原子力の街、茨城県東海村。東京から110kmに位置するこの村には、定期検査中の原子力発電所がある。村長は廃炉を主張する

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 東海原発を廃炉に――。東海原発を擁する“原子力の街”茨城県東海村の村上達也村長は、福島第一原発の事故以来、一貫してそう提言している。原発のみならず、原子力関連施設も数多く立ち並ぶ東海村で、村上氏は何を思っているのか。

 そもそも、東海村は単に「原子力産業で栄えた街」ではない。1999年9月30日には、日本で初めて原発事故による死亡者を出した「JCO臨界事故」に巻き込まれ、住民600人以上が被曝した経験がある。そのときの村長も、村上氏だった。

「私は1997年の9月に東海村の村長になったんですが、その半年前の3月11日に東海村の動力炉・核燃料開発事業団(動燃)で火災爆発事故が起きました。また、その前の1995年には、もんじゅでナトリウム漏(も)れによる火災事故がありました。村長になった直後には、使用済み核燃料の輸送容器のデータ改竄事件もありました。だから私は、村長になったときから“原子力の安全”をどう確保していくかという意識が強かったんです」(村上氏)

 その後、JCO臨界事故の原因究明や対策、再稼働などで、いわゆる“原子力村”と呼ばれる人たちと関わっていき、あることに気づいたという。

「原子力業界の人たちの考え方は、とても危険だなと思いました。私はJCOの事故が起きてから、原子力業界の人が使う代表的な4つの言葉に気づいたんです」

 その4つの言葉とは、「安全神話」「国策」「想定外」「仮想事故」。原子力事業は国策である以上、絶対に安全でなければならない。そして、事故は全て“想定外”で片付けられる。だからこそ、事前に原発事故対策を検討する“仮想事故”でも、「県の防災計画指針に『これは仮想事故だから、具体的な対応は必要としない』というような注釈があった」(村上氏)となる。つまり、安全だから対策をしなくて大丈夫、というのが、“原子力ムラ”の言い分だったのだ。

 こうした現状を間近で見てきた村上氏だからこそ、「福島第一原発の事故は人災」と言い切る。

「津波のせいだとはいえないでしょ。原発に対するうぬぼれですよ。これまで必要な安全対策を講じてこなかったからです。津波だって10m以上の高さのものが来る可能性があることを4年前に試算しているでしょう。でも対策をとらなかった。また、設備投資額を落とすために非常用発電機を海岸にそろえていた。原発も同じ所に6基も7基も集中立地していた。こうした経済優先の考え方が、ああした事故を引き起こしていると思います」

 そして今、村上氏は“原子力の街”から廃炉を求めている。

「そりゃあ、多少は生活がつらくなるかもしれません。しかし、私は原発を廃炉にしろと言っているのであって、原子力施設はなんでもかんでもダメだと言ってるわけではない。東海村には、原子力研究開発機構があります。原子力研究開発機構には、今後、ぜひ廃炉や廃棄物処理の研究をしてもらいたい。廃炉というのは難しいんです。汚染されているものをどうやって解体するのか。膨大にたまっている使用済み核燃料をどうするのか。放射性廃棄物の処理をどうするのか。今後、原発を減らしていく場合に、そういう技術開発はしていかなくてはならないんです。そのために人を養成することも必要になってくるでしょう。原発を減らすためには東海村にある原子力研究開発機構の必要性はむしろ高まっていくと思います」(村上氏)

(取材/村上隆保、撮影/井上太郎)

■村上達也(むらかみ・たつや)
1943年生まれ、茨城県東海村出身。一橋大学卒業。1997年に東海村村長選に立候補し当選。その後、4選を果たす。「脱原発」を主張し、昨年10月には細野豪志原発事故担当大臣に面会し、東海第二原発の廃炉を提案した。

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