ボキャブラ前夜、お昼のお笑い勝ち抜き戦「GAHAHAキング 爆笑王決定戦」
1980年のMANZAIブームから、21世紀の現在に至るまで、形は違えどお笑い芸人を発掘するテレビ番組というのは絶えず存在してきた。
1980年代であれば、とんねるずやコロッケなどを生んだ「お笑いスター誕生」や、山田邦子などを発掘した「お笑い君こそスターだ!(「笑ってる場合ですよ!」のコーナー)」。
2000年代以後はM-1グランプリを筆頭としたお笑いコンテスト、「エンタの神様」「レッドカーペット」などのネタブーム、「おもしろ荘」「山ー1グランプリ」といった発掘系特番など、様々なところで芸人のスターは誕生している。
本欄の主題である1990年代後半には「ボキャブラ天国」ブームがあり、そこからネプチューンなど、今も活躍する多くのスターが生まれた。
しかし、そんなボキャブラブームの前夜、1993年〜1994年の日曜昼の時間帯にお笑いオーディション番組があったことを記憶している人は多くないかもしれない。
テレビ朝日系列で放送されていた「GAHAHAキング 爆笑王決定戦」である。
司会は田代まさしと久本雅美。番組は毎回5組の芸人が参加する勝ち抜き方式で、10週勝ち抜くとGAHAHAキングの称号と賞金100万円が贈呈された。
ルールとしては元祖芸人発掘番組「お笑いスター誕生」をほぼ踏襲しているが、現在放送されている同種の勝ち抜きお笑い番組「じわじわチャップリン」の目指すゴールが「3週勝ち抜き」なことを考えると、時代が違うとはいえ10週は長い道のり。つまり挑戦する時点で10個以上のネタのストックがあるか、ないしは毎週頑張って新ネタを作る必要があったわけだ。
ここで、まず初代キングに輝いたのが爆笑問題。
1980年代後半からすでに注目され、テレビにも出ていた爆笑問題。本来であればこのようなオーディション番組に出る必要はない実力者だったが、この時期はちょうど独立から事務所設立のタイミングでテレビの仕事に飢えていた。
案の定、別次元の実力を見せつけ、10週ストレートでの勝ち抜きを達成。審査員だった島田洋七は彼らに「漫才ブームのレベルを超えた」と賛辞を述べた。
ちなみに島田洋七のコンビB&Bは、MANZAIブーム前夜に(プロが出る必要はないという)周囲の反対を押し切って「お笑いスター誕生」に出場し、10週ストレートで勝ち抜いている。
そして次にキングに輝いたのはフォークダンスDE成子坂。
こちらは爆笑問題のようにストレートにはいかず、最初の挑戦では2週目でまさかの不合格。再度の挑戦では10週まで勝ち抜くも、最後の10週目「死刑執行」ネタで審査員から異論が出てまさかの「仕切り直し」に。実質11週目である10週目再挑戦では小道具も駆使した「誘拐」ネタで見事に2代目キングとなった。
このとき彼らは22歳の若さであった。
結局この2組のキングを生み、番組は1994年3月に終了。深夜に時間帯を移し「GAHAHA王国」として1995年9月まで続いた。
GAHAHAキング時代から挑戦し、GAHAHA王国になってから唯一キング(3代目キング)になったのが、ますだおかだであった。
この番組(および後継のGAHAHA王国)には後に「キャブラー」としてボキャブラ天国でブレイクする芸人も多く挑戦していた。
勝ち抜き途中で番組が終了した海砂利水魚(現:くりぃむしちゅー)や、10週目の壁を破れなかったX-GUN、その他、Take2、底ぬけAIR-LINE、U-Turn、ネプチューン、アンジャッシュなどがこの番組でネタを披露している。
キングに輝いた3組も「ボキャブラ天国」に出演。ダジャレを中心としたネタ披露に際して、爆笑問題は(田中がネタを担当し)うまくその波に乗ったものの、フォークダンスDE成子坂とますだおかだはブームに乗れたとは言い難かった。
その後、ますだおかだは2002年にM-1グランプリの2代目チャンピオンとなり現在も活躍中。
フォークダンスDE成子坂は1999年に解散。2005年にはツッコミ担当だった村田が急逝した。爆笑問題太田をして「天才すぎて売れなかった」と評されたボケの桶田は、音楽活動を経て、作家など裏方からお笑いに復帰。現在も芸人へのネタ提供、プロデュースなどを行っている。
(前川ヤスタカ)
※イメージ画像はamazonよりクイック・ジャパン76 (Vol.76)
1980年代であれば、とんねるずやコロッケなどを生んだ「お笑いスター誕生」や、山田邦子などを発掘した「お笑い君こそスターだ!(「笑ってる場合ですよ!」のコーナー)」。
2000年代以後はM-1グランプリを筆頭としたお笑いコンテスト、「エンタの神様」「レッドカーペット」などのネタブーム、「おもしろ荘」「山ー1グランプリ」といった発掘系特番など、様々なところで芸人のスターは誕生している。
しかし、そんなボキャブラブームの前夜、1993年〜1994年の日曜昼の時間帯にお笑いオーディション番組があったことを記憶している人は多くないかもしれない。
テレビ朝日系列で放送されていた「GAHAHAキング 爆笑王決定戦」である。
10週勝ち抜きで「GAHAHAキング」に
司会は田代まさしと久本雅美。番組は毎回5組の芸人が参加する勝ち抜き方式で、10週勝ち抜くとGAHAHAキングの称号と賞金100万円が贈呈された。
ルールとしては元祖芸人発掘番組「お笑いスター誕生」をほぼ踏襲しているが、現在放送されている同種の勝ち抜きお笑い番組「じわじわチャップリン」の目指すゴールが「3週勝ち抜き」なことを考えると、時代が違うとはいえ10週は長い道のり。つまり挑戦する時点で10個以上のネタのストックがあるか、ないしは毎週頑張って新ネタを作る必要があったわけだ。
初代キングに輝いた爆笑問題
ここで、まず初代キングに輝いたのが爆笑問題。
1980年代後半からすでに注目され、テレビにも出ていた爆笑問題。本来であればこのようなオーディション番組に出る必要はない実力者だったが、この時期はちょうど独立から事務所設立のタイミングでテレビの仕事に飢えていた。
案の定、別次元の実力を見せつけ、10週ストレートでの勝ち抜きを達成。審査員だった島田洋七は彼らに「漫才ブームのレベルを超えた」と賛辞を述べた。
ちなみに島田洋七のコンビB&Bは、MANZAIブーム前夜に(プロが出る必要はないという)周囲の反対を押し切って「お笑いスター誕生」に出場し、10週ストレートで勝ち抜いている。
そして次にキングに輝いたのはフォークダンスDE成子坂。
こちらは爆笑問題のようにストレートにはいかず、最初の挑戦では2週目でまさかの不合格。再度の挑戦では10週まで勝ち抜くも、最後の10週目「死刑執行」ネタで審査員から異論が出てまさかの「仕切り直し」に。実質11週目である10週目再挑戦では小道具も駆使した「誘拐」ネタで見事に2代目キングとなった。
このとき彼らは22歳の若さであった。
結局この2組のキングを生み、番組は1994年3月に終了。深夜に時間帯を移し「GAHAHA王国」として1995年9月まで続いた。
GAHAHAキング時代から挑戦し、GAHAHA王国になってから唯一キング(3代目キング)になったのが、ますだおかだであった。
ブレイクした芸人も多数出演
この番組(および後継のGAHAHA王国)には後に「キャブラー」としてボキャブラ天国でブレイクする芸人も多く挑戦していた。
勝ち抜き途中で番組が終了した海砂利水魚(現:くりぃむしちゅー)や、10週目の壁を破れなかったX-GUN、その他、Take2、底ぬけAIR-LINE、U-Turn、ネプチューン、アンジャッシュなどがこの番組でネタを披露している。
キングに輝いた3組も「ボキャブラ天国」に出演。ダジャレを中心としたネタ披露に際して、爆笑問題は(田中がネタを担当し)うまくその波に乗ったものの、フォークダンスDE成子坂とますだおかだはブームに乗れたとは言い難かった。
その後、ますだおかだは2002年にM-1グランプリの2代目チャンピオンとなり現在も活躍中。
フォークダンスDE成子坂は1999年に解散。2005年にはツッコミ担当だった村田が急逝した。爆笑問題太田をして「天才すぎて売れなかった」と評されたボケの桶田は、音楽活動を経て、作家など裏方からお笑いに復帰。現在も芸人へのネタ提供、プロデュースなどを行っている。
(前川ヤスタカ)
※イメージ画像はamazonよりクイック・ジャパン76 (Vol.76)