小惑星「Phaethon」の謎に迫る宇宙探査計画「DESTINY+」。理学ミッションのリーダーを務める荒井朋子さんに、プロジェクトの内容やそれに関わるまでの道のりについて聞きました(筆者撮影)

毎年12月中頃になると、地球に降り注ぐ「ふたご座流星群」。

その母天体である小惑星「Phaethon(フェートン、ファエトンなどと呼ばれる)」の謎に迫る宇宙探査計画「DESTINY+」が2024年に打ち上げ予定だ。

謎の多い活動的小惑星「フェートン」は太陽に近づいた際、彗星のようにダスト(チリ)を噴き出す。それはやがて流星として地球に降り注ぐ。毎年、地球に降り注ぐダストの量は少なく見積もっても4万トン以上といわれる。ダストには有機物が多く含まれ、生命起源の謎をとくカギとなる。

「DESTINY+」の理学ミッションのリーダーを務めるのは、千葉工業大学惑星探査研究センターの荒井朋子さん(50)だ。

SF好きの両親の影響で「地球外にも生命はいる」と信じて育った荒井さん。大学生時代には、生命のいる地球とそれ以外の星の違いについて知りたいと月の石の研究にのめり込んだ。

研究人生は決して順風満帆なことばかりではなかった。希望の部署に行くまでの長い道のり、産休後すぐに復帰、道半ばでの退職……。だが、いつも支えになったのは「地球外生命」への興味と、研究を続けたいという気持ちだった。そんな荒井さんの歩みを紐解いていく。

地球外に生命はいると信じていた子ども時代

「お父さんは火星から、お母さんは金星から来て、地球で出会ったんだよ」

そう両親から言われて育った荒井さん。幼稚園児の頃、初めて観た映画はSFの古典『宇宙戦争』。火星人がUFOにのって地球に襲来する映画で、教会に逃げ込む人々の姿を今でも覚えているという。現在も「スター・ウオーズ」シリーズなどSFが大好き。幼い頃からSFを観るのが当たり前だった荒井さんは、地球外にも生命はいるのだと信じて育った。

その後、学校へ通うようになり、地球外に生命体は確認されていないことを知って驚いた。

「なぜ地球外に生命体はいないの?」

あたりまえに存在すると思っていた生命体がいないことを知り、地球とそれ以外の星の違いに興味を持った。

子どもの頃、理科の勉強がとくに好きだったわけではなかった。将来、自分が宇宙分野の研究者になることもまったく想像していなかったという。

「真面目なきっかけではなくて恥ずかしいのですが、UFOがみたいとか、宇宙人にあいたいとか、そういうことばかり考えていた子ども時代でしたね」

そんな荒井さんが一気に研究にのめり込むことになったのは大学で出会った月の石の研究だった。生命体がいる地球と、いない月では何が違うのか。研究では、薄くスライスした隕石の組成を、電子顕微鏡を使って詳しく分析する。地球と月の石の違いに迫る研究にのめり込んだ。

大学院に進み、初めてアポロ計画で持ち帰った月の石に触れたときは胸が高鳴った。その後、NASAのジョンソンスペースセンターに留学し、さらに研究に打ち込んだ。

産後に体調を崩し、下した決断

しかし、荒井さんの研究人生はずっと順風満帆なわけではなかった。

博士課程を経た後、宇宙開発事業団(現JAXA)へ。月探査に関する研究職を希望していたが、畑違いの国際宇宙ステーションの開発プロジェクトに配属された。同じプロジェクトチームには、のちに宇宙飛行士となる山崎直子さんもいた。

荒井さんはNASAと共同してアメリカの宇宙実験棟と実験装置の開発を担当。早朝と深夜はNASAの研究者や技術者と、日中は日本のメーカーの技術者と調整を重ねる日々。でも月の石の研究をしたいという想いは捨てなかった。

毎年、月探査チームへの異動願いを出した。併せて週末の時間を使い、昔の仲間がいる研究室の分析装置を借りて月の石の研究を続けた。いつか月探査部署に異動したときのために準備をしておこうという気持ちだった。

入社して約6年後、ついに月探査衛星『かぐや』のプロジェクトチームへ。その1カ月後に妊娠が発覚した。

「最初は念願の異動も妊娠も叶って、なんて幸運なんだろう!という気持ちでした。しかし、いざ蓋をあけてみるとプロジェクトは佳境に入っていて、育休を取り仕事に穴をあけるのは困難でした」

荒井さんは、現場監督としてクリーンルームに入り、探査機と観測機器を組み合わせて動作確認を行う仕事を担っていた。“育休は取ってほしくない”と言われたため、産休後にすぐ復帰。息子を親に託して働いた。

出産が年度末だったため保育園の確保も難しく、有給を使い保育所を探したが、なかなか見つからなかった。また2週間に1度くらいの頻度で、荒井さん自身が乳腺炎のため高熱を出し、体調を頻繁に崩すようになった。

そんな日々を過ごした荒井さんは、ある決断をする。

「月探査の仕事、月の石の研究、そして育児のすべてをこなすのは体調面からも難しい状況でした。育児は最優先にと考えると、もともとやりたかった研究を続けるためにも、JAXAを退職することを決めました」

念願叶っての月探査の仕事につけたばかり。これからというときに、泣く泣く退職した。

現在のJAXAではもちろん育休もとれる。

「15年以上前の話ですからね。私の場合は極端な例だと思います。出産して育休もしっかりとって復帰している同期もたくさんいますし、今はよい環境になったなと思います」と笑顔で話す。

荒井さんがJAXAを退職したのは33歳のときだった。退職後には、ポストドクター制度を使って国立極地研究所へ。その後は、子育てで研究を離れた人をサポートする日本学術振興会の特別研究員(RPD)制度を利用。有期の研究職の仕事を得ながら、研究を続けた。

そして、退職から約5年後、千葉工業大学惑星探査研究センター(PERC)に誘われた。

千葉工大では、NASAと共同で国際宇宙ステーションから流星を約2年間観測する世界初の「メテオ」プロジェクトも担当した。

通常であれば地球から見上げる流星を、上空300km地点の宇宙ステーションから見下ろして観測する。そうすることで天候に関係なく、1年を通して継続的に流星を観測することができる。同じカメラで、毎年決まった時期に降り注ぐさまざまな流星群を観察することで、異なる流星群の明るさや組成の違いを統計的に理解することができる。

約2年流星を観察した

開発したカメラをNASAに託したが、国際宇宙ステーションに行くはずだったロケットが2度にわたり爆発する事態に見舞われた。3機目でようやく打ち上げが成功。千葉工大とNASAを直接つなぐ司令室から、約2年流星を観察し続けた。


ペルセウス座流星群 アフリカ北西部、マリとモーリタニア国境付近で捉えた爆発的火球

地球に降り注ぐ流星の元は、彗星から噴き出しているダストや宇宙空間をただようダストだ。年間最低でも4万トンを超えるダストが、地球に降り注いでいることがわかっている。

ダストの一粒一粒はほとんどが1mm以下と小さいが、その中の約1割が有機物。地球に降り注ぐ前のダスト成分を分析できれば、生命起源の謎に迫る大きな一歩となる。

荒井さんが率いる小惑星フェートンの科学探査計画「DESTINY+」はまさに、この謎に迫ろうとしている。

ふたご座流星群の元になるダストを噴く小惑星フェートンは、直径数kmの天体だ。地上の望遠鏡では点状の光にしか見えない。また、彗星のように楕円軌道を描いて太陽の周りを回るため、円軌道を回る地球の公転速度との速度差が大きく、ゆっくりと近づくことが難しい天体だ。

探査機はフェートンに秒速36kmという高速で近づき、すれ違いざまに、2台のカメラで天体の表面を詳しく観測。周辺に漂うダストの成分を分析する。また、フェートンに到着するまでの間、宇宙空間のダストをその場で分析し、結果を地球に送る。

「小惑星であるフェートンがダストをどのように噴いているのか、まだよくわかっていません。近づきすぎると、あっという間にカメラの視野から外れてしまうので、500kmの距離まで近づき秒速36kmですれ違います。シャッターチャンスは数分間です」


DESTINY+探査機による小惑星Phaethonフライバイの想像図CG(画像:JAXA)

フェートンは太陽に近づいた際に700度以上の高温であぶられ、その際にダストを噴き出すとされている。このように太陽にあぶられた小惑星の探査は、世界でも初めて。技術的にも挑戦の多い計画だが、宇宙空間でのダスト分析やダストを地球に届ける天体探査は、荒井さんが子ども時代から抱いていた生命起源の謎に迫るきっかけになる。

宇宙分野は、多様な人材ウェルカム

国籍や世代を超えて、さまざまな人と協力しながら、探査プロジェクトを進めている荒井さん。

アメリカの南極隕石探査隊に志願したいと、隊長に熱烈な手紙を出して叶えたこともある。氷河上でスノーモービルを自ら操縦し、隕石を朝から晩まで約2カ月にわたって探す。日本人女性では初めての参加だった。

宇宙分野の仕事に憧れる人に、荒井さんからメッセージを聞いてみた。

「理系じゃないから無理かな……など諦めているかたがいたらそんなことはないですよ、とお伝えしたいです。ミッションは多様な人が集まって成り立つものです。例えば、アイディアを出す人、モノ作りやデザインが好きな人、分析や実験が得意な人、数値計算ができる人などなど、1つ得意なものがあればオッケー。足りないところがもしあっても、チームで補います。

過去には美大とJAXAが共同で衛星を打ち上げるなどのプロジェクトもありました。研究に限らず、宇宙空間で何かおもしろいことをやりたい!など、自由な発想でチャレンジしてほしいです」

いつでも、やりたいことに真っ直ぐに行動してきた荒井さん。力強いメッセージだった。

(柳澤 聖子 : 編集者/ライター)