ふたりの共同生活を描く『きのう何食べた?』のSeason2がはじまった(写真:テレビ東京)

ちょっと堅物の節約家で、料理の腕前は抜群の弁護士・シロさんこと筧史朗(西島秀俊)と、人懐っこく社交性があって、でも繊細な気配りある美容師のケンジこと矢吹賢二(内野聖陽)。ふたりの共同生活を描く『きのう何食べた?』(原作:よしながふみ 脚本:安達奈緒子 テレビ東京 金曜深夜24時12分〜)のSeason2がはじまった。

4年ぶりでも「気負い」を感じさせない

2019年に連続ドラマとして放送されると圧倒的な人気を誇り、2021年には映画化もされた。それから2年のときを経てのシリーズ第2弾。そこに気負いは微塵も感じさせず、ごくごくさりげなく、日常の断片のようにはじまった様子に、『きのう何食べた?』はもはや、私たちの生活の一部になっている、そんな気がした。それこそが『きのう何食べた?』の魅力であり、今、多くの人に求められていることなのではないだろうか。

男性同士の、愛情の伴った共同生活は、世の中の主流ではないはず。にもかかわらず、こんなにも共感できるーーその理由は、お金、食、愛、と性別も年齢も関係ない題材を扱っているからに違いない。お金と食と愛に関するシロさんとケンジの取り組みがとても理想的なのだ。まさに生活そのもの。

Season2の第1話は、シロさんが1カ月2万5000円の食費でやりくりしようとするも、どうしてもできそうにないピンチに陥るところから始まる。節約生活を助けてきたおなじみのスーパーが突然閉店し、新たなスーパーを利用することになるが、ちょっと高くてさらにピンチに。

一方、ケンジは過去最高の体重を記録し、健康診断でも気になる数値が出て、気に病んでいる。ケンジの健康のためにも、シロさんの追求する節約目標値を守るためにも、何をどこでいくらで購入したらいいか。

おりしも世の中は物価高。健康にいい白身のお魚は高く、節約しようとすると手が出せないというせちがらさ。さらに、シロさんのつとめる弁護士事務所では、彼がキャバクラ接待を受けている疑惑がもちあがり、シロさんを困惑させる。

主に経済問題を題材にした第1話は、極めて現代的な庶民感覚に満ちあふれていて、誰もが共感できた。おなじみのシロさんの手料理も、みんな大好きポテサラで、心の胃袋が十分、満たされた。筆者は翌日、ポテサラのホットサンドをランチにチョイスしてしまったほどである。

原作ファンにも敬遠されていない

『きのう何食べた?』は、男女逆転の設定で描いた『大奥』でも高く評価されている、視点の角度が鋭いよしながふみによる漫画が原作で、確たる人気を誇っているのは21巻も続いていることからも明らか。

ただ、原作人気が高ければ高いほど、映像化したとき、イメージと違うとファンに敬遠されることもあるものだ。が、『きのう何食べた?』はネガティブな反応がほぼない。西島秀俊(シロさん役)と内野聖陽(ケンジ役)という圧倒的に役や作品に奉仕する、ある種の憑依的演技を誇る2大俳優によって、丁寧に、誠実に演じられているからだ。

もともとの漫画人気と、それを損なうことのないようにという実直な制作姿勢はあるものの、テレビドラマとなると、どうしてもパイは広がる。コアからマスへ拡大された視聴者に何が愛されるか。原作を大事にしながら、できるかぎり、多くのファンに寄り添ったものをーー。

何が求められているかといえば、ささやかな日々の営みである。愛する人と2人で、穏やかな生活をする。ただそれだけ。せちがらい世の中だけど、節約も、追求すれば楽しい。料理も追求すればするほど楽しい。さらにそれが自分ひとりのためではなく、好きな人のためであることの張り合い。

それが、オープニングのスマホで映した、ある日のある時間の出来事に集約されている。ただ、流れていく時間を愛おしく思う感覚がそこにはある。西島と内野はその瞬間の、相手への圧倒的な信頼と心をゆるした幸福感をみごとに演じている。

「老い」もしっかりと描いている

穏やかで幸福な日々が永遠に続けばいい、ということを希求する『何食べ』が秀逸なのは、そこに老いを描いていることだ。漫画連載当初は40代だったシロさんとケンジもいまや50代になって、ビジュアル面が変化し、ものごとに対する考え方も年相応に変化している。ドラマもそこを描いている。

例えば、『サザエさん』や『ちびまる子ちゃん』などの息の長いホームドラマは、登場人物があまり年をとらない。ずーっと同じ日々を送っていて、日常生活で起こる出来事には共感しても、1年サイクルで、毎年、ほぼ同じことを繰り返しているので、いつしか読者や視聴者が世代交代していく。それこそが長く続ける秘訣でもあるのだ。

『何食べ』は『サザエさん』とは違い、登場人物がリアルに年をとり、読者も共に年をとっていく。登場人物と同じように風貌の変化やこれからの暮らしについて思いを致し、そこにリアリティーがついてくる。俳優が子供から大人へ、リアルに年をとっていった『北の国から』シリーズのようなものであろうか。時間の流れを共に過ごすことでいっそう情が湧くのである。

男同士のわちゃわちゃした日々を理想郷のように描いていない。それは男性同士の恋愛の形に対して、逆に偏見をもって見ないということでもあろう。

シロさんとケンジは、時々、同じく同性同士のパートナー小日向大策(山本耕史)とジルベールこと井上航(磯村勇斗)と交流することで、いずこも悩みはあることを共有することもある。少数派として団結もするが、そこには微妙な感情もあって、目を離したすきに浮気しないか気にしたりもする。

シロさんにとってケンジは実は好みのタイプではなかったが、なぜか惹かれ合ってしまっていまに至っている。シロさんは周囲に自分の性嗜好を明かしていないが、ケンジは彼がいることを公言している。ひとくくりにはできない。みんなそれぞれ違いがある。

シロさんがモノローグで感情を全部吐露していることで、誰もが解釈を間違いようがないことも安心のもとである。が、第1話に関しては、スーパーの従業員(唯野未歩子)の心情がわからず、それがいいアクセントになっていた。

シロさん行きつけのスーパー、ニュータカラヤの店員で、非常に無愛想。シロさんが値下げを狙っていたカレイだけ値下げしてくれなかったが、ケンジに言わせると感じのいい人だという。タカラヤ閉店後は新たなスーパー、アキヨシで働き始めるが、そこでもほかの客には愛想よくしているのに、なぜかシロさんにはやっぱり無愛想。

でも一言だけ「ここの魚はいい」と教える。認識はしていることがわかる。それ以外は一言もしゃべらない。が、シロさんが去っていく姿をそっと微笑んで見ている表情が映し出された。この従業員、何を考えているのか。ほかのことがほとんどなんでも明快なドラマのなかで、一カ所の謎。こういうアクセントが、ドラマを単調にしない。

令和の「ネオ・ホームドラマ」になっている

シロさんは、自身の性嗜好を職場や周囲に明かしていないので、キャバクラ疑惑のように誤解を招くこともある。信頼しあっているはずのケンジすら、まさか……とシロさんを疑わしく思ったりもするのである。

どんなに信頼しあっていても、相手のなにもかも知ることはできない。だからちょっとしたことで心が揺れる。だからこそ、心からリラックスできる時間が大切で、それが美味しいものを食べること。美味しいものには嘘や疑惑はない。

他者のことを知るのは難しい。寄り添おうとしても、容易にわかることは多くない。いいことも大変なことも殊更大げさに扱わず、他者から理解を得られないこともあるけれど、自分たちの選んだ道を歩みたいという望みに率直に、真剣に生きている人たちの、日常にフォーカスする。それしかないのだ。それは老いも若きも、男も女も、変わらない。

かつて、日本人の生活の鏡は『サザエさん』だったが、今や『きのう何食べた?』が代わる存在になったのではないか。日曜の夜に月曜になってほしくないと思いながら見る『サザエさん』もよかったけれど、金曜深夜、いつまでもこの時間が続いてほしいと願いながら見る『きのう何食べた?』にこそ、令和のネオ・ホームドラマの可能性を見た。

(木俣 冬 : コラムニスト)