ボーイングの大型戦略爆撃機B-47「ストラトジェット」が1947年の今日、初飛行しました。6発のジェットエンジン、角度をつけた主翼、制動用パラシュートの装備など新技術採用に加えある目論見も。それは核爆弾の搭載でした。

日本も導入を検討した大型爆撃機

 1947(昭和22)年の12月17日。ボーイングが開発した大型爆撃機B-47「ストラトジェット」が初飛行しました。

 太平洋戦争中に日本本土などを幾度となく爆撃したことで知られるB-29「スーパーフォートレス」の後継機として誕生した機体で、特徴は6発のジェットエンジン、角度をつけた主翼、大容量の爆弾倉、着陸時に機体後方から射出する制動用パラシュートなどです。

 開発こそ戦時中に始まっていたものの、アメリカはいずれ敵対するであろうソ連(現・ロシア)を見据えて、B-29以上の性能を模索します。それは最初から核爆弾を搭載可能な構造とすることでした。


大型戦略爆撃機B-47「ストラトジェット」。写真は爆撃型「B-47B」(画像:アメリカ空軍)。

 1950(昭和25)年6月に朝鮮戦争が始まると、朝鮮半島南側、いわゆる韓国を支援するアメリカ軍はB-29などを投入。しかし、旧式になりつつあった同機は、北側、すなわち北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を支援するソ連軍が投入したジェット戦闘機に苦戦を強いられます。そのため、B-47は次世代の戦略爆撃機として1951(昭和26)年6月に就役すると大量に生産され、その数は2000機を超えました。

 しかし、アメリカはB-47を最新の戦略兵器として温存したため、朝鮮戦争に投入されることはなく、その後もついに実戦参加することなく退役しています。とはいえ、多くの新技術を搭載したB-47は、その技術成果を後継のB-52「ストラトフォートレス」などに受け継ぎました。

 このように実戦に投入されることのなかったB-47ですが、その大きな搭載量を活かして偵察や気象観測などにも使われています。たとえば戦後の日本では、たびたび上陸し甚大な被害を及ぼす台風を観測しようと、1964(昭和39)年には派生型であるWB-47気象観測機3機が、東京郊外の横田基地に配備されていたという記録が残っています。

 なお、一説では日本も独自に気象観測できる機体として、WB-47の購入を検討したといわれています。