岡医師に対する匿名アカウントによる誹謗中傷(筆者撮影)

「大量殺人に加担した大罪人」

「日本を滅茶苦茶にしてきたテロリスト」

「ぶっ○すぞ」 (*原文ママ抜粋、以下同じ)

匿名アカウントから、罵詈雑言や殺害予告をX(旧ツイッター)で投稿されたのは、新型コロナから多くの命を救った感染症専門医である。

顔が見えない激しい言葉の暴力に対して、医師は「情報開示請求」という手段を使い、法的措置で対抗することを決断した。

今も卑劣な行為を続ける匿名アカウントの正体を暴くことは可能なのか。SNSでの誹謗中傷と闘う医師を追った──。

ワクチン不信にとらわれた匿名アカウント

埼玉医科大学総合医療センター・総合診療科は、新型コロナウイルスで重症化した患者を集中治療室(ICU)などで対応する「命の砦」だ。

総合診療科チームの指揮をとる教授の岡秀昭氏は、感染症専門医としてテレビや新聞、ヤフーニュースなどで新型コロナに関して積極的に情報発信を行ってきた。この岡医師に対して、X(旧ツイッター)を中心に匿名アカウントによる言葉の暴力が相次いでいる。

「まだワクチンがない時期は、40代から50代の働き盛り世代の患者が重症化して搬送され、人工呼吸器を装着するケースが多くありました。それがワクチン接種によって、重症患者が一気に減少したのです。私たちの診療現場だけではなく、世界各地でワクチンの効果が立証されているので、接種を勧めたところ、一部の人たちから激しい誹謗中傷が私に向けられました」(岡氏)

岡氏に対する事実無根の臆測や常軌を逸した投稿に共通するのは、匿名アカウントであること。そしてワクチンによる殺害計画が行われているという荒唐無稽な陰謀論である。

「このワクチンで何人死んだと思っている?岡よ、貴様は大量殺人に加担した大罪人だ」

「岡も薬害殺人計画に加担した輩だから体を振り切る最後を与えるべき」

「ワク被害を隠蔽し今だに推奨し続けている殺し屋」

「岡はワクチン殺人罪だからな (笑) 家族も攻撃されそうなほど危険を感じたのだろう(笑)」 

こうした言葉の暴力が多数投稿され、岡氏は精神的なダメージを受けたという。

ワクチンの有効性は評価が定まっている

新型コロナの感染が収束するにつれて、ワクチンに反対する極端な主張が目立つが、実際はどうなのか?

2023年2月に公表された研究論文によると、ワクチンの無作為化比較臨床試験(RCT)28件を解析した結果、感染予防の効果は44.5%(症状無)〜76.5%(症状有)、重症化予防は90.8%、死亡予防は85.8%だった。

2023年のノーベル生理学・医学賞は、新型コロナワクチンの開発に寄与したmRNA(メッセンジャー・リボ核酸)を研究した、カタリン・カリコ教授とドリュー・ワイスマン教授の2人が受賞した。新型コロナのワクチンの有効性は世界的に評価が定まっている。

ワクチンに反対する人たちは、厚生労働省の審査会が269件をワクチン関連の死亡と認定したことを挙げて批判を展開する(9月27日現在)。

しかし、日本では約1億人がワクチンを接種しており、審査会の死亡認定には、「厳密な医学的な因果関係までは必要とせず」という注釈が付けられているのだ。偶然性や年齢などの要素も複雑に絡んでいる可能性があり、これを踏まえないと、恐怖心や不安だけが先走るのではないか。

Xにおける岡医師への誹謗中傷は次第にエスカレートして、殺害予告を示唆する投稿が繰り返されるようになった。

「タヒね。○○すぞ。」

「岡秀昭の家の前を通ると臭えって評判だから、○すか」

「醜いし臭いから、○○○しかねーな。」

「タヒ」は漢字の「死」の下部をとった、インターネットの隠語。○の部分に何の字が入るのか、指摘するまでもないだろう。

さらには、岡氏がインスタグラムで知人に限定公開した、家族との画像が、Xに侮辱的なコメントを添えて拡散されてしまう。そればかりか、同一と思われる人物が、岡氏の知人になりすましたアカウントを次々と作成して、執拗に誹謗中傷を続けた。

「匿名の発信者」の身元を特定することは可能

「医師としての名誉や尊厳を、事実無根の誹謗中傷でおとしめる行為は許せませんでした。それにワクチンのデマを放置すると、多くの人の命を危険にさらすことになります。何より私や家族の身に危険が及ぶ可能性が出てきたことを看過できなかったので、弁護士に相談して民事訴訟と刑事告訴の両方で法的措置をとることにしました」(岡氏) 


インタビューに答える岡医師(筆者撮影)

民事訴訟の場合、Xで誹謗中傷の投稿を行った匿名アカウント(発信者)に対して損害賠償請求を行うことになるが、訴訟の相手が誰なのか特定しなければならない。

総務省の誹謗中傷に関するワーキンググループのメンバーで、情報開示請求の第一人者である清水陽平弁護士(法律事務所アルシエン)はこう述べる。

「コロナ禍になって以降、いわゆる″反ワク”の人たちが、匿名アカウントを使って誹謗中傷するケースが目立ちます。デマに踊らされる人が、こんなにも多いのかという実感です。ネットだから身元がバレないと思って誹謗中傷の投稿をするようですが、実際はIPアドレス(インターネットで通信する際の「住所」)や電話番号から追跡して、発信者の身元を特定することが可能です」

Xの匿名アカウント(発信者)を特定するには、まず誹謗中傷の投稿を「証拠保全」する。

そしてXに対する「開示命令」、または「仮処分」を裁判所に申し立て、匿名アカウントに発信者がログインした際のIPアドレス、電話番号の開示を求める。「開示命令」はプロバイダ責任制限法の改正によって、2022年10月に手続きの迅速化を目的に新設された制度だ。

「従来の『仮処分』は、電話番号の開示請求ができず、発信者の特定まで最大1年ほどかかりました。新設された『開示命令』を使うと、IPアドレスと電話番号も請求可能で、早ければ3カ月程度で特定に至るケースもあります。裁判所に納める金額も1件1000円と費用負担が軽くなりました。ただし申立件数が急増して、現在では裁判所の対応が追いつかない状況になっています」(岡医師の代理人を務める弁護士)

裁判所が情報開示の正当性を認めると、X社はIPアドレスや電話番号を開示する。この情報によって発信者が契約しているプロバイダ(通信業者)が判明するので、氏名と住所が特定可能になるのだ。 

岡氏の場合、悪質な誹謗中傷の約100件のうち、まず12件の情報開示請求を2023年4月に行い、8月に裁判所がすべての開示を認めた。

慰謝料の金額が低すぎて被害に見合わない

民事では示談による和解か、民事訴訟の2択となる。現実的にどのように決着するのか、清水陽平弁護士が解説する。

「示談(和解)では、損害賠償と謝罪、誹謗中傷を二度としないという誓約がセットになります。謝罪は被害者に直接会って行うことはまれで、手紙が多いです。裁判の判決では、約30万〜60万円が慰謝料、特定するまでの調査費用が50万〜100万円。この合計金額が損害賠償の支払いとして、発信者に命じられるイメージです。しかし、慰謝料の金額が低くすぎて被害に見合わないですし、抑止力になりません。見直す時期にあると思います」

岡氏の代理人によると、すでに発信者からの要望によって1件の和解が成立したという。和解時に賠償金額を提示するのは、主に被害者側なので、判決を受けるよりも高い傾向がある。それでも発信者が和解を求めるのは、紛争の長期化を回避したい、などの事情があるようだ。

一方、言葉の暴力に対して、警察や司法は厳しい姿勢で臨んでいる。

元妻に対してXに「僕の全てを潰した殺人鬼達」などと書き込んだ男は逮捕された後、2023年6月に懲役1年6月、執行猶予4年の判決を受けている。

10月3日、大阪府警はSNSで知人を誹謗中傷した名誉毀損の容疑で看護師を逮捕した。この看護師は身元を隠すため、入院患者の携帯番号を勝手に使用した疑いもある。

岡氏は、誹謗中傷と殺害予告を行った発信者について、2023年8月に侮辱罪と脅迫罪で埼玉県警に刑事告訴した。関係者によると、捜査が進行しており、近く何らかの結論が出る見込みだという。

侮辱罪については、インターネットによる誹謗中傷の抑止などを目的に厳罰化の法改正が行われた。従来の法定刑は「30日未満の勾留又は1万円未満の科料」のみだったが、2022年7月から「1年以下の懲役若しくは禁錮若しくは30万円以下の罰金」に引き上げられている。

沈黙すると間違った考え方が広まってしまう

岡氏に対する誹謗中傷は依然と続いており、情報開示の通知を受けた発信者からは、「言論の自由に対する弾圧だ」という見当違いな投稿もあった。

激務の中で、岡氏は難病のベーチェット病を発症し、2年前から体重が10キロ以上も減っている。こうした中でも匿名アカウントの情報開示請求を行う理由とは何なのか。

「感染症専門医として、新型コロナの正しい情報を発信してきましたが、なぜ殺害予告まで受けなければならないのでしょうか。ここで私が沈黙すると、彼らの間違った考え方が広まってしまうおそれもあります。司法の判断によって、匿名の誹謗中傷が卑劣な犯罪行為であることを発信者には知ってもらいたい。それが再発防止につながると思っています」

(岩澤 倫彦 : ジャーナリスト)