松坂大輔と初めて出会ったのは、彼が18歳のときだ。あれから14年が経ち、松坂は32歳になった。

 高校生の頃から今に至るまで、松坂と接していて、いつも思うことがある。

 それは、超一流のプレイヤーにありがちなコンプレックスの類を、彼からはまったく感じたことがないということだ。わかりやすいところで言えば、体が小さいとか、家が貧しいとか、野球界のエリートコースを歩めなかったとか、超一流の域に達したプレイヤーから話を聞くと、望むと望まざるとにかかわらず子どもの頃から背負わされた何かしらのコンプレックスがあったんだろうなと想像させることが珍しくない。そうしたプレイヤーほど、負の感情をバネに天井を押し上げ、屋根を突き破って、無限に広がる大空へと飛び立っていくものだ。

 しかし、松坂からはそうした負の感情を感じない。体に恵まれ、幸せな家庭に育ち、子どもの頃から世界大会に出場するなど、順風満帆の野球人生。高校時代、あまりにもその名を知られすぎて汚い大人の世界を垣間見ることになってしまったにもかかわらず、勘違いすることもなければ、傲慢(ごうまん)に振る舞うこともなかった。もちろん、勝負師としての頑固さは半端ではないし、「ここぞ」の集中力は他人を容易に寄せつけない。それでも、生来の天真爛漫な人柄は敵を作ることなく、懐(ふところ)の深い考え方ができるからこそ、今でも同級生からの人生相談が絶えない。目配りが効き、やせ我慢ができる。なぜそこまでと思うほど他人に気を遣い、自分のことは後にする。

 松坂のメジャー6年目が終わった。

 それはつまり、入団時にレッドソックスと交わした6年契約が満了したことを意味している。まず、6年間の勝敗を列挙してみる。

 1年目(2007年) 15勝12敗
 2年目(2008年) 18勝3敗
 3年目(2009年) 4勝6敗
 4年目(2010年) 9勝6敗
 5年目(2011年) 3勝3敗
 6年目(2012年) 1勝7敗

 この数字を眺めてみれば、ターニングポイントはメジャー3年目にあると思うだろう。しかし、あれこれと思いを巡らせてみると、だからメジャーでの松坂は歯車がずれてしまったのではないかと思い当たることがある。

 それは松坂のメジャー2年目、2008年のある出来事だ。

 この年の松坂はコントロールに苦しみながらも力でメジャーのバッターをねじ伏せ、順調に勝ち星を重ねていた。開幕からなんと、無傷の8連勝をマーク。辛口の地元記者からも「エースの自覚」について訊ねられるほど、レッドソックスの中で存在感を増していた時期だった。

 2008年5月27日、シアトル。

 松坂はこのシーズン、初めてマリナーズを相手に先発した。注目を集めるイチローとの対決である。その第1打席、松坂はイチローにストレートを叩かれ、三塁線を抜かれる。第2打席でもカットボールをジャストミートされ、センター前へ弾き返された。2打数2安打。そして3度目の勝負、というところで、イチローを目の前にして松坂は突如、体の変調を訴えて降板してしまった。5回、オンデッキでイチローがいつもの準備をしている。松坂はマウンドに上がって、イニング前の投球練習を行なっていた。ところが3球投げたところで松坂は首を横に振り、ベンチに何らかの変調を訴えたのだ。この時、松坂は右肩の違和感を訴え、自ら交代を申し出た。

 しかし、真相は違っていた。

 この時、違和感を覚えていたのは右肩ではなく、腰だった。しかもその違和感は深刻なものではなく、この状態で投げることで肩やヒジに悪影響を及ぼさないよう、自分自身で大事を取っての降板志願だったのだ。

 では、なぜ腰ではなく肩だと言ってしまったのか――松坂が腰に違和感を覚えたのは、この日のあるプレイが原因となっていた。