「魚も痛みを感じている」という見方が研究者の間でも広がりを見せている
By liz west
大きな水槽に魚が泳ぐ生簀(いけす)料理店では、魚の半身を切り落とした状態で水槽に戻して泳がせるという光景を目にすることがあります。骨がむき出しになった魚は見るからに痛そうなのですが、「実は魚は痛みを感じないんです」という説明でホッと胸をなで下ろす、という会話を交わしたことがある人も多いはず。しかし、近年の科学では魚にもある種の痛みに近い感覚が存在しているという見方が広まっています。
https://www.smithsonianmag.com/science-nature/fish-feel-pain-180967764/
「魚は痛みを感じない」という説の根拠の一つに、「魚の神経系はそれほど複雑に発達していない」というものが挙げられます。魚の脳には人間などの霊長類、および他の哺乳動物が持つ大脳皮質が備わっていないことがその根拠です。ほ乳類は皮膚の表面などに刺激が加えられると、それを神経細胞に信号が流れ、末梢神経から脊髄、脳へと入り、視床下部、視床を通って大脳に到達し、痛みとして脳が理解するに至ります。従来は脳が痛みを感知するのは視床であると言われてきましたが、脳の活動を詳細に見ることができるfMRIの発達により、実際には大脳の複数の部位で信号が処理されていることが明らかになってきています。
認定NPO法人 いたみ医学研究情報センター|痛みについて
http://www.pain-medres.info/about/about01_3.html
そして、魚にはこの大脳を構成する大脳皮質がほとんどないために、魚は痛みを感じないという見方が存在してきました。1977年に出版されたアメリカの「フィールド&ストリーム」誌に掲載されたQ&Aコーナーでは、13歳の女の子からの質問に対して釣りライターのエド・ゼーン氏が「私たちが、膝の皮がめくれたり、足に何かが刺さったり、虫歯で歯が痛くなるような時に感じる痛みは、魚には感じることができません。魚の神経は非常に単純なものだからです。私には、魚が人間と同じような痛みを全く感じていないかどうかはわかりませんが、おそらく『魚の傷み』というものはあるのかも知れません」と答えています。ゼーン氏はまた、「もし誰かが魚を捕ることを禁止したら、人間には大きな影響が出ます」とも答えています。
そのような理論は今日でもなお存在し続けています。2014年、BBCははペンシルバニア州立大学の生物学者であるビクトリア・ブレイスウェイト氏と、スコットランドの漁業連盟の責任者であるバーティー・アームストロング氏を招き、魚の痛みと福祉についての議論を行いました。その中でアームストロング氏は、魚に対する福祉を「気味悪い」ものとし、「科学的証拠からは、魚は私たちと同じような痛みを感じない」と主張しました。これに対し、ブレイスウェイト氏は、魚がヒトと同じ感覚を持っているかどうかは重要ではないと反論し、「魚も傷みは感じます。実際に人間が感じているものとは異なる可能性は高いと考えられますが、それでもなおある種の苦痛であることに違いはありません」と主張しています。
解剖学の観点から見ると、魚にも侵害受容器と呼ばれるニューロンがあり、高温や強い圧力、腐食性化学物質などの潜在的な「害」を検出することが可能であるとのこと。また魚にも、哺乳動物のようにオピオイド(鎮痛剤)を生成する仕組みが備わっていることもわかっています。そして、魚にも何らかの刺激に対する信号の流れは存在しているとのこと。金魚やニジマスのエラの後ろに針を刺すと、侵害受容器から脳に向かって電気的活動が急増することが研究によって判明しています。
By Emil .
また別の方法で、魚もある種の「苦痛」を感じていることを示唆する研究結果も報告されています。ある研究では、研究者はニジマスが入っている水槽の中に明るい色のレゴブロックを落としました。この時、ニジマスは危険が起こる場合に備えて侵入物を避けようとする反応を見せるのが一般的なのですが、事前にニジマスに苦痛を与える酢酸を注射しておくと、ニジマスはレゴブロックに対する反応を見せないようになったとのこと。これは、酢酸による苦痛に意識が向けられていたために、ニジマスは本来の回避行動を取る余裕がなかったものと考えられています。
対照的に、酢酸に加えて鎮痛剤となるモルヒネの両方を注射しておいた場合は、通常どおりの回避行動を取ることができたそうです。モルヒネは、痛みの原因を取り去る物ではなく、痛みを感じることを阻害させる物質です。これはつまり、ニジマスは痛みを「生理学的に」ではなく、「精神的に」感じていることを示唆しています。
別の研究では、唇に酢酸を注入されたニジマスは、エラ呼吸が激しくなり、水槽の底を前後に行ったり来たりする動作を見せ、唇を砂利や水槽の側面にこすりつける動きを見せたとのこと。そして、生理食塩水を加えられて苦痛を感じたニジマスに比べて、通常の状態に戻るまでに2倍の時間がかかったことが明らかにされています。
By Patrick Breen
これらの状況から、魚にもある種の「痛み」の感覚が存在しているという見方が支持を広げています。イギリス・リバプールの生物学者であり世界の魚の痛みの専門家の1人であるリン・スナドン氏が2003年に学会で「魚は痛みを感じていると思いますか?」という質問を投げかけた時、手を挙げたのはわずか2名ほどだったとのこと。しかしスナドン氏は「今、同じ質問を投げかけたとしたら、ほぼ全ての人が手を挙げるでしょう」と語っています。2013年には、アメリカの獣医師学会が「痛みに対する魚の反応は単なる反射である、という説は否定された。蓄積された証拠により、魚類が痛みからの救済に関して陸生脊椎動物と同じ考慮事項を与えられるべきであるという立場を支持する」とする声明を発表しています。
このような流れもあり、各国では動物に対する福祉の考え方が広まりつつあります。イギリスは、最もすべての非ヒト脊椎動物を対象とする進歩的な動物福祉法を有しています。カナダとオーストラリアにおける動物福祉法は、州や地方によって異なりますが、より細かいものとなっているとのこと。いくつかは魚を保護する一方で、別のものは対象としていません。日本における関連する法律は、魚をほとんど考慮しておらず、中国では、あらゆる種類の実質的な動物福祉法がほとんど存在しません。世界では毎年、7000億個体の陸生生物が食糧のために殺されています。また、養殖によって最大で毎年1000億尾の魚が消費され、天然ものの魚は1〜3兆尾が捕獲されています。
By _paVan_
多くの場合、水揚げされた魚は呼吸ができなくなることによる窒息で死んでいます。この苦しみを伴う死に方を回避するために、電気ショックを与えることや、ある種の麻酔をかけて魚が気を失っている間に一撃を加えることで苦痛を与えないという方法が考案され、実際にそのような装置を搭載する漁船も世界にわずかながら存在するとのこと。また、意外なメリットもあり、ストレスを与えられずに瞬間的に、または知らないうちにシメられた魚は肉質が良くなる、という結果も確認されているそうです。
By Thomas Hawk