藤咲凪(左)、小野緑(右)の2人で「最終未来少女」を組んでいる(撮影:今井康一)

『サンデージャポン』(TBS)で突如シングルマザーであることを告白した藤咲凪

そのニュースは即座にネットで拡散され、世間を沸かせた。人気漫画になぞらえ「リアル推しの子」と言われたり、さまざまな反応を見せた。

いったい、彼女は何を思いこの告白に至ったのか。また彼女自身、なぜシングルマザーとして芸能活動をしているのか。

藤咲凪、そして音楽ユニット「最終未来少女」のメンバーである小野緑に話を伺った。

*この記事の前編:「AIみたいな美少女」と言われる「藤咲凪」本当の姿

「隠し通す」という考えもあったけど

ほんとすっきりしましたね。まず思ったのはこれで子どもと一緒に堂々と公園に行けるって!」

そう笑顔で話す藤咲の顔は、本当にすっきりとさわやかな表情だった。一部ネットユーザーから「AIが作った画像なのでは?」と疑われるほどの整った容姿だが、そこには母の笑顔があった。

「ずっと『いつ言おうか』と思ってました。もちろん隠し通すという考えもあったんですけど、街中で子どもといるときに声をかけられることも増えてきて。だから、緑ちゃんや事務所の社長とかと、どのタイミングがいいか相談して、今回、ここで言おうって決意して言いました」

生放送で「2児の母親」であることを告白。並々ならぬ決意だったにちがいない。

ともすれば、その告白がマイナスに働き、仕事やファンを失ってしまうかもしれない。そんなリスクもあった。

そして藤咲の告白は彼女のみならず、「最終未来少女」のもう一人のメンバー、小野緑にとっても一蓮托生の運命にあっただろう。

藤咲の告白を、小野はどう見ていたのだろうか。

「私はなぎちゃんが地元の北海道にいたときから、ずっと連絡をとっていて。それこそ、妊娠して、出産するときも、いつも連絡とっていて、知っていたので……。やっと発表できたんだと思って感動しました」

小野から出た言葉は「感動」という意外な言葉だった。

「なぎちゃんの子どもとお出かけするんですけど、そのときに隠すというか、ちょっと発表したほうが楽な気持になるんじゃないかなということがあったんです。だから、発表するってなったときは応援しようと思って。ほんと、よかったです」

そして、この発表により、自分たちに何かマイナスになるということは一切考えていなかったという。それほどまでに小野は、藤咲が世間に認められる、必ず売れると信じていた。

「(藤咲が世間で話題になって)ようやく来たなって感じです! だって絶対になぎちゃんなら売れるってずっと思ってきてやってきましたから!」

藤咲凪、小野緑、2人の物語は2017年まで少し遡る。


10代の頃よりライブアイドルとして活動してきた小野(撮影:今井康一)

対バンでの「運命の出会い」

2017年春、藤咲凪はライブアイドルとしてデビュー。同じく、小野緑もこの頃「HAMIDASYSTEM」というアイドルとして活動していた(当時、2人とも今とは別の芸名で活動)。

そこで藤咲、小野は運命の出会いを果たすことになる。お互いにSNSではフォローしており知ってはいたが、はじめて対バン(複数のアーティストがタイムスケジュールに沿って出演するライブイベント)で一緒になったときに一気に意気投合した。

「はじめて対バンで話して、それから緑ちゃんとちょくちょく遊びに行くようになったんです。別に何するってことでもないけど」

小野の話をするときの藤咲は、本当に柔和な表情となる。またその逆もしかり、藤咲の話をするときの小野も本当に優しい顔をしている。

「なぎちゃんとは対バンで出会って、遊ぶようになって、最初からなんか一緒でしたね。なんでだろう。よくよく考えるとお互いに性格も真逆だし(笑)」

お互いに所属事務所も違えば、アイドルとして活動しているグループも違う。でも、なぜか気が合った。

短時間に集中して物事をこなせる藤咲に対して長期的な思考の小野。寝るのもショートスリーパーの藤咲に対して、ロングスリーパーの小野。思えば性格もやることも真逆だった。

だが、2人で過ごすうちに小野にはある思いが芽生える。「この2人なら売れるんじゃない!?」

それは当初、口には出さなかったが、ユニットを組むきっかけとなった。

2018年、何をするかも決めぬまま「最終未来少女」が結成された。

「とにかく2人でなんかしたいと思ったんです。それで2人とも事務所は違うけどOKもらって、まずはYouTube始めました。緑ちゃんが編集も全部やってくれて、毎日のように上げてましたね」

北海道から上京してきて話せる友達も少ない中、小野は藤咲が心許せる唯一と言っていい相手だった。だからこそ、2人で何かしたいというふんわりした出発でもなんの不安もなかった。

「なぎちゃんはこの頃、SNSほとんど更新してなくて、それでも数万人フォロワーいたんですよ。凄いなぁって(笑)。もう絶対にすぐに見つかるなって思いました」

SNSの話は冗談交じりにしていたが、それはアイドルとしての嫉妬などではなく、単純に友達が売れたらいいなという純粋なものだったのだろう。

とにかく、小野はこの頃から藤咲凪のポテンシャルを信じ、「どうにかしたい」と強く思っていた。この想いが、後に藤咲を芸能界に呼び戻すことになる。


小野は同じアイドルとして藤咲の才能を見抜いていた(撮影:今井康一)

解散ではなく「活動休止」とした理由

軌道に乗ってきたかと思われたYouTubeでの活動だったが、それぞれの活動が忙しくなったことやさまざまなことがあり活動休止となる。

「それぞれの活動も忙しくなり、まともに活動できない日が続いたんです。だから私から緑ちゃんに『活動をやめよう』って話したんですが、それなら解散じゃなくて活動休止にしようって話になり、活動休止にしたんです」

藤咲が解散を打診したとき、小野はそれをあえて活動休止という形にした。いったいなぜ。

「なぎちゃんは絶対に売れると思っていたので。だから、解散じゃなくて、いつかまた機会があれば一緒にやりたい。そんな想いから、活動休止にしようって言いました。もちろん、そのときはまだいつ再開できるとか、そんなことは考えられませんでしたが……」

こうして2019年「最終未来少女」は活動休止となった。藤咲は結婚し、すべての活動を休止して地元である北海道で出産。小野はセルフプロデュースのアイドル活動を続けることになる。

藤咲が北海道に帰ってからも、2人はこれまで通りやり取りを続けていた。

「子どもの写真とかがなぎちゃんから送られてきて、超かわいくていいな〜って。けっこう頻繁に連絡とってましたね」

藤咲が当時の話を重ねる。

「なんか緑ちゃんとはいつも連絡とってましたね。もちろん地元のママ友とかもいるんですが、また違って。もちろんこの頃は(芸能活動に)戻りたいとかほんとに思ってなくて

子どもが生まれて母となり、藤咲は何か変わったのだろうか。

「う〜ん。自分では今まで通りかなと思うけど、なんか変わったかなぁ」

被せるように小野が言う。

「もう優しくなりましたよ。丸くなった!」

それを受けて藤咲が笑う。

「丸くなったかなぁ。まあそうか! 丸くなったか!」

一時期はぐれてとがっていた藤咲も、出産を機に優しく丸くなった。


2人は互いの話をするとき、本当に優しい笑顔となる(撮影:今井康一)

小野が見据えた藤咲のロードマップ

次女が生まれた際も藤咲は小野に子どもの写真とメッセージを送っていた。

だが、藤咲の家庭での幸せは長くは続かなかった。詳細は控えるが2022年、子ども2人を連れて結婚生活を終えることになる。そんな関係だったからこそ、離婚に際しても、藤咲は小野に相談をしていた。

「離婚した後、どうしようって緑ちゃんにたくさん相談してたんです。そんなときに緑ちゃんが『うちに来なよ』って言ってくれたんです。だけど、最初は本気と思ってなくて。私はお金もないし、とりあえず地元に残ってこれから仕事はどうしようかなと真剣に考えてました。そうしたら、『お金の心配はしなくていいよ! 私の貯金もあるしなんとかなるから来なよ!』って言ってくれたんです」

ある意味、なんとも男気溢れる発言だ。

「離婚の話をなぎちゃんから聞いて。だったらうちに来て一緒に住もうよって言ったんです! 子どもも連れてうちに来なよって。お金のことは心配いらないからって誘ったんです。その当時はセルフプロデュースで稼いでいたお金を全部貯金してたので、ほんとにある程度は大丈夫かなと思って、本気でした」

小野の発言は決して冗談ではなく本気だった。自身の貯金や生活状況を考え、さらには将来を見据えた発言だったのだ。そのために小野は、実際に藤咲を迎え入れた後のロードマップも作成した。

保育園や公園など子育てに必要な環境が揃っているかどうかはもちろん、2人で「最終未来少女」の活動を再開させた際にどう売れていくのか、その地図も描いていた。

「さすがに子どもを連れてまた東京は……って思ってたんですが、緑ちゃんが子育ての環境から、私たちの具体的な将来のビジョンまで示してくれて。それなら思いきって東京に行こうって決意しました」

それにも増して、小野には勝算があった。

「なぎちゃんと話してると、芸能活動への未練があるな〜っていうのが感じ取れて。それなら東京に来て、また一緒にやろうよと。だから不安がないように、これからどうすべきかロードマップを作っていきました。セルフプロデュースのときに裏方もやっていたので、こういうのは得意なんですよ」

かくして藤咲は小野の説得に応じる形で、再び上京することになる。

そう、このときの話し合いがなければ今、こうして藤咲がステージに立ったり、テレビに出たりすることはなかっただろう。

「緑ちゃんに言われてなければ、東京にまた来ることも絶対になかったので、今の自分はなかったと思います。ほんとに復帰する気もなかったし、とにかく子どもたちとこれからどう暮らそうってことを最優先で考えていたので。今こうしていられるのは緑ちゃんのおかげです」

藤咲自身もそう話すように、この決断が未来を分けた。

そして、2022年「最終未来少女」の第2幕が幕を開けた。新たに現在の事務所に所属し、再び2人で活動を開始する。

実際に上京した際に小野の家に住むことはなかったが、それでも小野も藤咲の家に行き、子どもたちの面倒を見るなど、家族ぐるみの仲だ。

「保育園とか無理でどうしようかなってときは、緑ちゃんによく子どもたちをみてもらってます。本当に感謝してます

そういう藤咲に小野は照れながら答える。

「なぎちゃんは本当に凄いんですよ。ダンスレッスンも私ひとりでも大変なのに子育ての合間にこなしちゃうんです。ダンスの後にジムにいって、トレーニングして、また保育園にお迎えに行ってと。だから今、こうしていろんな方に応援してもらえる状況になって、よかったと本当に思います。まだこれからですが、ようやくだなと……」


個人の目標は違えど2人での歩みは続く(写真提供:Mint Productions)

偶然か必然か「世間に見つかった藤咲凪」

そんな小野の読み通り、藤咲が世に見つかることになる。

2023年6月、渋谷で答えたニュース番組の街頭インタビューの模様が放送される。

自身が映ったことをX(旧Twitter)でつぶやくと一気にバズり、一夜にしてフォロワーが8万人も増えるほど大きな反響を得た。

それを皮切りに「AIと勘違いされる美少女」としてABEMAニュースに出演。さらに、先の「サンデージャポン」(TBS)での告白とつながるわけである。

2人はお互いの関係をどう認識しているのだろうか。その質問に対して、2人とも少しの沈黙の後、「難しいですね〜」と顔を見合わせて答えた。見事なシンクロだ。

2人のここまでの話を聞き、「難しい」というこの言葉が、実に的確に今の2人を捉えていることがわかった。友達親友相方、どれもそうでありながらも、どれも違う。しかし、2人は確実に絆でつながっていることはわかる。

互いに寄せる信頼は厚く、ある種、不思議なものでもある。

今、2人はアーティスト「最終未来少女」としてステージに立っている。しかし、それぞれのこの先の目標は藤咲が「声優」、小野は「俳優」と違っている。

それもずっと2人で共有してきたことであり、今はその通過点なのだ。

藤咲が子どもを連れて上京を決意したあの日、小野が話した地図は今、まさに描かれている。

「最終未来少女」藤咲凪、小野緑の物語はこれからも深く紡がれる。

*この記事の前編:「AIみたいな美少女」と言われる「藤咲凪」本当の姿

(松原 大輔 : 編集者・ライター)