ

――パナソニック入社は2019年。それまではシリコンバレーで長くキャリアを積んできました。

グーグルやアップルで働いてきたこともあり、入社を決めたときには「パナソニックでいいんですか?」と言ってくる人もいた。ただ、他社からも複数声がかかっていた中で「パナソニックでいい」と思って転職したわけでは本当にない。実際に働いてみた感想としても、これだけ幸せで頑張りたいと思う会社はこれまで経験したことがない。

とくに津賀さん(松岡氏を招聘した当時の社長である津賀一宏・現会長)は素晴らしい経営者。社内には才能のある人材が豊富にいる。だから私も会社をどんどん変えてあげたいと思うし、変わってきたところも見えてきた。既存事業に安住せず、新領域もしっかり伸ばしていかなくてはならない、という責任感が伝わってくる。

もっとも入社してからしばらくは、“ローンウルフ(一匹狼)”状態だった。シリコンバレー流の“お手並み拝見”ということなのか。津賀さんとしては、「いきなり会社の中心部に入ったら溺れてしまう」と、あえてアメリカで単独で仕事をさせ、それを外からみんなに見せてよね、という意図があったのだと思う。

それが今は、(松岡氏の方針を)「グループ全体のメインストリームとしてやっていこう」という雰囲気になってきた。当初はパナソニックを冠さない会社(Yohana)の創業者CEOとしてスタートし、2023年からはパナソニックウェルの本部長にも就任した。

パナソニックが私と一緒に頑張っていくというところまで変わってきたと捉えている。この間、外部登用や社内昇進でいい人がリーダーに就いていることも大きい。

――外部人材として「一緒にやろう」となるのに、4年という時間が必要だった?

日本人はやっぱり慎重なので「まずはその人に賭けてみて、失敗したらクビにしたらいい」という感覚がない。だから、非中核的な事業からやらせて、失敗したら「(彼女が何をやっていたのか深くは)知らなかった」といえばいい、くらいの感じでいたのかもしれない。

ただ4年が経って、ようやく信頼関係が築けてきた。向こう(パナソニック)から、頑張ってほしい、一緒にやろう、という気持ちがすごく伝わってくる。


Yoky Matsuoka(まつおか・ようこ)/幼少期からテニスに打ち込み、中学卒業後に渡米。カリフォルニア大学バークレー校を卒業後、マサチューセッツ工科大学で電気工学とコンピュータサイエンスを専攻。理学博士。ワシントン大学准教授などを歴任し、人体、脳のリハビリを促すロボット機器を開発。2009年末、グーグルXを共同で創業。アップル副社長、グーグル・ネスト(アルファベットのスマートホーム部門)のCTO(最高技術責任者)、グーグル副社長などを経て、2019年にパナソニックに役員待遇のフェローとして入社。2020年に同社常務執行役員となりYohanaを創業。22年4月パナソニックホールディングス執行役員に。著書に『選択できる未来をつくる』(当社刊)

生成AIに足りないのは「エンパシー」

――お客と直接対峙させるのに、今の生成AIは何が不足していると考えていますか。

現段階で圧倒的に足りていないのは、エンパシー(相手の意思、感情などを理解する力)。人間が「自分の話を聞いてくれて、わかってもらえた」と思えるような対応は、AIがまだちゃんとできていないことの1つ。

加えてクリエイティビティもまだ足りない。ヨハナがサービスの対象としている家の中で起こることは、けっこう複雑。

大規模言語モデルは大量の情報から世界を理解しているため、極めて平均的な返事をする傾向がある。ただ、お客さまはアベレージの返事ではなく、「私の生活」に対する個別・具体の返事が欲しい。それは、人間のほうがAIよりはるかにうまくできる。

とはいえ、AIもものすごい勢いで発展している。個人情報を読み込ませてバイアスをかけるようなことは、将来的にできるようになっていくだろう。

ヨハナをビジネスとして持続させていくには、人間と機械が担う領域のバランスをうまく取っていくことが大切。「人間が利用者の家庭に住み込んで直接手伝う」と「全部機械が担う」という両極端の“折り合い”をうまくつけていくことになる。そのトンネルの出口はすでに見えている。

――利用者とのやり取りを通じて、ヨハナには利用者の生活に関するリアルなデータが集まってきます。それをパナソニックグループとして活用していくことは検討していますか。

あくまで一例だが、ヨハナは利用者の毎日の献立を提案しているから、そのデータを電子レンジや自動調理器にも活用できれば素晴らしいな、と思う。

パナソニックに私がいる理由は、暮らしに普及した家電製品などをたくさん持っている企業として、お客さまの生活に密着して、信頼されていくようにするため。ヨハナをグループ全体とつなげていくほど、会社はよくなるはずだ。

(印南 志帆 : 東洋経済 記者)