テルアビブを訪れ、イスラエルのネタニヤフ首相(右)と握手するアメリカのブリンケン国務長官(10月12日、写真:GPO - Handout/Anadolu 、Getty Images)

「9.11(アメリカ同時多発テロ事件)の10倍に値する」。

10月12日、イスラエルを訪問したアントニー・ブリンケン米国務長官は、パレスチナ・ガザ地区を実効支配する武装組織ハマスによるイスラエル攻撃の被害の大きさを、アメリカ国民も理解できるよう国の人口に対する被害者数の比率の大きさで語った。

ハマスの攻撃後、バイデン政権はイスラエル支援を表明し、イスラエル軍のガザ地区への地上侵攻も事実上支持。イスラエル・ハマス紛争を契機に、アメリカは泥沼化する中東情勢に再び深く関与せざるをえない様相を呈している。

アメリカ社会で影響力を持つユダヤ系

欧州などの迫害を逃れたユダヤ系がアメリカに移住した長い歴史から、アメリカとイスラエルの関係は近い。ハマスのイスラエル侵攻以降、ワシントン近郊在住のユダヤ系アメリカ人から、イスラエルに住む親戚や友人を心配する声を聞くようになった。

長年、アメリカ・イスラエル公共問題委員会(AIPAC)など圧力団体のロビー活動もあり、アメリカ政治では、イスラエル寄りの見方が支配的だ。産業界やメディアでも同じだ。この背景にはアメリカ社会におけるユダヤ系の大きな影響力がある。

ピュー研究所によるとアメリカ在住のユダヤ系は2020年時点で計750万人、全国民の約2.4%に過ぎない。とはいえ、その人口はイスラエルに住むユダヤ人に匹敵する。アメリカ在住のユダヤ系は都市部に集中し、金融をはじめとする産業界や大手メディア、シンクタンク、学界、政界などアメリカ社会の中枢で活躍している。

バイデン政権は2021年8月にアメリカ軍のアフガニスタン撤退を完了し、同年末にイラク駐留軍の戦闘任務を終了させた。2022年に発表した国家安全保障戦略(NSS)からも、バイデン政権は対テロ戦争から「唯一の競争相手」として位置付ける中国との覇権争いに焦点をシフトしたことが明確であった。

そのため、バイデン政権は中東の安定を望んできた。

バイデン政権の外交政策の中核を担うジェイク・サリバン大統領補佐官(国家安全保障問題担当)は9月末、「中東地域は、過去20年で最も安定している」と語り、楽観的な見方を示したばかりであった。

しかし、イスラエル・ハマス紛争は今後、ますます中東地域の不安定化をもたらし、アメリカの中東に対する関与の拡大は必至だ。アジアに焦点をシフトしていたバイデン政権だが、少なくとも当面は中東情勢に対処しなければならなくなった。

最大のリスクは中東全域への飛び火

今日、バイデン政権が最も恐れるのが、中東地域で戦火が拡大することだ。イスラエル軍がパレスチナ自治区ガザに侵攻すれば、レバノンを拠点とするシーア派組織ヒズボラが、イスラエルを北部から本格的に攻撃する可能性が高まる。ヒズボラはイスラエル全域を射程範囲とするミサイルを保有することからも、アメリカ政府はとくに警戒している。

イスラエルがヒズボラに応戦することで、ヒズボラの背後にいるイランも応戦するリスクがある。さらには、親イラン武装勢力のフーシ派などが、サウジアラビアをはじめとするペルシャ湾岸諸国・周辺国を攻撃するリスクなども懸念されている。

つまり、戦火はガザ・イスラエルに止まらず、中東全域に拡大するリスクを秘めている。

そのため、ワシントンでは今のうちに念のため、中東各国の駐在員などの国外退避計画を準備しておくべきといった議論も出てきている。仮に戦火が拡大した場合、フライト手配などがより困難となるリスクがあるというのだ。

10月13日、首都ワシントンの南バージニア州ノーフォーク海軍基地より、ドワイト・アイゼンハワー航空母艦がイスラエル沖の東地中海に向け出航。イタリア海軍との軍事訓練を終えたばかりのジェラルド・フォード航空母艦とともにイスラエル沖に配備され、アメリカは戦火拡大を抑止することを狙っている。

しかし、ヒズボラなどがアメリカの意図を正確に把握するかどうか、あるいは把握していてもロジカルに行動するかは不明だ。ガザ地区にイスラエル軍が侵攻した後、事態がエスカレートすれば、航空母艦のプレゼンスなどによる抑止がどこまで効果を発揮するかは不透明だ。

原油価格の上昇でインフレ再燃も

仮にヒズボラが参戦すれば、バイデン政権はイランに対する原油制裁の取り締まりを厳格化し、イラン産原油の輸入国にも圧力を強めるであろう。またイラン政府によるホルムズ海峡封鎖の懸念の声もある。原油増産などでサウジアラビアの協力を得るのも、イスラエル軍を支援するアメリカはより困難となるであろう。

中東での戦火拡大は原油価格上昇、ガソリン価格上昇をもたらす公算が大きい。

9月、アメリカの消費者物価指数(CPI)は前年同月比3.7%上昇と、2022年ピーク時の9.1%上昇からは大幅に下落。だが、中東情勢悪化を契機にインフレ懸念が再燃し、バイデン政権の経済政策に対する不満が高まるかもしれない。今後、大方の予想通り紛争が長引けば、2024年11月大統領選でバイデン再選に向かい風が吹くことが予想される。

共和党の一部は、バイデン政権の対イラン弱腰外交がハマスのイスラエル攻撃の原因とも訴えている。バイデン政権のアメリカ軍アフガニスタン撤退の失態を発端に、ロシアのウクライナ侵攻、そしてイスラエル・ハマス紛争など連鎖が起きているとの指摘もある。

上院外交委員長や副大統領など経験が豊富なバイデン氏は、政権発足当初、外交政策が強みと見られていた。だが、今やその外交政策が同氏の信頼喪失を招き、支持回復の足を引っ張っている。

国内でデモ拡大にテロリスクも

なお、イスラエル・ハマス紛争で、アメリカ国内のテロリスクも懸念され始めている。ここ数日、ワシントン近郊のユダヤ系の建物、教会などでは警備が強化されている。

アメリカ国内ではイスラエル支持が強い。だが、イスラエル政府によるパレスチナ人迫害が、ハマスのイスラエル攻撃を招いたとの主張も一部に存在する。全米の大学のキャンパスでは、イスラエル支持派とパレスチナ支持派で意見の対立が浮き彫りとなっている。筆者も、卒業生の間で非難の応酬を目の当たりにした。

今後、国内でのデモ活動拡大やテロなど社会不安リスクは懸念材料だ。

9.11から約2年後の2003年10月、ドナルド・ラムズフェルド国防長官(当時)は、国防総省幹部に送付した書簡で「神学校と過激な聖職者がアメリカに対抗する人物をリクルート、育成、派遣するよりも多く、われわれはテロリストを毎日、捕獲、殺害、抑止、説得しているだろうか」と記述。自らが指揮を執っていたアメリカの対テロ戦争の成果について疑問を投げかけた。

ハマス破滅を狙うイスラエルに強力な支援を表明しているアメリカ政府だが、中東での戦火が拡大し、人道危機が長期化すれば、国民から同様の疑問の声が出てくるかもしれない。その際、アメリカ社会の中枢にいるユダヤ系の政権への影響力が試される。

いずれにせよ、バイデン政権は再び中東情勢に深入りすることとなり、当面は同地域がアメリカの頭痛の種となること必至だ。

(渡辺 亮司 : 米州住友商事会社ワシントン事務所 調査部長)