一見何の問題もない子が実は……という事例はなぜ起こるのか(写真:fumi/PIXTA)

しつけの一環だとして子どもに必要以上に厳しく接し、それを虐待と思わない親。親から不必要な干渉を受け、言葉による虐待を受けたにもかかわらずそれを「よくある普通のこと」とする子ども……。

不思議なことに、家庭内で問題がある行為が常態化しているにもかかわらず、親も子どもも「虐待」と認識していないことが多い。それが、虐待を防げない、あるいは減らすことができない要因でもある。この問題は時間とともに根の深さが浮き彫りになる。

虐待を受けた人は、自分が「親から虐待されている」と思っていないから、今度は自分の子どもにも同じことをしてしまう。臨床心理学者であるリンジー・C・ギブソン氏は、著書『親といるとなぜか苦しい』でこの虐待の負の連鎖を止める方法を提起している。

親のネグレクトを認めない子どもは多い


親が精神的に未熟だと、その子どもは間違いなく精神的なネグレクトを経験する。こうした状況は往々にして、子ども自身には見えないし聞こえない。

むなしさは感じても、それをどう表現すればいいかわからない。精神的な孤独に苦しみながら成長し、何が問題なのかは理解できないままだ。精神的にゆとりがありそうな人たちとは「何かが違う」と感じるだけだ。

精神的なネグレクトについて何かしらの情報を読むまでは、自分がそれを経験してきたことに気づかない人は多い。そういう人が相談に来ても概して、自分がネグレクトされてきたとは認めないが、詳しく診察していくと、たいていは、子どものころにきちんと目をかけてもらえなかった記憶がよみがえってくる。

しばしば、危険な状況にあってもいつも孤独で守ってもらえなかったり、自分の身に起こることに親などからさしたる関心を示してもらえなかったりといった思い出も含まれる。そんな場合でも、彼らはたいてい「自分で自分の身を守らなければいけない」と思っていた。

ある女性は、4歳のときに浜辺に1人とり残され、1時間以上も母親が探しにこなかったことを思い出した。子どものころにプールへ行き、母親が自分のことなど見ていないとわかっていたので、ずっと真ん中で泳いでいたという女性もいる。

子どもは、親に「喜んでもらおう」と進んで自立した役を演じる。しかしそこには無理があるため、往々にして、大人になっても他者に対して背伸びをしてしまうことにもなる。

早々に自立せざるをえない子どもは、自分の感情を拒むようになる可能性がある。苦しくても、精神的に未熟な親が助けてくれないことはわかっているので、そんな感情から距離を置くことを学ぶ。

子どもが悩んでいても全然気にしない親

ある日の治療で、精神的なネグレクトを受けながら育ってきたJさんが言った。「いまだにうつ状態のままですみません」と。彼女は、自分の抱えている悲しみのせいでわたしに「迷惑をかけている」と思っていた。

わたしが聞きたいのは「よくなりました」という報告だと、彼女は信じて疑わなかった。わたしに、腕のいい医師としての自信を持たせられるからと。

冷淡で批判的な母親は、Jさんが自分の気持ちを話すと、決まって露骨に苛立ったという。だからJさんは、母とうまくやっていくには、「母が望む」ように感情的な欲求を示さないのが一番だと考えるようになっていった。

Jさんは子どものころからずっと、早く独り立ちできるよう一生懸命だった。どうすれば自分は満たされるだろう。どうすれば安心できるんだろう。そんなことをよく考えていたそうだ。そんなことは「子どもが考えるようなことではない」などとは、思いもしなかった。

ネグレクトのもう1つの形は、精神的に未熟な親が表面的ななぐさめしか与えない場合だ。

子どものころ、怖くなると決まって自力でそれを乗り越えなければならなかったという女性がいる。助けてもらった記憶はあるかと尋ねると、彼女はこう言った。

「誰かに自分のことをわかってもらえたら素敵でしょうけど、そんなこと一度もありません。怖い思いをしたときに、助けてもらった記憶なんてないんです。通りいっぺんのことを言われただけです。『大丈夫よ』とか『そのうち平気になるって』とか『じきによくなるから』とか」

子どものころにネグレクトされた人の多くは、「否応なしに自立した」と気づいていない。このことを患者はさまざまに表現している。

「ずっと、自分の面倒は自分で見てきました」

「自分のことくらいなんとかできます。誰かに頼りたくないんです」

「自分ひとりでできるはずです。悩んでるところを見せちゃだめなんです」

自分の経験を受け止め負の連鎖を止める

悲しいことに彼らは、大人になってかんたんに助けを求められるようになっても、どう頼めばいいのかがわからない。そのため「助けを求めることは悪いことではない」と認識し、きちんと受け入れられるよう、専門家に治療してもらう必要が生じてくる。

このタイプは何か問題があるとその原因を自分に求めるので、日ごろから虐待を虐待と認識しないことがある。親が自分の行為を虐待と見なさなければ、子どももそうする。

大人になっても、自分が子どものころに虐待を受けたとは思わない人が多い。その結果、今度は大人の自分が虐待をしていてもわからないかもしれないのだ。

「怒りっぽい親」という言葉に隠された真実

子どものころに受けた虐待について、淡々と話してくれた中年男性がいる。彼は、それがどんなにひどいことだったかをまるで理解していなかった。

たとえば、尿失禁をするほど父親に首を絞められたあげく、地下室に閉じこめられたそうだ。父親がステレオを投げつけたことを思い出しながら、彼は静かにこう言った。

「父は怒りっぽかったのかもしれませんね」

精神的に未熟な親は、心を砕くことができたとしてもやらない。子どもが精神的な支えを求めると、いつにもまして非協力的になる。

子どもが傷ついたり仲間はずれにされたりしても、無視するだろう。子どもが学校でつらい思いをしていても心を寄せようとはせず、いい加減なアドバイスをするだけだ。いずれ子どもは、「自分の心が傷ついても、親は手を差し伸べてくれることはないのだ」と悟る。

なかには、子どものころにとてもつらい経験をしてきたが、自身の子どもとの関係は安定しているという人もいた。そういう親は、じっくりと時間をかけて自分の経験について考え、自分の中できちんと消化してきたので、過去の楽しい思い出もつらい思い出もありのままに受け止めていた。

その子どもが安定した愛着を示すのは想像にかたくない。彼らの親は、現実から逃げずに自分の過去としっかりと向き合ってきた。だから、子どもとしっかりつながり、安定した愛着を形成することができたのだ。

(リンジー・C・ギブソン : 臨床心理学者)