【加藤裕康】「ゲームセンターはオワコン」という大いなる誤解と意外な実態 店舗数は減少している。けれども…

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この24年間で7万店以上が閉店

ふと気づけば、地元からゲームセンターが消えていた──。そんな思いを抱いたことはないだろうか。業界団体が毎年発表している『アミューズメント産業界の実態調査』(一般社団法人日本アミューズメント産業協会他)によれば、実際にゲームセンターの数は1993年の時点で8万7294店舗あったのが、2017年には1万3103店舗へと落ち込んでおり(図1)、この24年間で7万4191店舗が閉店したことになる。

【図1】日本のゲームセンター店舗数の推移(『アミューズメント産業業界の実態調査』を基に筆者作成)
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こうした状況の中で「ゲームセンターはオワコン」という言葉も耳にする。「オワコン」とは、終わったコンテンツの略称で、凋落した商品やサービスを指して用いられるスラング(俗語)だ。

最近、私がよく見聞きする印象では、ゲームセンターが凋落した理由として多くの人が挙げるのは、「スマホ(スマートフォン)でゲームができるようになったから」である。スマホは、持ち運び可能でいつでもどこでも気軽に遊ぶことができる。そのため、わざわざゲームセンターに足を運ばなくて済むという大筋で説明される。

実際、スマホゲーム(スマホゲームアプリ等)の市場規模は急激に伸びているため、その理由はそれなりに説得的に聞こえる(図2)。

【図2】国内のゲーム市場規模(『アミューズメント産業業界の実態調査』などを基に筆者作成)
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しかし、私はこうした説明を見聞きすると既視感を覚えざるを得ない。

ゲームセンターに対する「誤解」

ゲームセンターが凋落したという話は、なにもいまに始まったことではなく、家庭用テレビゲーム、とりわけ『ファミリーコンピュータ』(1983年、任天堂)の登場とゲーム機の進化によって、「ゲームセンターのアドバンテージは失われた」と度々言われてきた。ハードとソフトをそろえてしまえば、コインを入れなくても遊べるため、わざわざゲームセンターに行くことはない、と。

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スマホ以前には、『ゲームボーイ』(1989年、任天堂)、『ニンテンドーDS』(2004年、任天堂)、『プレイステーション・ポータブル』(2004年、ソニー・コンピュータエンタテインメント)など家庭用携帯型ゲームのほか、1990年代後半にはPHS・携帯電話用ゲームもあり、いつでもどこでも遊べる環境は整っていた。にもかかわらず、国内のゲーム市場規模は業務用ゲーム機(ゲームセンター)が最も大きかった(前頁・図2参照)。

この明白な事実を無視した“ゲームセンター・オワコン説”が繰り返し語られてきたのである。もし言えるとするならば、スマホゲームに取って代わられたのは、携帯ゲームだけであろう。

2014年にスマホゲームがゲームセンターの市場規模を抜き、一躍トップに躍り出るものの、だからと言ってゲームセンターの市場規模が減少し続けたわけではなく、2015年を境に上昇に転じている。この現象はゲームというメディア(ハード、ソフト)や技術だけを見ていても説明できない。

では、国内の市場規模が大きいにもかかわらず、なぜゲームセンターの数は減少し続けているのだろうか。まず、設置台数の規模別に店舗数を見てみよう(図3)1。

ゲームセンターの台数別店舗数(『アミューズメント産業業界の実態調査』を参照し、筆者作成)
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1同報告書では「20台以下」「21-50台」「51-70台」「71-100台」「101-200台」「201台以上」別に集計し、これを基に業界団体では20-50台を小規模店舗、51-100台を中規模店舗、101台以上を大規模店舗に分類している。これらは便宜的な分類であり、規模感覚は敷地面積や時代によっても変化する。

一貫して減少し続けているのは、50台以下の小規模店舗であり、ほぼゲームセンターの総店舗数(前頁・図1)の減少と並行している。その小規模店舗の多くは、「その他」に分類されるシングルロケーション(少数台設置や無人営業の場所)2であることがわかる(図4)。

ゲームセンターの形態別店舗数(『アミューズメント産業業界の実態調査』を基に筆者作成)
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90年代以降、小規模店舗が減少し続けた一方で、大型店舗は増加傾向にあり、2008年まで続いた。その大型店舗の中心は「ショッピングセンター(SC)・デパート」である。ゲームセンター・オワコン説は、店舗数の減少をもってその証拠とするが、その多くが小規模店舗であり、大型店舗は増加していたこと、他のゲーム業態と比べても市場規模は依然大きく、2015年から上昇に転じていることを無視している。

この歴史的背景は、『デジタルの際』(聖学院大学出版会、2014)、『多元化するゲーム文化と社会』(ニューゲームズオーダー、2019)所収の拙稿をご覧いただくとして、ここでは簡単に説明を試みる。

2「遊園地、テーマパーク等の施設、レンタルビデオ店、駄菓子屋等に併設された店舗」が分類される。

苦しい状況に置かれる小規模店

独立店舗のゲームセンターが増えていったのは、1970年代、その多くは駅前商店街の小規模店舗だった。この時期、『スペースインベーダー』(タイトー、1978年)が社会現象となり、テーブル型筐体を並べた喫茶店も増加する。

1950年代から70年代の商店街の零細小売店は百貨店法や大規模小売店舗法(大店法)によって護られていた。駅前型小規模店舗のゲームセンターもこうした状況下で発展を遂げたのである。

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ところが、インベーダーゲームのヒットにより、ゲームセンターは青少年の非行の温床とされ、1985年には風営適正化法(風営法)の対象となる。18歳未満は22時以降に在店できなくなるなど、規制によって業界は大きな痛手を受ける。

さらに、1980年代から90年代にかけて大店法が緩和され、郊外のロードサイドに大規模店舗が立ち並ぶようになる。各地の商店街がシャッター街化し、駅前型小規模店舗のゲームセンターも消えていった。

その一方、ロードサイドビジネスが隆盛するようになると、ゲームセンターも大型化し、郊外に出店するようになる。大店法の緩和によって1990年代から2000年代にかけて、郊外にモールと呼ばれる巨大ショッピングセンターが増え続ける。ゲームセンターは、このショッピングセンターに併設する形で数を伸ばしていった。

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当時私は、取材で各地を飛び回っていた。商店街は、その土地独自の観光資源であったが、駅前商店街はどこも寂れていて、車で移動すると一様に郊外型チェーン店が並んでいた。こうした状況を憂い、市街地の空洞化を防ぐため、まちづくり三法(都市計画法、中心市街地活性化法、大規模小売店舗立地法)が2006年に改正され、売場面積1万平方メートルを超える大規模集客施設の郊外への出店が規制された。

その翌年、2000年代は上り調子だったゲームセンターの市場規模が縮小に転じ、その2年後には大規模店舗のショッピングセンター併設店舗が減少に転じた。潰れてしまった商店街を回復させるのは難しい。その上、大規模店舗も規制がかかり、ゲームセンター業界にとって苦しい時代を迎える。

こうした中、いち早く立て直しを図ったのがタイトーであった。郊外のロードサイドではなく、駅前に都市型大規模店舗を展開していった。そして業界にとって転機となったのが2015年の風営法改正である。これに伴い自治体の条例が改正され、翌年には16歳未満でも保護者同伴であれば22時まで在店できるようになり3、ゲームセンターの市場規模は上昇に転じた。

ゲームセンターと言ったとき、人びとの思い浮かべるゲームセンター像は一様ではない。どのような形態か、規模かによって実態は大きく異なる。オペレーターの市場規模に限ってみても、大手メーカー直営の大規模店などは強く、小中規模店は一層苦しい状況に置かれている。

3自治体の条例によって規制内容が異なるため、在店できない地域もある

「eスポーツ」の起源はゲームセンターだった?

昨今、eスポーツという言葉が一般に認知されるようになり、ビデオゲームを扱ったテレビ番組が次々と始まり、教育にも取り入れる学校が出てきた。eスポーツとは、ビデオゲームを用いた競技を意味する。昨年のアジア競技大会ではeスポーツが公開競技となり、先日の茨城国体でも文化プログラムとして初めて全国規模の大会が開かれた。

eスポーツと呼ばれるイベントは海外を中心にPCを用いて行われてきた。現在、国内ではPCに加えて家庭用ゲーム機やスマホのゲームが主に使われ、業務用ゲーム機はことんど用いられていない。そうしたこともあってか、ゲームセンターとeスポーツは別物と考える風潮があった。

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しかし、eスポーツはゲームセンターを起源とする。現段階で確認できる最初の全国大会は、1974年に業務用ゲーム機を用いて開かれた「セガTVゲーム機全国コンテスト」である。セガは全国各地で予選を開き、東京で決勝大会を開いている。カラーテレビ、白黒テレビ、カセットテープレコーダー、トランジスタラジオといった賞品も用意され、まさにeスポーツ・イベントの先駆けであると言えよう。

実際に、当時の大会を報じたヴェンディグ・タイムズ(1974年11月)によれば、セガはトーナメントを開催することによってメーカーとゲームセンターと顧客との間により良い関係を促し、業務用ビデオゲームでスポーツ競技の雰囲気を作り出すことの重要性を強調している。当初からビデオゲームとスポーツを関連づけて大会を開催している点は注目に値する。

その後、ゲームセンターに風営法が適用され、さらに賭博罪や景品表示法との兼ね合いでゲームセンターにおいて高額賞金を授与する大会を開くことは難しくなっていく。各種法律は、賞金をかけたeスポーツの大会を日本で開催する際にも大きな障壁となっていく。

他方、ゲームセンターでは1970年代から80年代にかけて、シューティングゲームなどで高得点を競うハイスコア文化が生まれ、90年代には格闘ゲームで勝敗を決する対戦文化が形成されていく。ゲームセンターとeスポーツとの関係は『現代メディア・イベント論』(勁草書房、2017)所収の拙稿を参照してほしい。

それでもこの場所が愛される理由

かつてゲームセンターには最先端の技術が用いられ、家庭用ゲーム機やPCでは追いつかないクオリティの高さを誇示していた。その技術が集まる場所としてゲームセンターは輝きを放っていた。

しかし現在では、グラッフィックの美しさや高音質のミュージックは、家庭用ゲーム機やPCでも可能となり、ゲームセンターの技術的なアドバンテージは失われた。人と競い合いたければ、(タイムラグ問題はあるものの)自宅からインターネットで対戦できるようになった。にもかかわらず、なぜゲームセンターで遊ぶ人びとがいまだに存在するのだろうか。

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私がゲームセンターで出会った人びとは、「人がいるから」と口をそろえる。面白いゲームがあることも重要だが、好きなゲームを通して趣味を共有する他者と出会い、交流する。その意味でゲームセンターは“社交の場”となる。

一人で黙々とゲームをしていても、人の存在を身近に感じることができる。何年も一人で格闘ゲームをしていたプレイヤーも、ふとしたきっかけで対戦相手と言葉を交わし、仲良くなり、友人に会うためにゲームセンターに足を運ぶようになる。そう語ってくれた人も少なくない。

ゲームセンターには、ただゲーム機が置かれているのではなく、店員や客が企画したイベントもが開かれる。誰かと遊び、競い合う「場」がそこにはある。それは、パイン?とギルモアが『The experience economy(経験経済)』(Harvard Business School Press 1999)の中で「経験経済」と名付けたものだ。

経験経済とは、モノが売れなくなった時代における第四の経済価値のことで、具体的にはモノではなく経験を売ることを指す。そのために、人びとの思い出に残るような舞台を整え、イベントを演出する。1974年に開かれたセガの全国大会は、まさに経験経済の先駆けでもある。

eスポーツもネットワーク上で完結するわけではない。舞台装置とイベント演出によって経験を提供するeスポーツには、プレイヤーや観客が集まる「場」が欠かせない。その意味では、ゲームセンターと同じであり、ゲームセンターに一日の長があると言えるだろう。

現在、各地にeスポーツ協会が立ち上がり、ビデオゲームを活用した町おこしを狙い、公共・商業施設で大会などが開かれている。しかし、素人がゲーム機を用いて大きなイベントを開いても、運営のノウハウがなければ難しいだろう。

一から新しいことを始めようとするのではなく、すでにある地元のゲームセンターと協力しながら展開することができれば、運営側の人材育成、集客にも効果を期待できるのではないか。業務用ビデオゲームを用いた大きな大会は、かつては闘劇があり、現在は闘神祭などがある。コミュニティ主導の大規模イベントもある。

先ごろ設立されたゲーミング・コミュニティ・ネットワーク(GCN)は、企画運営ノウハウの提供や人材・機材の協力など既存コミュニティを支援することが目的とされる。ゲームセンターやゲーム関連イベントを長らく経営・運営してきた松田泰明(ユニバーサルグラビティー代表取締役社長)も参加しているため、ゲームセンターやアーケード筐体を活用したイベントも期待できる。

ただし、そのためには風営法など各種法律の壁を乗り越えなければならない。風営法の改正は長らく業界団体の課題でもあったが、eスポーツが注目を浴びている今こそ、あいまいな法解釈を明確化し、法改正を促す大きなチャンスでもある。いつの日か、ゲームセンターは業務用だけでなく、家庭用ゲーム機やPC、スマホを持ち込んで各種イベントが開催されるような場所になっているかもしれない。