ミャンマー戦のスターティングメンバー。10人の欧州組が名を連ねた。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

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 森保一監督は、ワールドカップ2次予選の開幕を前に「楽な試合はひとつもない」と力説したという。

 なるほど指揮官としては当然の姿勢だ。円いボールを足で扱うサッカーの世界では、どんなどんでん返しが待っているか判らない。例えば、1996年アトランタ五輪で最強メンバーと評判だったブラジルが、日本にシュートの嵐を浴びせながらも敗れたのは、明らかにスカウティング不足と油断があったからだ。

 だが現実に2次予選には、掛け値なしに厳しい試合はひとつもない。またミャンマー戦を見ても、改めてリスクが高い。特に38分、ヘディングシュートをした吉田麻也の無防備な腹部にミャンマーのカウン・シトゥが正面から膝蹴りを入れたのは、常識的なサッカーの試合では考えられない蛮行で、吉田が無傷だったのが不幸中の幸いだった。VARがあれば、一発退場で重めの出場停止処分も課せられたはずだ。他にも背を向けてブロックすれば、後ろから足ごと削りに行く頻度が高く、それでもおそらく彼らに悪意はない。
 
 思い出すのはJリーグ草創期の喧噪である。閑古鳥が鳴いていたスタジアムは、唐突に満員の熱狂に包まれ、選手たちの闘争心に点火。延長戦にVゴールやPK戦などのおまけもついた過密スケジュールも影響して、故障者が続出した。たぶんミャンマーの選手たちも、滅多に遭遇しない日本のスター選手たちを必死に止めようと頑張っただけだ。きっとこれから手痛い罰則を食うなどの経験を重ね、徐々に国際試合での常識を覚えていくはずである。

 だが反面、日本がその伝道のためにベストメンバーをリスクに晒すのは考えものだ。既に日本は痛恨の失敗をしている。1999年7月、シドニー五輪予選のフィリピン戦に出場した小野伸二が、悪質な後方タックルの犠牲になり、左膝十字靭帯を断裂。日本の宝の可能性は、本当に狭められてしまった。

 慎重居士の指揮官だけに、監督としては未体験の2次予選初戦にベストメンバーで臨むのは仕方がない部分もある。しかしこのまま定められたレギュレーションに粛々と従い、与えられた試合に全力を尽くした先に、日本が目指す世界一の戴冠などない。
 もともとアジアは世界規模で劣勢を強いられているのに、広大で格差が大きい。その上、ワールドカップ本大会の出場枠が広がった影響もあり、予選の質は極端に低下している。森保監督が現役で戦った1994年米国大会へ向けての1次予選には、前回本大会に出場したUAEやタイなど、本当に気の抜けない相手も含まれ、アジアの総枠も「3」だった。アジアより格差が小さく質の高い欧州が既に防衛策を講じ、ネーションズリーグを創設して拮抗した強化試合を担保しているし、南米予選も見方によっては本大会以上に息の抜けない熾烈な戦いになる。

 ところが追いかける立場の日本が、キルギス、タジキスタン、ミャンマー、モンゴルと計8試合ものAマッチをダラダラとこなしているのでは、その差が縮まる理由は見当たらない。ましてコンフェデレーションズカップが消滅するなど、日本は一層逆風を受けている。本大会でベスト8の壁を超えるには、相応の環境を整える創意工夫が不可欠で、おそらくコペルニクス的な逆転の発想が必要だ。
 
 アジア予選が楽になるほど、本大会は厳しくなる。さらに欧州組は、中味が緩くてリスクは高いアジア予選に出かけて行く度に、コンディション調整や所属チームでの立場が厳しくなる。一方で2次予選は突破だけがノルマで、それは国内選抜や五輪チームでも十分に可能だ。ベストメンバーの個の充実や進化を望むなら、2次予選は欧州組を招集せずに、国内組に任せた方がいい。一方でベストを集めるなら相応の強化試合が要る。あまりに緩い試合は逆効果にもなりかねない。アジアでA代表の国内組が2次予選を戦う同日に、欧州で日本選抜の“練習試合”を組み込むなど、抜け道を探るアイデアや努力を追求していくべきだ。日本が“普通”にやっていたのでは、世界の頂きは見えて来ない。

文●加部究(スポーツライター)