マイクロソフト コーポレート バイスプレジデント 沼本 健氏

写真拡大

■面白いと感じたらとことんまでやってみる

米マイクロソフト本社のコーポレートバイスプレジデントとして、企業のITインフラやクラウドを支える製品のプロダクトマーケティングの指揮をとる沼本健(41歳)。IT業界のリーディングカンパニーの1つであるマイクロソフトの中核として15年にわたって活躍し続けてきた。その源はどこにあるのか。

沼本が、最初に選んだ勤め先は通商産業省(現経済産業省)。1993年入省。新米官僚時代は、1日約200本の電話応対に追われ、国会の会期中は朝から深夜まで働き詰めでも、満足だった。転機が訪れたのは95年、米スタンフォード大学へ留学してからだ。沼本は、IT企業や先端技術企業の多くが集まるシリコンバレーに約2年間、身を置いた。

「生活がスローダウンし、考える時間ができました。役所の仕事には愛着があり、正直最後まで悩みましたが、通産省を辞めることを決めました。それは、一度しかない人生、先行きが見えない中に身を投じても、自分の方向性を決める操縦桿は、自分で握りたい、そう考えたのです」

辞職後、選択肢は複数あったというが、WindowsやMicrosoft Officeなど世界に通用する“産業の米”をつくるマイクロソフトが最も魅力的に見えた。ところが入社して「最初の6カ月は地獄」だったという。立ちはだかったのは“英語”の壁である。

「完全に自分の読みが甘かった。ボキャブラリーがない、話してもわかってもらえない、会議で口がはさめない、頭で文章となったときには、話題はもう次へと移っている。毎日、アパートへ帰るとへこんでいました」

そんな困難を乗り切れたのは、沼本の中に昔からあった“あきらめない心”だ。入社まもない同じ頃、わが耳を疑うような出来事にも遭遇した。上司との個人面談に呼び出された沼本は「そろそろ、具体的な仕事の指示が出るのかな?」――そんなことを考えていたが、上司が発した言葉は「How can I help you?(何か私に手伝えることはあるかい?)」。

「こちら側に、やりたい何かがあることが前提なわけです。通産省で受け身の姿勢に慣れ親しんできた者としては、全く違う場所に来てしまったものだと、ショックを受けました」

その後、マイクロソフトの製品の中核分野で着実にキャリアを積み重ね、重要なポジションを担ってきた。

「仕事をひたすら楽しんで一生懸命やっていると、仕事で知り合いになった他の事業部の人が声をかけてくれ、新しい仕事が用意されていました。その繰り返しです」。沼本の信念は、「食べてみなければ、それが好きか嫌いかなんてわからない。まずは食べてみる。そして面白いと感じたら、とことんまでやってみる」。つまり、任された仕事をやり抜くタイプ。一方、気持ちの切り替えは早い。大学時代、体育会テニス部でインカレに出場したほどの腕前だ。その経験から沼本は「テニスは、前のポイントを引きずってはダメ。うまくいっても失敗しても、考えるのは今のポイントのことだけ」という。

自らを「製品・技術畑の人間」と位置づける沼本は、「アカデミックな抽象的な戦略論より、現実感のある地に足が着いた考え方をしたい」志向の持ち主だ。そうした考えで、新しいビジネスモデルを構築してきた。今後は、サーバ関連の技術やパブリッククラウドなどに携わる。

「10年前を振り返れば、“当たり前”がどんどん変わってきたと気づきます。クラウド技術の進展で“職場にいないので、データは見られません”の言い訳は通用しません。これからもユーザーの要望などを汲み上げながら、“当たり前”のレベルを引き上げていきたいです」

----------

マイクロソフト コーポレート バイスプレジデント 沼本 健(ぬもと・たけし)
1971年、東京都生まれ。私立桐蔭学園高校卒。93年東京大学法学部卒業後、通産省(現経済産業省)に入省。スタンフォード大学でMBA取得後、97年9月からマイクロソフトに転職し、現在に至る。

----------

(小澤啓司=構成 鶴田浩介=撮影)