超小型モビリティ「rimOnO」のプロトタイプと根津孝太さん。 2016 (c) rimOnO Corporation (p) Masaaki Nakajima

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高齢者による自動車事故が社会問題になっている。運転免許の「自主返納」も進められているが、それだけでいいのだろうか。デザイナーの根津孝太氏は「加害者にならずにすむ自動車が必要ではないか」と超小型モビリティの開発に取り組んでいる。「時速100kmで走る自動車」を前提にしない社会の姿とは――。

※本稿は、根津孝太『カーデザインは未来を描く』(PLANETS)の第9章「21世紀に必要なのは『もっと遅い自動車』だ」を再編集したものです。

■「人生最後の車詐欺」が起きる理由

高齢者による自動車事故が社会問題になっています。東京都内の交通事故の統計を見ると、事故件数そのものは減っているものの、高齢者が起こした事故の割合は高まっています。高齢者による自動車事故は、道路標識を見誤って高速道路の出口から進入し逆走してしまったり、ブレーキとアクセルを踏み間違えてしまったりと、本人が自覚している以上に身体機能・認知機能が低下していて、運転に必要な判断・注意が難しいことが大きな原因となっています。

自動車事故の被害に遭うことも大変悲しいことですが、高齢者の方々が人生の最後で悲惨な自動車事故の加害者になってしまうというのも、避けなければならない社会問題です。この問題については政府も対策を取っていて、運転に自信のない人に対して運転免許証の自主返納を勧めています。代わりの身分証を発行したり、自治体によってはさまざまな特典がつくなどの工夫もあり、免許を返納する人は少しずつ増えています。

しかし地域によっては車がなくては生活が難しい地域もありますし、本当は生活上必要というわけではないけれど、それでも車に乗りたいと考える高齢者の方もいます。現在の高齢世代にとって車は「成熟の象徴」でもあったため、車を手放したくないという思いもわかります。

また自動車が身体を拡張してくれる存在だとすれば、むしろ高齢になって体が動かしにくくなったからこそ自動車に乗りたい、いざというときに自動車がないのは不安、という思いもあるかもしれません。僕の身の回りでも「これが人生最後の車だから」と言いながら何回も車を買い替える「人生最後の車詐欺」とでもいうような話をしばしば聞きます。

こうした状況について考えるとき、運転免許の返納を促したりして「高齢者に車を運転させないようにする」という方針だけで果たしてよいものだろうか、と僕は思うのです。

これまで自動車という存在は、「健康で元気な人が運転するもの」ということが暗黙の前提でした。そしてそのまま進化していった結果、今では「身体能力や認知機能に関係なく、誰もが1tもの重量の物体を時速100kmで動かさなければいけない」という思い込みに凝り固まってしまった。であるならば、今こそそういった近代の車社会の前提そのものを問い直すべき良いチャンスであるとも思うのです。

■20世紀の「人と都市」の関係を見つめ直す

現在の自動車市場は、ハイブリッドカー、コンパクトカー、ミニバン、SUV、軽自動車といったはっきりしたカテゴリーのなかで、モデルチェンジを繰り返して性能を上げていくことが主流になっています。これはユーザーにとっては用途に応じた自動車を選びやすいというポジティブな変化でもあるのですが、結果としてカテゴリーとカテゴリーの間にあるニーズを柔軟に汲みあげることが難しくなってしまっている側面もあるのではないかと僕は思っています。

未来の大衆車を考えるときは、今あるカテゴリーの延長ではなく、ゼロから考え直す必要がある。そのときに僕が大切だと思うのは、人と都市、都市と自動車の関係を、改めて問い直すことです。

20世紀はモータリゼーションが推し進められ、誰もが自動車に乗って移動することを前提に街が作られていった時代でした。みなさんの住んでいる街は、おそらくほとんどの道がアスファルトで舗装されているのではないかと思います。当たり前すぎて意識しにくくなっていますが、「人間の歩きやすさ」ではなく「車の走りやすさ」が優先されているのです。

そして街の設計も、電車や高速道路、幹線道路などの「大動脈」から考えていくのが一般的で、それゆえに車は狭い道路であっても歩行者に気を遣わずに我が物顔で通っていくのが現状です。僕は自動車を、もっと「分相応」な存在として再定義する必要があるのではないかと思っています(この「分相応」という言葉は僕の尊敬する先輩が授けてくれた言葉です)。

車中心社会を問い直そうというのは都市政策でも大きな流れになっていて、近年は「コンパクトシティ」という概念が注目されるようになりました。これはショッピングができる場所や、病院・学校などの公共機関をなるべく徒歩圏内に収めようという考え方で、自動車中心の街を、人間中心の街にしていこうという思想です。実際にコンパクトシティを目指すことを標榜している自治体もいくつもあり、一般的な考え方になりつつあるといえます。

■軽量でスピードの出ない電気自動車

それでは、より人間を中心にしたコンパクトシティを走る自動車は、どのようなものになっていくのでしょうか。ここで僕が進めている超小型モビリティプロジェクト「rimOnO(リモノ)」を紹介させてください。rimOnOは軽量でスピードの出ない電気自動車です。最高時速は45km。外装は布やウレタン(スポンジ)を使っています。

自動車の安全性を語るときはどうしても被害者側の視点で考えがちですが、加害者側の視点を持つことも非常に大切だと考えています。自分が安全に守られるということは、それだけ他人を傷つけてしまう可能性とセットになっているということを忘れてはいけません。

rimOnOを、ゆっくり走り、小さく軽く、外装に柔らかい素材を用いる自動車としてデザインしているのは、道を歩いている人への危害感を最小限にしたいという意図があります。ぶつかられたときに安全であるだけでなく、ぶつかったときにも、より安全な自動車であることによって、走れる範囲が広がるとするならば、プロダクトを工夫することによって街というインフラの運用を工夫することになります。

もちろん僕は「rimOnOこそが唯一の正解だ!」と思っているわけではありません。自転車と自動車の間には、都市部、郊外、限界集落など環境によって、あるいはそれぞれのユーザーの置かれた状況によって様々なモビリティの可能性があり、まだまだそのニーズに応えられていないのが現状だと考えています。 

■普及の鍵を握る「運用」の問題

こうした新しいカテゴリーの自動車が普及していくためには、運用をセットで考えていくことが大切です。人類が20世紀をかけて車中心で作りあげてきたインフラを本当にすべて作り変えるとすると、21世紀の100年をまるまる費やさなくてはならないでしょう。もっと変化のスピードを速めていくためには、すでにあるインフラをベースにして、その運用を工夫することが鍵になると僕は考えています。

たとえばイギリスの首都ロンドンでは「コンジェスチョン・チャージ(混雑課金)」という仕組みが採用されています。これはロンドン市内の渋滞を緩和するため、特定の時間帯に都心部に乗り入れる利用者には一定の金額を支払わせるというもので、実際に交通量は減っていると見られています。

こうした「ゾーン」で規制する考え方に加えて、高速道路・幹線道路のような「大動脈」と「生活道路」を切り分けて運用する方法もあります。そもそも道路とは「往来」、つまり人々が往ったり来たりする場所です。自動車以前の時代から、子どもたちの遊び場であり、大人たちの井戸端会議の社交場としての性格も併せ持った「生活道路」として機能してきたという面があります。

これはある大学の先生がおっしゃっていたことなのですが、幹線道路ではある程度は周囲のスピードに乗って走らなければならないので、ゆっくりと走りたい車には細くて狭い生活道路を主体に経路をナビするという「分走」の考え方も、現在の位置情報技術があれば十分可能です。

さらに、こうした時速15〜30kmという速度帯の車が増えてくれば、今ある自動車と一緒に混走するのは難しいでしょう。時速15kmで普通の車線を走ってしまうと渋滞が起こり、周囲をイライラさせてしまいます。かといって歩行者に混じって歩道を走ることも決して安全ではありません。だとすると、将来的には、速度帯や車重に応じて、歩行者、自転車&超小型モビリティ、普通自動車という3つのレーンをきちんと整備するのがベストではないかと僕は考えています。仮にそのうち超小型モビリティのレーンの比率が高くなって、街中から普通車のレーンがなくなってしまったとしても、それはそれで面白い未来ではないかなと思います。

■欧州で進む「低速専用」の免許制度

超小型モビリティの先進国といえるのが、ヨーロッパの国々です。街中の道が狭く入り組んでいるヨーロッパでは、歴史的にもミニカー(超小型車)が活躍してきた経緯もあり、こうした多様な車が人々に受け入れられやすい土壌があったのです。イタリアに行ったときは、街角で「なんだこれ!?」というようなミニカーをたくさん目にしたりもしました。ヨーロッパでは前述のコンジェスチョン・チャージを含めて、こうした小さな自動車が活躍できるよう、法整備がさまざまな形で進んでいます。

日本で超小型モビリティを導入する際には、原付(原動機付自転車)や小型特殊の免許でも運転できるようにするのもひとつの案ではないかと思っています。

ヨーロッパでは、こうした免許についての取り組みも進んでいます。2014年にフランスの法規が変更になり、最高速度が時速45km以下という限定つきで、小型四輪自動車を運転できる年齢が16歳から14歳に引き下げられました。

これに合わせてフランス・パリに本社を構えるルノーは、自社の「Twizy」(トゥイージー)という超小型モビリティに速度を45km以下に抑えた仕様をラインナップし、14歳から自動車を運転できるようにしました。Twizyのデザインは、モーター駆動の車輪がついた土台に、前後にふたり乗れる丸い小さなキャビンを載せたような形状になっています。販売台数そのものはフランス国内で年間3000台程度と普通の自動車に比べればまだまだ少数ですが、小型四輪自動車のカテゴリーでは人気のある車種になっています。

こうした法整備を行うことによって、自転車やいわゆる原付などに近い感覚で、より走行安定性のある小さな自動車に乗るという選択肢が取れるようになるわけです。

レーンの分離・新設や免許の扱いと同様に、「駐車場をどう確保するか」も大きな問題です。超小型モビリティは、自動車1台分のスペースに2〜4台程度駐車することができるので、駐車場の作りも変わってきます。車に乗る人なら、誰もが駐車場が見つからなくて困った経験があると思いますし、イベントやコンサート等では「駐車場が限られているので公共交通機関を利用してください」とアナウンスされていることも多いですよね。

都市部では自転車ですら迷惑駐車が問題になっているような状況ですので、様々な議論はあると思いますが、既存の駐車場インフラに普通自動車の何倍もの台数を駐車できる、あるいは道端に駐車してあっても邪魔にならないようなサイズの車は、こうした状況を変える力も持っています。

■「アスファルト」も必要なくなる

インフラという点で言うと、超小型モビリティの場合、動力は基本的に電気にすることが想定されています。いま過疎地域でのモビリティとして、電動バイクが注目されています。そういった地域では、設備の更新に莫大なお金がかかるため、ガソリンスタンドがどんどん廃業してしまい、遠いガソリンスタンドに給油に行って帰ってくるとガソリンがだいぶなくなっている、という笑えない状況になってしまうことがあるのです。

電気であれば、ほとんどの場合、各家庭にまで来ていますから、コンセントさえあれば充電することができる。電気自動車の導入に関して街中への充電器整備の問題が話題になることが多いのですが、こうして見方を変えると、ガソリン車のほうがインフラ整備を必要としているとも言えます。

さらに言えば、車の速度と重量を抑えるとアスファルトを厚く敷きつめた舗装も必要ではなくなります。たとえば埃が出ないよう工夫した「土」の道路でもいいかもしれません。超小型モビリティの考え方を徹底させていくと、コンクリートに埋め尽くされた「都市の景観」そのものが変わる可能性も生まれるのです。

超小型モビリティに対しては「そんなこと実現できないよ」という声も多いのですが、運用面もセットで変えていくならば、眠らせておくにはもったいないほどの、たくさんの可能性が秘められていると思っています。

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根津 孝太(ねづ・こうた)
デザイナー
1969年生まれ。92年千葉大学工学部工業意匠学科卒業、トヨタ自動車入社。愛・地球博『i-unit』コンセプト開発リーダーなどを務める。2005年に独立し、「znug design」を設立。主なプロジェクトに日本初の市販大型電動バイク『zecOO』、サーモス社の水筒、タミヤのミニ四駆、トヨタのコンセプトカー『Camatte』、ダイハツの軽四輪スポーツカー『Copen』、超小型モビリティー『rimOnO』などがある。

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(デザイナー 根津 孝太)