「釈迦のりんご園」のりんご(写真:銀座千疋屋提供)

日本のフルーツ産業は、安定したおいしさ・美観・供給体制の評価が「高級品」として市場を形成する、世界的にも特異な地位にある。フルーツの生産を極めたつくり手にとって、「1億円プレーヤー」になることも、決して夢ではない。そんなフルーツ界にも、スポーツの世界と同じように、生産者(選手)を発掘し、伴走し、一流として評価されうる舞台へと引き上げるプロフェッショナルがいることはあまり知られていないだろう。

老舗の高級果物専門店「銀座千疋屋」で仕入長を務める石部一保さん(51)はまさに、国内高級フルーツ界の“コーチ”とも“スカウトマン”とも呼べる存在だ。石部さんの伴走の下、一流のフルーツづくりに没頭する精鋭の生産者たちを取材した。全3回でお届けする。

前編:高級メロン農家育てる、銀座千疋屋の凄い仕事術
中編:「埼玉限定のいちご」が高級市場に乗り出した背景

品評会で個人・団体1位のりんご

りんご王国、青森の品評会で個人・団体1位の常連、全国1位の「トップ・オブ・トップ」の座を極めたりんご農家がある。

青森県平川市にある「釈迦のりんご園」だ。同園の社長の工藤秀明さん(63)が作り出すりんごは、水分がたっぷり含まれ、しっかりとした甘みがある。

甘さと水分の秘訣は、土と葉にある。化学肥料と除草剤を一切使わず、100%有機肥料、完熟堆肥の土にこだわる。アミノ酸やリン酸を豊富に含んだ独自配合の木酢液が、葉の表面からも栄養を行き渡らせている。

この「釈迦のりんご園」のりんごは、銀座千疋屋・仕入長、石部一保さん(51)のりんご選びの目線と、果物栽培のそれまでの常識を覆した。

「この枝、この果物がもつ潜在能力を100%引き出してやる。それが生産者の務めだ。色・形のいいものなんて誰にでもつくれる。どこにもないような味の果物、本当においしいものは誰がつくれるのか。それを探したもん勝ちよって」。工藤さんはりんご栽培への想いを、石部さんにこう語っていたという。

工藤さんは、りんご園を営む両親のもとで1人息子として生まれ育った。「エキスパートへの近道」として、大学にはあえて行かず、青森県のりんご試験場に入り、20歳までの2年間、そこで栽培技術を専門的に学んだ。


釈迦のりんご園の工藤さん(写真:筆者撮影)

青森県でいちばんになる。はなから、気持ちはそこにあったので、何の迷いもありませんでした。それ以来、いつも300円のハンコ1つで、500万円、1000万円の借金をしながら、りんご作りに多額を投じてきました。秋に台風でも来ると3000万、5000万円が一気に入ってこなくなるような世界。でも俺はそこでニヤニヤ笑えるやつはまだまだやれると思っています。俺も苦しいなら、よそはもっと苦しいはずだって」

繰り返し不思議な夢を見る

「りんごにものすごい恋した」と語るほど、工藤さんがりんご栽培に一途を貫くきっかけは、繰り返し不思議な夢を見た、20歳のころにさかのぼる。

「汚い坊さんが出てきて、俺を旅に連れて行こうとするんです。同じ夢を2度見ました。宗教ってなんだろうと興味を持ち始めて勉強するようになり、世界中のあらゆる宗教に触れて、いちばんしっくりきたのが釈迦でした。

すべてを捨てて苦悩の末に悟りを開いていく釈迦の教えが気に入って、俺も農業界のすべてを原点から考え直してみようと思いました。りんごの栽培方法も、指導法も全部違うんじゃないかと。苦しいときはどうしたらいいのか。勉強だと。悔しいときはどうすればいいのかと。全部自分が変わればいいだけ。相手は変わらない、そう思ってりんご作りに没頭しました」

それから、「命をいただく」原点に立ち帰り、「りんごの木が喜ぶやり方で作ろう」と考え直した。ストレスフリーな栽培環境を目指し、土作りの根本から学び直し、研究と実践に没頭した。

「山菜を山で食べると美味しい。でも、畑で育てようとするとうまくいかない。なぜだろうと考えました。

山にある土には、微生物が生息する粘土粒子が豊富にあり、微生物の死骸を分解したものが、植物の栄養源となります。野山の植物が生き生きできるのは、この循環がうまくいっているからです。

この仕組みを、畑のりんごづくりでも再現できないかと考えました」。

「微生物のエサとなる肥料は、油粕、魚粕、骨粉、鹿の角など、分解スピードの異なる10種類以上の天然素材を配合してオリジナルのものを作ってもらっています。発酵や分解のスピードを1つひとつ調べて配合を変えています」


「釈迦のりんご園」りんご栽培の風景(写真:釈迦のりんご園提供)

工藤さんは、これを自ら「釈迦農法」とよぶ。自然界の摂理にのっとた方法で試行錯誤を重ねるたびに、化学肥料や化学合成農薬を多用する一般的な栽培方法、農業指導の基礎を、ことごとく否定せざるをえない状況が生まれていった。

工藤さんは、教えを請う全国各地の生産者に勉強会やSNSなどを通してその成果を惜しみなく共有している。

50歳の工藤さんが勝負にでた

30年にわたる研究と実践でりんご栽培の「真理」に近づきつつあった2010年、50歳になった工藤さんはある「勝負に出た」。

「釈迦のりんご園」のりんごを携え、東京・銀座千疋屋本店を自ら訪れたのだ。

「それまでにりんご品評会でトップの座に上り詰めて力をつけ、城を築いてきました。だから次は銀座千疋屋だと。そこが日本一だって認識がありましたから、こっちからケンカを売りにいったようなもんですよ。全国でいちばんのりんごがある。そっちが使わないなら全部海外に出す。使う気はあるかって」

青森に戻ると、東京から後を追うように石部さんが農園に駆けつけてきた。膝を突き合わせ、りんご作りがなんたるかを、語り尽くした。

当時、バイヤーになって2、3年目だったという石部さんにとって、工藤さんとの出会いは、果物づくりに対する情熱の注ぎ方、生き方の教えを超え、その後の石部さん自身の仕事観にも大きな影響を与えた。

「りんごの仕入れは、業界的に独特な仕組みがあって、生産者との直接取引が難しく、仲買人任せにしていました。簡単には手がつけられない。でも市場に入ってくるりんごが、あまりにも値段の割にものがよくないと感じていた。そんなとき、たまたま手渡しで工藤さんがやってきたんです。違いは明らかでした」


老舗の高級果物専門店「銀座千疋屋」で仕入長を務める石部一保さん(写真:筆者撮影)

出会って間もないころ、石部さんは青森県で開かれた品評会を見にくるよう、工藤さんから誘いを受ける。

「品評会に集まるのはすでに選抜されているりんごで、そこに到達するだけでも相当なものです。中でも工藤さんのりんご園のある平川という地域はほかとは格段に違う。そしてそこからダントツに飛び抜けているのが、工藤さんのりんごでした」(石部さん)

少量ずつの定期の取引を経て2015年、「釈迦のりんご園」と銀座千疋屋による異例の本格的な直接取引が始まった。

「間に業者を入れるのは嫌だと言いました。ファックスやメールじゃダメだ。電話でやると。今から10年以上前で俺から見たら石部もまだこんなピヨピヨでしたからね。高をくくっていました。どれだけやれるのかって。ここ(銀座千疋屋)がダメなら日本はもうダメだって。でも石部は、やってのけたんですよね」(工藤さん)

「釈迦のりんご園」との取引が始まったことで、銀座千疋屋にあった色や形、大きさなどの目安となるりんご仕入れの「規格」という概念が取り払われた。

「すべて任せるという。うちがいいと思うものを出してくれと。いいのかよと思いましたけれど、結果的に(銀座千疋屋の)レベルを上げたのかもしれません。うちらが青森県から出さないと、ここのりんごは東京には行かない。とにかくうちにある最高級品を、銀座千疋屋に出すということになりました」(工藤さん)

「忘れられない味」のりんごを作る

そして2021年、工藤さんのつくる新商品のりんごが銀座千疋屋で売り出された。

「ラ・フランスのりんご版。はるかという品種で、小さく作って濃縮し、味を良くしようと考えました。袋をかけないことで斑点がつき、見た目は汚い状態になりますが、りんごの皮を極力薄くし、蜜を散らすように作ることで、甘さは25度にもなります。一回食べれば、どれだけすごいかがわかります」(工藤さん)

平均的なりんごの糖度は13度。工藤さんのりんごの糖度はそれをはるかに上回る。石部さんは、畑で初めて丸かじりさせてもらったそのりんごの味が忘れられないという。

「はちみつをかじっている感じ。表現がうまくないかもしれませんが、歯茎が虫歯になるんじゃないかと思うくらいの感じたことのない甘さでした。見た目はきれいとは言えない。でも果実は呼吸している。衝撃的でした」(石部さん)

1個1080円のりんごが即完売

商品名は「釈迦」と名付けられた。店頭で、袈裟のような淡い白地の和紙をまとって、鎮座した。

「あれは嬉しかったですね。思いもよりませんでした。へー、こうやって表現するのかよって。銀座千疋屋は外観のよさを重視している。見た目がきれいじゃないから売るのは難しいだろうってどこかで思っていました。それでも石部はやってのけたんだよね。本当に感動しました」(工藤さん)

1個1080円、限定20箱。店頭に並ぶや否や、即完売した。

工藤さんが毎日欠かさず書き記すブログには、「銀座千疋屋」と題してこんな文章がつづられている。

2021/12/06 17:02
朝銀座千疋屋の石部さんから電話が鳴る
サンふじ30王林10ケースお願いします
はいありがとうございます
さっそく次の在庫を積み重ねていく
知り合いが千疋屋の店頭に並ぶりんごの写真を送ってくれた
(中略)
いつでも同じ味が楽しめるようにと最高の資材を投入し出来上がったりんご
霜の被害風の被害を耐え干ばつに耐えた
そして最高によくできたものしかそこにたどり着けないりんごたち
写真を見て可愛くて仕方なかった
銀座の一等地でみんなにかわいがってもらえよ
近くにはグッチ、エルメスと世界の一流のお店が立ち並ぶ
田舎者がお店を出せる場所ではない
そんな場所で飾らせてもらえる我が家の戦士たち
世界へ輸出するのが目標じゃない
世界からそこに買いに来るようにしたい
まだまだ夢の途中だ

現在、4代目となる息子・峰之さん(39)が父の背中を追いかけながら、品評会で全国第1席を獲得するまでになり、着々と腕を上げている。若い世代の生産者の育成にも力を注ぎながら、工藤さんには伝えたいことが山ほどある。

「若い奴にはいつも言っています。楽して生きようとするな、汗水たらせよって。20代、30代はいくら頑張っても認めてもらえない。成功してもまぐれだろう。40過ぎるとキラッと光るものが出てくる。50代からが職だ。50を目指して力をつけろと言っています。日銭を稼ぐなよ、いちばん苦しい時期を自分で作り出せ、と」(工藤さん)

つくり手と売り手がともに、互いを絶対に裏切らないための「真剣勝負」を仕掛け、自らを変え、進化し続ける現場がある。私たちは、そんな彼らの生み出す果実の恩恵に預かることができる。知って、考え、選び、贈り合うこと。実際に売り場で手に取るなど、私たちにもできる行動がある、と思える。 

一方で、海外を見渡せば、日本産フルーツは東南アジアを中心に輸出だけでなく、苗や栽培技術の流出も加速している。シンガポールやタイ、マレーシアの中心市街地のスーパーでは「日本産果物」のコーナーが幅を利かせる。

代表的なメロンやシャインマスカットは韓国産4000円未満、中国産2000円程度に対し、日本産は1万円超といった相場観で売られている。栽培技術や冷凍技術、物流手段の革新も相まって、海外からのバイイング、スカウティングといった争奪戦にも、今後一層拍車がかかる見通しだ。

海外からもオファーを受ける

銀座千疋屋の舞台に立ち続ける生産者たちにとって、「日本一」から「世界一」を目指す“メジャー進出”への道は、よりリアルに感じられる。そこに集う、特に海外からの客の関心や引きの強さに、海外市場への挑戦心が喚起される。

連載1回目に登場した「山下メロン」はすでに、シンガポールのマリナーベイ・サンズホテル内にある和久田哲也シェフの高級レストラン向けに年間300玉以上を安定的に輸出。「釈迦のりんご園」の工藤さんもアジアの複数の国から技術指導のオファーを受ける。

記事で紹介した生産者たちは、技術的にも思考習慣の面においても既存の流通システムや商習慣の枠を打ち破ってきた。今後、「日本産フルーツ」の牽引役となって、農業界の新境地を切り拓いていくことになるだろう。いずれ、日本産でも、静岡産、青森産でもなく、「山下メロン」「五十嵐いちご」「釈迦りんご」の名が、世界のフルーツ市場を席巻するかもしれない。

そんな「創造的改革者」たちの伴走者となるのが石部さんだ。生産現場に足繁く通い、発掘力・対話力で他を圧倒する“看板バイヤー”を擁する老舗の「高級果物専門店」が存在することの意義は、極めて大きい。

フルーツ市場の拡大が見通せるからこそ、伝統ある老舗には、おごりも妥協も決して許されない。銀座千疋屋の姿勢と今後の展開にも、ますます注目と関心が高まりそうだ。

(座安 あきの : POLESTAR OKINAWA GATEWAY取締役、広報戦略支援室長)